全員反対を押し切って
アンディ・ウォーホル Andy WARHOL
「KIKU 2」
1983 Silkscreen(刷り:石田了一)
50.0x66.0cm
Ed.300 signed
*現代版画センター・エディション
1982年、渋谷にあった私の事務所にあらわれた宮井陸郎さんは、ウォーホルがいかに既成の美術概念をひっくりかえしたか、ジャスパー・ジョーンズやラウシェンバーグ、リキテンスタインらの優等生たちとは全く違う種類のアーティストであるかを、熱心に私に向かって説いたのでした。
インドから帰った宮井さんはニューヨークに渡り、70年代のファクトリーが、80年代のスタジオに激変していることを知り、社交界の花形から再びアートに戻りつつあったウォーホルに再会し再び情熱がよみがえったらしい。今度こそウォーホルはあたる(!)と。
私、いつも耳学問で、現代美術の何たるかは関根伸夫先生と日本縦断どさ周りの汽車の中で教わりました。そして60年代のアングラからウォーホルの革命的思考の何たるかについての教育はこの宮井さんたちから受けたわけです。
<アメリカに関して、何がすばらしいっていえば、本質的にいちばんのお金持ちといちばんの貧乏人が同じものを消費する、という伝統を始めたってことだ。テレビを見てごらんーーたとえばコカ・コーラだ。あなたはテレビで、大統領がコークを飲むのを知る。リズ・テーラーがコークを飲むのを知る。そして考えてごらん。あなたもコークを飲めるのだ。コーラはコーラであり、街角の浮浪者が飲んでいるのより、あなたのコーラが高くつく、なんてことはない。コーラは全部同じでどれも全部おいしい。リズ・テーラーもそれを知ってるし、大統領も、浮浪者も、あなたも、知ってる。 ~ウォーホル語録より>
しかし、当時はリキテンスタインのファンだった私は宮井さんのオルグには全く心が動かず、にべもなくウォーホル展の企画話を断ってしまった。
そこで宮井さん、再びパートナーを求めいろいろ動きまわったらしい。
信じられないことですが、銀座、青山、どの画商も誰ひとり宮井さんの話に乗ってこなかった。
結局、数ヶ月後に宮井さんは私の事務所に再び顔を出し、以前より熱心に私を口説きにかかった。
私も宮井さんの情熱に少~し心が動いたので、まずスタッフに聞いてみた。今の社長はじめ全員が全員猛反対した。「絶対に売れない、失敗する」というのが皆の意見だった。
久保貞次郎先生はじめ、周囲のブレーン、付き合いのある画商の皆さんにも相談したが、これも全員が反対した。ウォーホルがポップアートの代表的作家であることはもちろん常識でしたが、「ウォーホルは皆が知っているが、作品は全く売れない」というのが当時の美術界の常識だったんですね。
もう少し正確にいうと、ジャーナリズムの世界では「困ったときのウォーホル頼み」で、雑誌の企画が行き詰ったときウォーホル特集を組めば必ず売れるというのも、美術界の常識でした。
編集者の宮澤壮佳さん(後に池田満寿夫美術館館長)らが「美術手帖」「みづゑ」で何度もウォーホル特集を組んでいます。そのたびに実はウォーホルファンは増えていたのですね。
それと画商界の常識との間には大きな隔たりがあった。そのはざまに当時の私たちがいたということでしょうか。
80年代の現代美術を商う画商さんを支えてくれていたのは、理解ある大企業か、ウォーホルみたいな「下品」ではなく、リキテンシュタインやサム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズなどの「上品」な作品を好むごく少数のコレクターたちでした。
ところで、当時の現代版画センターの企画の立て方というのは、先ず翌年度のメイン作家を決め、その作家に全国同時展が可能な量の作品をつくってもらい(エディション)、完成した作品を全国に送り各地の支部の皆さんがほとんど時期を同じくして一斉に展覧会をするというシステムでした。
オリジナルが複数存在する「版画」ならでは可能な同時展でした。
従って初期投資の金額が膨大となる。
たとえば20種類の版画をつくるとしてその制作費(作家のサイン料、刷り代、紙代、カタログ制作費などなど)は当時でも数千万円になる。
それがあのウォーホルだったら、億近い金額になるのは目に見えている。皆が猛反対するはずです。
私、今までたくさんの作家を口説いてきましたが、このウォーホルのときのように周りの全員が反対したというのは後にも先にもこれ一回のみでした。
そのとき、私ひらめいたんですね。
誰に聞いてもウォーホルの名前は知っている。知名度抜群、雑誌が特集すれば必ず売れる、なのに作品は全員が売れないという。こりゃあもしかしたら大穴ではないのか。
無残な三振に終わるかもしれないが、もしかしたらホームランになるかも知れない・・・
(続く)
●ウォーホルを偲んで~KIKUシリーズの誕生
その1 現代版画センターと宮井陸郎
その2 全員反対を押し切って
その3 日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る
その4 「LOVE」のスポンサー
その5 本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
その6 「恋するマドリ」でKIKUは刷られた
その7 渋谷パルコ店で全国展スタート
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アンディ・ウォーホル Andy WARHOL「KIKU 2」
1983 Silkscreen(刷り:石田了一)
50.0x66.0cm
Ed.300 signed
*現代版画センター・エディション
1982年、渋谷にあった私の事務所にあらわれた宮井陸郎さんは、ウォーホルがいかに既成の美術概念をひっくりかえしたか、ジャスパー・ジョーンズやラウシェンバーグ、リキテンスタインらの優等生たちとは全く違う種類のアーティストであるかを、熱心に私に向かって説いたのでした。
インドから帰った宮井さんはニューヨークに渡り、70年代のファクトリーが、80年代のスタジオに激変していることを知り、社交界の花形から再びアートに戻りつつあったウォーホルに再会し再び情熱がよみがえったらしい。今度こそウォーホルはあたる(!)と。
私、いつも耳学問で、現代美術の何たるかは関根伸夫先生と日本縦断どさ周りの汽車の中で教わりました。そして60年代のアングラからウォーホルの革命的思考の何たるかについての教育はこの宮井さんたちから受けたわけです。
<アメリカに関して、何がすばらしいっていえば、本質的にいちばんのお金持ちといちばんの貧乏人が同じものを消費する、という伝統を始めたってことだ。テレビを見てごらんーーたとえばコカ・コーラだ。あなたはテレビで、大統領がコークを飲むのを知る。リズ・テーラーがコークを飲むのを知る。そして考えてごらん。あなたもコークを飲めるのだ。コーラはコーラであり、街角の浮浪者が飲んでいるのより、あなたのコーラが高くつく、なんてことはない。コーラは全部同じでどれも全部おいしい。リズ・テーラーもそれを知ってるし、大統領も、浮浪者も、あなたも、知ってる。 ~ウォーホル語録より>
しかし、当時はリキテンスタインのファンだった私は宮井さんのオルグには全く心が動かず、にべもなくウォーホル展の企画話を断ってしまった。
そこで宮井さん、再びパートナーを求めいろいろ動きまわったらしい。
信じられないことですが、銀座、青山、どの画商も誰ひとり宮井さんの話に乗ってこなかった。
結局、数ヶ月後に宮井さんは私の事務所に再び顔を出し、以前より熱心に私を口説きにかかった。
私も宮井さんの情熱に少~し心が動いたので、まずスタッフに聞いてみた。今の社長はじめ全員が全員猛反対した。「絶対に売れない、失敗する」というのが皆の意見だった。
久保貞次郎先生はじめ、周囲のブレーン、付き合いのある画商の皆さんにも相談したが、これも全員が反対した。ウォーホルがポップアートの代表的作家であることはもちろん常識でしたが、「ウォーホルは皆が知っているが、作品は全く売れない」というのが当時の美術界の常識だったんですね。
もう少し正確にいうと、ジャーナリズムの世界では「困ったときのウォーホル頼み」で、雑誌の企画が行き詰ったときウォーホル特集を組めば必ず売れるというのも、美術界の常識でした。
編集者の宮澤壮佳さん(後に池田満寿夫美術館館長)らが「美術手帖」「みづゑ」で何度もウォーホル特集を組んでいます。そのたびに実はウォーホルファンは増えていたのですね。
それと画商界の常識との間には大きな隔たりがあった。そのはざまに当時の私たちがいたということでしょうか。
80年代の現代美術を商う画商さんを支えてくれていたのは、理解ある大企業か、ウォーホルみたいな「下品」ではなく、リキテンシュタインやサム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズなどの「上品」な作品を好むごく少数のコレクターたちでした。
ところで、当時の現代版画センターの企画の立て方というのは、先ず翌年度のメイン作家を決め、その作家に全国同時展が可能な量の作品をつくってもらい(エディション)、完成した作品を全国に送り各地の支部の皆さんがほとんど時期を同じくして一斉に展覧会をするというシステムでした。
オリジナルが複数存在する「版画」ならでは可能な同時展でした。
従って初期投資の金額が膨大となる。
たとえば20種類の版画をつくるとしてその制作費(作家のサイン料、刷り代、紙代、カタログ制作費などなど)は当時でも数千万円になる。
それがあのウォーホルだったら、億近い金額になるのは目に見えている。皆が猛反対するはずです。
私、今までたくさんの作家を口説いてきましたが、このウォーホルのときのように周りの全員が反対したというのは後にも先にもこれ一回のみでした。
そのとき、私ひらめいたんですね。
誰に聞いてもウォーホルの名前は知っている。知名度抜群、雑誌が特集すれば必ず売れる、なのに作品は全員が売れないという。こりゃあもしかしたら大穴ではないのか。
無残な三振に終わるかもしれないが、もしかしたらホームランになるかも知れない・・・
(続く)
●ウォーホルを偲んで~KIKUシリーズの誕生
その1 現代版画センターと宮井陸郎
その2 全員反対を押し切って
その3 日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る
その4 「LOVE」のスポンサー
その5 本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
その6 「恋するマドリ」でKIKUは刷られた
その7 渋谷パルコ店で全国展スタート
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