先日、久しぶりに新聞社時代の同期会に出た。当日ちょっとした事件があり、編集の連中の多くが欠席したが、10数人が集まり、愉快に飲みかつ話した。
みんな還暦を過ぎ、定年後の第二の人生を歩みだしている。話題は病気と年金だ。私の期はあまり出世しなかったようで(スポニチの社長が同期だが)、だからといってはヘンだが、和気藹々たる同期会が続いている。
私たちは1969年入社だから、竹橋のパレスサイドビルしか知らない。
1966年に竣工し、有楽町から毎日新聞は竹橋に移転した。
林昌二設計のわれらがパレスサイドビルは戦後の事務所ビルとしては傑作だと思う。昨年40周年を迎えたのを機に毎日新聞社から「パレスサイドビル物語」が刊行された。編集したのは私たちの同期・平嶋彰彦である。いずれこの本(写真集)のことは詳しく紹介したい。
ところで、このブログの売りは「新人日記」だったのだが、かの新人はもう入社2年近くなるので、新人を卒業してしまった。今日も磯崎新アトリエに出張中(?)で、忙しく働いている。
週一を予定していた「お出かけ日記」執筆もままならぬ(らしい)。
これでは、アクセスが減るばかりだ。
人気投票でも一時は4位まで行ったのに、いまは20位前後を低迷している(嘆)。
それで、旧新人になりかわり、近況報告を(年寄りの冷水となりませんように)。
★細江英公展がもうすぐ始まります。
土方巽・元藤火華子のアスベスト館が銀行との戦いに敗れ落城したのが2003年3月でした。
そのとき細江英公先生が撮りおろした「春本・浮世絵うつし」の写真展が五日間だけ開かれました。私たちもアスベスト館にかけつけ、別れを惜しんだのですが、その後、この「春本・浮世絵うつし」はアメリカやヨーロッパで公開され大きな反響を呼んでいます。
全部で39点のシリーズですが、日本のギャラリーでまとめて公開されるのはアスベスト館以来です。会場の制約で今回は30点を展示します。
ときの忘れものが本格的に写真を扱い出す、これが最初の展覧会です。細江先生とのお付き合いはかれこれ30年近くになりますが、いつも先生には買っていただいてばかりで、先生の作品を売る機会はほとんどありませんでした。これからは常時扱えるよう頑張ります。
16日がオープニング。17日がヨシダ・ヨシエ先生と細江先生とのギャラリートークです。
ギャラリートークは要予約です、お早めにご連絡ください。
★4月は小野隆生新作展です。
小野先生は20歳でイタリアに渡り、もう40年近くなる。
11世紀の街並みをそのまま残した小さな山岳都市にアトリエを構えて、淡々とテンペラによる肖像画を描き続けています。
今では半分イタリア人、日本的なウエットな関係を嫌う、よくいえば画家らしい画家。
会っても絵の話はめったになく、チェロと美味しい料理のことばかり。
何年か前、ミラノで会ったときも先ず連れて行かれたのは美術館ではなく、ロメオ・ジリのブティックだった。「綿貫さんにはこのシャツが似合うから買いなさい」てな調子です。
画商としていえば、「絵は泣きたくなるほど欲しいが、毎日付き合うのは大変だ(どうかこのブログを画家が読んでいませんように)」。
こちらがお手紙しても返事はほとんど来ない。
一年に一度の便りで十分と思っている。
なにせご自分の個展なのに、最終日前日まで絵を送って来ない、ようなこともあった(泣)。
まあ一昔前の奇人変人とまでは言わないが、相当ムズカシイ画家だ。
小野隆生を若いときから知る先輩画商さん曰く「少女の絵を描いて欲しいなんていうと、あいつはへそ曲がりだから、きっととんでもない婆さんを描いてくるぞ」。
それじゃあ商売上困るので、結局私たちは「希望」を出したことは一切ありません。
ただただ小野先生が描いてくれるのを待つばかりです。
どんな絵でも男は黙って買い続けてきました。
どれも凄みのあるいい絵なのですが、当然のことながら、人好きするものと、そうでないものもある(そうでないものの方が多い・・・・)。
ところが今回はがらりと変わりました。既に10点近い新作が届いたのですが、どれもこれも明るいブルーの空(と雲)をバックにした、少し斜めを向いた新傾向の肖像画です。
到着した梱包を解いた瞬間、「こりゃあ売れるぞ」と狂喜し、先ほどの先輩画商さんに電話をしたら「そりゃあ、少し変だ。気をつけた方がいい」なんて脅かされてしまった。何を気をつければいいのか・・・・
さてファンの皆さんの反響はどうでしょうか、来月の新作展が楽しみです。
英文のホームページに一足早く数点を紹介しています。
図録も製作中で、テキスト執筆は朝日新聞の河合哲夫さんです。
4月13日(金)がオープニング、21日(土)河合哲夫さんと小野先生によるギャラリートークです。
★磯崎新画文集「百二十の見えない都市」
何年もの間、パトロンの皆さんをお待たせしてしまっている画文集の第二期ですが、ようやく挿入する版画の制作はほぼ完了しました。
問題は、文章の方で、磯崎先生が相変わらず世界を飛び回っているので、なかなか進みません。
しかし、朗報もあり、No.13で中断していた「磯崎新事務局通信」が遂に復活します。
何度も復刊をいいながら、のびのびになってしまっていましたが、今度こそ本当です。
発行部数は200部前後を考えていますが、どうぞお楽しみに。
コメント