無限への鏡

辻邦生


 私が宮脇愛子さんの作品に深く魅了されたのは、パリの「間」展に展示された『うつろい』 を見たときであった。もちろん他の作品は以前からよく見ていたし、彫刻家その人とは作品を見る前からの知り合いだが、作品の内奥の光に貫かれて、 私自身が変容したかに感じられる強烈な体験は、それ以前にはなかったのである。
 『うつろい』は宮脇愛子さんの造型的な語彙である、断面がセクション・ペーパー状になった、金属立体による見事な作品である。私はその前に立った瞬間、そこに平安貴族のみやびな宴を見ているような気がした。「間」展そのものが異国の都会のなかへ突出した日本の伝統美の展覧会であっただけに、そうした伝統性と共鳴し合って、艶なる典雅さを造型した宮脇愛子さんの作品は、ひときわ人々の心を魅惑したのであった。
 「それは何といったらいいか、“あらぬもの”とでもよぶべき何か、オスカー・ワイルドのいうすべてのものの背後にある、或るかくされたものの精〉とでもいうべき何かを、つねに見ようとしてきたような気がする」と宮脇愛子さん自身が書いているように、その作品は冷たい硬質な形体を持つ金属体であるにもかかわらず、そこに漂うのは、高貴な官能性と清らかな憂愁感であった。平安貴族の一夜の遊宴のはてにくる夜明けの透明な悲しみに似たものが、ほのかな光となって、そこにたたずんでいたのである。
 もしこういう情感を何か具象的なもので描いたらどうだろう。おそらくずっと鮮度の低い、夾雑物の多い感興となり、われわれを遠くに誘うことはないだろう。
 それを端的に感じさせるのが宮脇愛子さんの銅版画である。作者は、彫刻においてセクション・ペーパー状の断面を語彙としたように、銅版画においては網目状の形体を語彙としている。この語彙を駆使することによって、作者は、具象では実現できない最も澄明な情感を、その澄んだ透明さのままに形象化してゆくのである。
 私は、これらの銅版画のなかに、辻󠄀ヶ花に見られる仄かな幽艶を感じるし、小紋の持つ華やかな繊細さが燃え立っているとも見えるのだが、同時に、初夏の高原の森がみどりに煌めき渡っているさまも感じるのである。
 夜、燈火の下で、私はそこにギリシア神話の舞台を見ることがあるし、時には、夕日に赤く反射する黄金色の海原を感じることもある。
 つまり宮脇愛子さんのこれらの銅版画の作品は、無限の情感のヴァリエーションを一つの鏡に映したごときものである。 それは〈あらぬもの〉の現前という魔術的な力業によって初めて達成された、言語を絶した境である。それは言葉をかえれば形体の祝祭にめぐり会うことに他ならない。言語を絶するとは、時間を絶すること――すなわち永遠に達することであるのを、われわれはかかる形体の祝祭においてのみ、納得するのである。
つじ くにお

『宮脇愛子 銅版画集/1980』
エッチング6点セット
銅版:宮脇愛子
序文:辻邦生「無限への鏡
作品 I
作品 II
作品 III
作品 IV
作品 V
作品 VI
銅版(刷り:プリントハウス・OM)
シートサイズ:45.0×32.5cm  
限定50部
制作年:1980
発行日:1980年5月19日
現代版画センターエディション No.325 ~ 330

宮脇愛子銅版画集宮脇愛子銅版画集 1980

宮脇愛子銅版画集辻邦生序文は小説家の辻邦生

宮脇愛子銅版画集奥付『宮脇愛子銅版画集 1980』奥付

宮脇愛子作品Ⅰ
宮脇愛子「作品Ⅰ」
 銅版 6.7×13.4cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品Ⅱ
宮脇愛子「作品Ⅱ」
 銅版 9.3×9.3cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品Ⅲ
宮脇愛子「作品Ⅲ」
 銅版 9.4×10.4cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品Ⅳ
宮脇愛子「作品Ⅳ」
 銅版 9.2×11.0cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品Ⅴ
宮脇愛子「作品Ⅴ」
 銅版 15.1×18.1cm Ed.50 Signed

宮脇愛子作品Ⅵ
宮脇愛子「作品Ⅵ」
 銅版 29.8×12.3cm Ed.50 Signed

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