駒井よごれていない一日1
駒井哲郎・金子光晴 詩画集『よごれていない一日』   
  詩/金子光晴 銅版/駒井哲郎、弥生書房刊、
  1970年、限定99部
  銅版11点入り、他に表紙2点も銅版(計13点)
  奥付に駒井哲郎、金子光晴の二人の署名、限定番号入り
  (美術出版社レゾネNo.266 ~276)

駒井汚れていない一日2
駒井汚れていない一日3


 この連載や別掲のエッセイでも何度も繰り返し書きましたが、駒井哲郎は実は優れた色彩画家であったというのが私の考えですが、まんざら少数意見でもないようで、平成20年度からの高校生の某教科書には駒井哲郎の色彩作品が収録されるとのことです。

 今回ご紹介するのは、カラー銅版画多数を挿入した詩画集『よごれていない一日』。
駒井哲郎先生が多くの文学者たちに愛され、多くのコラボレーションをなしたことは余りにも有名です。
『マルドロオルの歌』1951年 ロベール・ガンゾ作、平田文也訳 限定350部
『GOLGOTHA』1953年 岡安恒武詩 限定50部
『レスピューグ』1955年 ロオト・レアモン作、青柳瑞穂訳 限定100部
『愛しあう男女』1956年 小山正孝詩 限定125部
『からんどりえ』1960年 安東次男詩 限定37部
『ある青春』1963年 福永武彦詩 限定70部
『断面』1964年 馬場駿吉句 限定50部
『人それを呼んで反歌という』1965年 安東次男詩 限定60部
『鵜原抄』1966年 中村稔詩 限定30部
・・・・・
きりがないので、このへんで止めますが、とにかく駒井哲郎先生は文学者にもてた。
たくさんの詩画集等を残しました。
いずれも挿入された作品は秀作です。
まあ、ここまではいいのですが、画商として困ったことは、これらの発行形態がよくわからないことなのです。

 わからない点其の一/挿入された版画のそれぞれにサインを入れたのか、入れなかったのか。
入れたとして全部に入れたのか、一部に入れたのか。
入れなかったとして、では奥付に入れたのか、入れなかったのか。
同じ限定出版でも、たとえば上記の『GOLGOTHA』は限定50部ですが、サインが入ったのは15部のみで、残り35部にはサインは入れなかった。複雑です。

 わからない点其の二/本として出版した後に(または同時に)、駒井哲郎先生は別刷りを単品でつくっています。
例えば『マルドロオルの歌』は限定350部で、挿入された個々の作品にはサインが入っていません。そのために今でも駒井先生の記念碑的作品でありながら、しかも銅版6点も入っていながら僅か20数万円で買える。
ところが、この挿入された作品にはサイン入りの別刷りがあるのですね。これは高い。
でもこれらのサイン入り別刷りがいったい何枚あるのか、神のみぞ知る(否、天上の駒井先生のみぞ知る)。
前にも書きましたが、駒井先生は経済的な事情もあり、セカンド・エディションを刷ることを躊躇しませんでした。
さらにレゾネに掲載された公式発表の限定部数とは別に、APの名目での別刷りが多々あるのは、画商としてははなはだ困惑する次第です。

 最初に戻って詩画集『よごれていない一日』ですが、詩画集自体は限定99部で挿入された個々の作品にはサインはないようです。私の手元にあるのは18/99ですが、奥付にのみサインがあります。
美しいカラー銅版の秀作群です。
挿入された個々の作品にはサインがない、しかしそれとは別にサイン入りの別刷りはきっとあるでしょう。
困った・・・・