本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
アンディ・ウォーホル Andy WARHOL
「LOVE 2」
1983 Silkscreen(刷り:石田了一)
66.0x50.0cm
Ed.100 signed
*ウォーホルのレゾネではCat.No.310「LOVE 1」となっています。
この題名「LOVE」は「KIKU」とともに私が提案し、ウォーホルがそれをそのまま受け入れたのですが、なぜか私どもが最初につけた順番が、レゾネ編集段階で入れ違ってしまい、「LOVE 1」が「LOVE 2」に、「LOVE 2」が「LOVE 1」となってしまいました。
従って私が当時刊行したオリジナル版画入りカタログに掲載されているタイトルと、レゾネのタイトルは異なります。今となっては、多勢に無勢、仕方ありませんな。
<個人的にも、ぼくはポルノが大好きで、いつもたくさん買っていた。本当にダーティで、興奮させるようなやつをね。あなたはただ、何があなたをその気にさせるか見極めて、自分にあったポルノ雑誌や映画の写真を買いさえすればいいのだ。ちょうど、自分にあった薬やカンヅメを買いに行くようにね。 ~ウォーホル語録より>
前回までは私の記憶に基づいて書いてきたのですが、それでは段々間に合わなくなってきた。
私、子供の頃から記憶力だけは自信があったんですが、どうも最近物忘れや、勘違いが多く、記憶力への自信が揺らいできた。
ウォーホルとの契約交渉は当初は宮井陸郎さんが私の代理としてやって下さっていたので、その間の経緯を記録によって確認しようと、先日来、押入れをひっかきまわして契約書や当時の日記を探しているのですが、なかなか見つからない。
最終段階で私がニューヨークに渡り、ウォーホルと差しで交渉したんですが、古いパスポートが見つからず、その日程も私の記憶が正確かどうか不安になってきました。
だったら宮井さんご本人に聞けばいいじゃないかと皆さん思われるでしょうが、ご本人が行方不明でそれもかなわない。
10数年前のこと、私やウォーホル3人男の根本寿幸さんや栗山豊さんなど知人、友人の間を宮井さんはつむじ風のように走り回ってある依頼をした直後に忽然と姿を消してしまった。
数年前には「宮井さんが死んだらしい」という噂が関係者の間を駆け巡ったのですが、実は昨年、ある人のところにひょっこり現れた。これは伝聞ではなく、会った当人から聞いたので、間違いありません。少なくとも昨年現在の生存は確認されています。
一昨日(3月2日)、ウォーホル通の作家、森下泰輔さんが久しぶりに来廊され、当時の思い出話にはなが咲きました。
「そういえば新宿にマット・グロッソというギャラリーがあったねえ、あそこのウォーホル展はいつだったっけ」と言われ、私も思い出しました。
先日のブログで本邦初のウォーホル展は、1971年6月17日~22日、西武デパート渋谷店の画廊で開催されたと書きましたが、次いで1973年11月24日~12月10日に新宿のギャラリー・マット・グロッソで「アンディ・ウォーホル展」が開催されました。
当時はまったく泡沫扱いでほとんど売れなかった。
翌1974年、ウォーホルは大丸(東京、神戸)での「アンディ・ウォーホル大回顧展」のために来日したわけですが、それまで展覧会したのは、西武デパートとギャラリー・マット・グロッソの二つのみです。この二つの画廊の栄光は長く記憶されるべきでしょう。
70年代には、今では信じられないでしょうが、あの「マリリン」はポスター程度の扱いしかされませんでした(今ではそれが1,000万円、10点セットで8,000万円!)。
私が現代版画センターを創立した1974年時点では、まだシルクスクリーンはオリジナル版画ではない、写真製版なんかもってのほかだ、という「常識」がまかり通っていました。
作家が刀で木版や銅版を刻むものだけがオリジナル版画なのだという固定概念が確固としてあり、作家の内面に生まれたイメージをどうのような技法であれ紙に定着させるのが版画だという考えはまだ通用していませんでした。
ですから、画商さんたちは、タブローに対抗して、オリジナル版画という名称を厳格なまでに振りかざし、技法や、限定部数に非常に神経質でした(もちろんそれはいいことなのですが)。
1970年代に池田満寿夫の専属画廊であった大画商、南天子画廊の青木さんでさえ私に向かって「オリジナル版画というのは30~50部の二桁の限定部数で、あなたの考えているような200部、300部はオリジナル版画ではない」と断言したような時代でした。
ともあれ、当時のことは正確に書きたいので、文献資料が見つかるまでちょっと休載させてください。(続く)
●ウォーホルを偲んで~KIKUシリーズの誕生
その1 現代版画センターと宮井陸郎
その2 全員反対を押し切って
その3 日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る
その4 「LOVE」のスポンサー
その5 本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
その6 「恋するマドリ」でKIKUは刷られた
その7 渋谷パルコ店で全国展スタート
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アンディ・ウォーホル Andy WARHOL「LOVE 2」
1983 Silkscreen(刷り:石田了一)
66.0x50.0cm
Ed.100 signed
*ウォーホルのレゾネではCat.No.310「LOVE 1」となっています。
この題名「LOVE」は「KIKU」とともに私が提案し、ウォーホルがそれをそのまま受け入れたのですが、なぜか私どもが最初につけた順番が、レゾネ編集段階で入れ違ってしまい、「LOVE 1」が「LOVE 2」に、「LOVE 2」が「LOVE 1」となってしまいました。
従って私が当時刊行したオリジナル版画入りカタログに掲載されているタイトルと、レゾネのタイトルは異なります。今となっては、多勢に無勢、仕方ありませんな。
<個人的にも、ぼくはポルノが大好きで、いつもたくさん買っていた。本当にダーティで、興奮させるようなやつをね。あなたはただ、何があなたをその気にさせるか見極めて、自分にあったポルノ雑誌や映画の写真を買いさえすればいいのだ。ちょうど、自分にあった薬やカンヅメを買いに行くようにね。 ~ウォーホル語録より>
前回までは私の記憶に基づいて書いてきたのですが、それでは段々間に合わなくなってきた。
私、子供の頃から記憶力だけは自信があったんですが、どうも最近物忘れや、勘違いが多く、記憶力への自信が揺らいできた。
ウォーホルとの契約交渉は当初は宮井陸郎さんが私の代理としてやって下さっていたので、その間の経緯を記録によって確認しようと、先日来、押入れをひっかきまわして契約書や当時の日記を探しているのですが、なかなか見つからない。
最終段階で私がニューヨークに渡り、ウォーホルと差しで交渉したんですが、古いパスポートが見つからず、その日程も私の記憶が正確かどうか不安になってきました。
だったら宮井さんご本人に聞けばいいじゃないかと皆さん思われるでしょうが、ご本人が行方不明でそれもかなわない。
10数年前のこと、私やウォーホル3人男の根本寿幸さんや栗山豊さんなど知人、友人の間を宮井さんはつむじ風のように走り回ってある依頼をした直後に忽然と姿を消してしまった。
数年前には「宮井さんが死んだらしい」という噂が関係者の間を駆け巡ったのですが、実は昨年、ある人のところにひょっこり現れた。これは伝聞ではなく、会った当人から聞いたので、間違いありません。少なくとも昨年現在の生存は確認されています。
一昨日(3月2日)、ウォーホル通の作家、森下泰輔さんが久しぶりに来廊され、当時の思い出話にはなが咲きました。
「そういえば新宿にマット・グロッソというギャラリーがあったねえ、あそこのウォーホル展はいつだったっけ」と言われ、私も思い出しました。
先日のブログで本邦初のウォーホル展は、1971年6月17日~22日、西武デパート渋谷店の画廊で開催されたと書きましたが、次いで1973年11月24日~12月10日に新宿のギャラリー・マット・グロッソで「アンディ・ウォーホル展」が開催されました。
当時はまったく泡沫扱いでほとんど売れなかった。
翌1974年、ウォーホルは大丸(東京、神戸)での「アンディ・ウォーホル大回顧展」のために来日したわけですが、それまで展覧会したのは、西武デパートとギャラリー・マット・グロッソの二つのみです。この二つの画廊の栄光は長く記憶されるべきでしょう。
70年代には、今では信じられないでしょうが、あの「マリリン」はポスター程度の扱いしかされませんでした(今ではそれが1,000万円、10点セットで8,000万円!)。
私が現代版画センターを創立した1974年時点では、まだシルクスクリーンはオリジナル版画ではない、写真製版なんかもってのほかだ、という「常識」がまかり通っていました。
作家が刀で木版や銅版を刻むものだけがオリジナル版画なのだという固定概念が確固としてあり、作家の内面に生まれたイメージをどうのような技法であれ紙に定着させるのが版画だという考えはまだ通用していませんでした。
ですから、画商さんたちは、タブローに対抗して、オリジナル版画という名称を厳格なまでに振りかざし、技法や、限定部数に非常に神経質でした(もちろんそれはいいことなのですが)。
1970年代に池田満寿夫の専属画廊であった大画商、南天子画廊の青木さんでさえ私に向かって「オリジナル版画というのは30~50部の二桁の限定部数で、あなたの考えているような200部、300部はオリジナル版画ではない」と断言したような時代でした。
ともあれ、当時のことは正確に書きたいので、文献資料が見つかるまでちょっと休載させてください。(続く)
●ウォーホルを偲んで~KIKUシリーズの誕生
その1 現代版画センターと宮井陸郎
その2 全員反対を押し切って
その3 日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る
その4 「LOVE」のスポンサー
その5 本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
その6 「恋するマドリ」でKIKUは刷られた
その7 渋谷パルコ店で全国展スタート
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