凄い人がいるものである。
もともと歴史書は好きで、いろいろ読んできたつもり、歴史書ではないが編集者として「資生堂ギャラリー七十五年史」なんて本もつくった。
しかし不勉強で、こんな本が出ているなんて全く知りませんでした。
知ったのは昨秋刊行された丸谷才一対談集「おっとりと論じよう」(文藝春秋)です。本読みの達人、丸谷才一と井上ひさしが、著者鳥居民を迎えて絶賛の嵐です。
慌てて「日本の古本屋」で検索したけれど揃わない。アマゾンで既刊11巻全部買い、読み出しました。
このところトリシャ・ブラウン展で忙しく、ちょっと中断したが、何とか読了。

草思社から、1985年に第一巻が刊行されてから延々20年以上かかってまだまだ続くらしい。
広告文によれば「敗戦の年の全社会の動きを1月1日から12月31日まで詳細に描き、太平洋戦争の意味を問い直す書き下ろし長編ノンフィクション。歴史の転回点にいかなる政略がうずまき、ドラマが生まれたか。膨大な資料をもとに壮大な構想で描かれたかつてない歴史読物。」です。

日本は戦後60年を経てやっと真の歴史書を生んだ、そう思います。
上は天皇をはさんで木戸、近衛のそれぞれの思惑に想像力と膨大な資料を駆使して切り込み、政治を司る人間の責任のとり方に深い洞察を加えています。よきリーダーに恵まれなかった日本の悲劇がよくわかります。
下は勤労動員の女学生たちや、疎開児童の戦時下の生活、厳しいけれどどんな中にも楽しみや感動がある、人間の切ない営みに思わず目頭が熱くなりました。

丸谷才一対談集から、少し、引用します。
丸谷菊池寛は徳富蘇峰の「近世日本国民史」について、「文壇にこれほど刺戟を与へた歴史の本はなかった」と評価しましたけれど、利用した文筆業者はみんなそのことを口にしなかったいう噂がありますね。この「昭和二十年」についても、将来、日本の小説家や劇作家やノンフィクションライターはみなこれを源泉とし、ここから材料を得て、数多くの佳作や名品を書くことになるんじゃないでしょうか。
井上いや、将来ではなくて、もうすでに大切な手引き本になっています。私も昭和史を扱うことが多いのですが、まず鳥居さんのこの本にあたります。そして、自分の考えがこの本とあまりにちがいすぎるような時は、もう一度立ち止まって自分の考えを再吟味します。・・・(以下略)

まだ二刷か三刷しか出てなくて、売れていないようですが、司馬さんの本とは根本的に違います。司馬さんは近代日本の明るい面ばかりを強調し、そこに私たちは救いを求めたのですが、真の救いは歴史を正確に直視しなければ得られない。
鳥居さんの悠揚迫らぬ筆致は、私たちに謙虚に歴史に向かい合うよう導いてくれるように思います。
史書として、原典を明示しているのは当然のことながら、これで完結後に「索引」ができたらすばらしいと思います。
現在出ている第一部第11巻「本土決戦への特攻準備」は6月13日までが記述されています、この日(水曜日)沖縄本島小禄地域の海軍部隊が全滅し、東京では議会閉院式があったと日録にあります。
因みに私は昭和二十年七月二日生まれです。鳥居民は私の生まれた日の日本をどのように描きだすのでしょうか。
著者の健康と長寿を祈るばかりです。