明後日から「没後20年 ウォーホルを偲んで」と題して小展示会を開催します。
ときの忘れものの掲示板に学生さんからアンディ・ウォーホルの「サンデーモーニング版」についての質問がありました。
ヤフーオークションなどを見ると、たくさんの「サンデーモーニング版」と称するコピー版画が出品されており、名前をきいたことは皆さんおありでしょう。
ご承知の通り、いまやウォーホルは最もお金を稼ぐ<現役>の画家です。
オリジナルの作品が稼ぐ著作権料はもとより、鬼より怖いウォーホル・ファンデーションが許可するポスターなど膨大なグッズの他に、有象無象の複製品がごまんとあります。
さらには贋物というか、公然たるコピーが世界中に氾濫しています。
つまりあのグッチやシャネル、エルメスと同じ状況なわけです。
許可なしのコピーはもちろん違法であり、ウォーホル・ファンデーションに見つかったらとんでもない金額を請求されるでしょう。
ところがファンデーションが唯一、文句を言えないシルクスクリーンによるコピー作品がある。
それが「サンデーモーニング版」です。
なぜそうなったか、「サンデーモーニング版」のもつ哲学的意味、それが誕生した歴史的背景、80年代以降ビジネス・アートの権化のようにいわれたウォーホルの市場的価値の高騰の中での<偽サンデーモーニング版>の横行、それらすべてに的確に答えられたら、たぶん博士号くらいもらえるンじゃあないかしら。
正確には<サンデー・B・モーニング版>といいます。
<サンデー・モーニング>とは、ウォーホルがプロデュースしたヴェルベット・アンダーグラウンドの有名なバナナのジャケットに入っている曲の名前です。
このコピー版画が、ドイツ人とベルギー人の若者二人組(いわゆるヒッピーですね)によって最初につくられた1970年、ある意味冗談で、「サンデー(アンディー)A」がウォーホル本人(オリジナル)を指すのに対し、「サンデー・B」としたんですね。
このときの経緯は伝説の領域でよくわかりません。一説にはシルクスクリーンの「版」までウォーホルが彼ら二人組に与えたというんですから、コピーというか後刷りの範疇に入るかも知れません。
現在、世界中に流布している「サンデーモーニング版」には、正真正銘のサンデー・B・モーニング版(ウォーホルが生前に許可? または黙認していたもの)のほかに、没後の90年代にプリントされたもの、さらにはサンデーモーニング版と称している完全な(?)贋物などなど、膨大な量があり、私も正確にはその正体はわかりません。
誰でもが知っているイメージを、誰でもが可能なシルクスクリーン技法で複製する、というのはウォーホル芸術の根幹なわけですが、それを逆手にとったのがサンデー・B・モーニング版でした。
どこにでもある雑誌の写真を使ってあなたでもマリリンを描ける、サインだってあなたがすればいい、と既成の美術界を挑発したのがウォーホル本人だったわけですから、それを実践してしまった二人組をウォーホルが公然とは否定できなかった哲学的な意味がそこにあります。
なお、今回の展示に出品するのはすべてオリジナルです。
ときの忘れものの掲示板に学生さんからアンディ・ウォーホルの「サンデーモーニング版」についての質問がありました。
ヤフーオークションなどを見ると、たくさんの「サンデーモーニング版」と称するコピー版画が出品されており、名前をきいたことは皆さんおありでしょう。
ご承知の通り、いまやウォーホルは最もお金を稼ぐ<現役>の画家です。
オリジナルの作品が稼ぐ著作権料はもとより、鬼より怖いウォーホル・ファンデーションが許可するポスターなど膨大なグッズの他に、有象無象の複製品がごまんとあります。
さらには贋物というか、公然たるコピーが世界中に氾濫しています。
つまりあのグッチやシャネル、エルメスと同じ状況なわけです。
許可なしのコピーはもちろん違法であり、ウォーホル・ファンデーションに見つかったらとんでもない金額を請求されるでしょう。
ところがファンデーションが唯一、文句を言えないシルクスクリーンによるコピー作品がある。
それが「サンデーモーニング版」です。
なぜそうなったか、「サンデーモーニング版」のもつ哲学的意味、それが誕生した歴史的背景、80年代以降ビジネス・アートの権化のようにいわれたウォーホルの市場的価値の高騰の中での<偽サンデーモーニング版>の横行、それらすべてに的確に答えられたら、たぶん博士号くらいもらえるンじゃあないかしら。
正確には<サンデー・B・モーニング版>といいます。
<サンデー・モーニング>とは、ウォーホルがプロデュースしたヴェルベット・アンダーグラウンドの有名なバナナのジャケットに入っている曲の名前です。
このコピー版画が、ドイツ人とベルギー人の若者二人組(いわゆるヒッピーですね)によって最初につくられた1970年、ある意味冗談で、「サンデー(アンディー)A」がウォーホル本人(オリジナル)を指すのに対し、「サンデー・B」としたんですね。
このときの経緯は伝説の領域でよくわかりません。一説にはシルクスクリーンの「版」までウォーホルが彼ら二人組に与えたというんですから、コピーというか後刷りの範疇に入るかも知れません。
現在、世界中に流布している「サンデーモーニング版」には、正真正銘のサンデー・B・モーニング版(ウォーホルが生前に許可? または黙認していたもの)のほかに、没後の90年代にプリントされたもの、さらにはサンデーモーニング版と称している完全な(?)贋物などなど、膨大な量があり、私も正確にはその正体はわかりません。
誰でもが知っているイメージを、誰でもが可能なシルクスクリーン技法で複製する、というのはウォーホル芸術の根幹なわけですが、それを逆手にとったのがサンデー・B・モーニング版でした。
どこにでもある雑誌の写真を使ってあなたでもマリリンを描ける、サインだってあなたがすればいい、と既成の美術界を挑発したのがウォーホル本人だったわけですから、それを実践してしまった二人組をウォーホルが公然とは否定できなかった哲学的な意味がそこにあります。
なお、今回の展示に出品するのはすべてオリジナルです。
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