ニューヨークのタイムズ・スクウェアと言えば、映画館やポルノショップが軒をつらねる人も知る歓楽街であるが、いざそこの住人となるとかえって足が遠のくところのようである。四年間のニューヨーク滞在中のことを思い出してみても、タイムズ・スクウェアの映画館で映画をみたという記憶はほとんどない。
 記憶に残る唯一つの映画がアンディ・ウォーホールの「ドラキュラ」である。ニューヨーク・タイムズの映画評か何かで話題になって、上映館を探して見に行ったのだった。入場するとき、切符と引き換えにヘンな眼鏡を渡され、その眼鏡をかけて見ると画面が気持が悪いほど立体的に見えるという仕掛けのものであった。途中で画面に飛び交う黒いコーモリなど、本当に映画館の中を舞っているようで、そこここから観客の悲鳴が聞こえたりした。アンディ・ウォーホール自身が登場し、毒々しい色彩の服をまとった女たちに囲まれ、病的にやせた上半身の裸をさらした彼の細い首には生々しい大きい傷跡が見えた。
 私にとってアンディ・ウォーホールはドロドロとどぎつい色彩と底知れぬ猥雑とで、まさにニューヨークのタイムズ・スクウェアの記憶と二重映しの存在なのである。

・・・「アンディ・ウォーホル展 1983~1984 カタログ」136ページ所収

 
 上記の短いエッセイは、いまから24年前の現代版画センターのアンディ・ウォーホル全国展の折に刊行したオリジナル版画入りカタログに掲載されたものです。
筆者の紹介には「柳沢伯夫 一九三五年 静岡県袋井市生まれ 衆議院議員」とあります。
 当時はまだ代議士になったばかりでしたが、知る人ぞ知る、政界きっての知性派で、アートにも造詣が深く、だから私たちも当時政界からただ一人アンディ・ウォーホルについての原稿を依頼したわけです。
 ちょっとご注意いただきたいのは、柳澤さんの原稿での名前の表記です。「アンディ・ウォーホール」とされています。このカタログには170名の方に執筆していただいたのですが、名前の表記は実に7通りありました。
カタログには執筆者の原稿通り、7通りの表記をそのまま使っていますが、展覧会としての統一表記は、最終的に私たち編集陣の判断で「アンディ・ウォーホル」としました。以後、この表記が標準となりましたね。

 本日は、ル・コルビュジエ展の最終日とあって、雨にもかかわらず、たくさんのお客様がいらっしゃっていますが、さきほど、SPを連れた柳澤さんがふらりと見えられました。
 今年はさんざんマスコミから叩かれて、なおかつ年金問題で頭の痛い大臣ですが、忙中閑あり、お好きな絵の鑑賞にしばし楽しまれた様子でした。
 私ども夫婦にとっては30年来の恩人で、奥様の柳澤紀子さんと岡田隆彦さんとの詩画集「海へ」も思い出深いエディションでした。

 下の写真は、居合わせたスタッフとお客様を交えての記念写真。

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