小野隆生 Takao ONO
「作品名不詳」
1976年頃か キャンバスに油彩
47.8x14.5cm
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◆いい絵が手に入ったときは興奮します。
先日、大阪の堂島ホテルで開催されたアート・フェア「ARTinDOJIMA/OSAKA2007」では、東京から小野隆生の大作「表紙のない本」(80.0×220.0cm)を持ち込みました。今まで大阪で小品が紹介されたことはあるのですが、100号を超えるサイズのものが展示されたのは、おそらく初めてだと思います。
ときの忘れものとしては、小野隆生をアッピールできただけでもアートフェアへの参加は意義がありました。その上、作品が売れ、さらに会場に珍しい初期の秀作が持ち込まれたことは望外の喜びでした。
掲載した作品は、そんなわけで、大阪で入手した作品です。
詳しいタイトル、制作年などはイタリアの小野先生に問い合わせ中ですが、おそらく初個展開催の前後に制作された最初期の作品と思われます。
小野隆生の才能を早くから評価していたのは、現代画廊の洲之内徹さんでした。
1976年5月24日~6月2日の会期で開催された銀座・現代画廊で開催された小野隆生の初個展には下記のように「黙示」シリーズと題されたこれとよく似た椅子の連作が出品されています。



画廊主・洲之内徹さんは、芸術新潮の連載「気まぐれ美術館」で多くのファンをもちましたが、小野先生についても書いていて、「帰りたい風景 気まぐれ美術館」(昭和55年初版)の冒頭に<三浦さんと小野クン 小野隆生・三浦逸雄・川俣豊子>と題した文章が載っています。
さらに口絵にもカラーで小野作品が収録されています。
後にこの本が文庫化されるときに、新潮社から私どもに電話があって「文庫の表紙に小野隆生作品を使いたいので、ご遺族の連絡先を教えてください」といわれたときは仰天しました。
「小野先生はイタリアでお元気ですよ」
「えっ、生きているンですか」
「そんな歳じゃあありませんよ」などという珍妙なやりとりがあったのですが、表紙には小野先生の姉弟像が使われました。
いかにも時代に背を向けて淡々と描き続ける小野先生らしいエピソードですね。
上に掲載した初個展のパンフレットに洲之内さんが書いた文章を再録します。
「画廊から」 洲之内 徹
今年の一月、若い小野さん夫妻は、一匹の犬をつれてローマから帰ってきて、当分、独り者の市村修君の家で居候をしていた。犬が飼えるのを条件に部屋を探しているが、なかなか見つからず、見つかるまでそうしているのだと聞いて、私は、その犬というのはイタリー産の由緒ある血統の犬
か何かだろうと思ったのだが、よく聞いてみると、小野さんが日本を出る前に町で拾った仔犬をイタリーへつれて行き、こんどまたそれをつれて帰ってきたので、名前もムクというのであった。変った人だなとそのとき思ったが、考えてみると、ごく当り前のことのようでもある。可愛がってい
る犬を、自分の行くところどこへでもつれて行くというのは、むしろ自然だろう。
小野さんの仕事も、初め見たとき、ずいぶん変っているような気がしたが、これまた、格別変ってはいないのかもしれない。すくなくとも小野さん自身には、変ったことをしているという意識はなさそうである。例えば、小野さんは、いま自分は物の輪郭に非常に興味があると言うのだが、そういうところから客観に迫ってみようとしているのかもしれない。
それはともかく、小野さんの精緻を極めた仕事を見て私が最初に感じた驚きは、この人は何のためにこんなことをやっているのか、ということであった。途方もない無意味ではないかという疑問を持った。物をレンズが映すように見ようとすること、眼がレンズを模倣するということに、「描く」ということに慣れた私の常識は一種の倒錯を感じるのだ。だが、それが倒錯であってもなくても、私が倒錯を感じるそこのところに、逆に、私の古びた常識の上皮を剥がしにくる何かがあり、いまではそれが小野さんの仕事の、私にとっての烈しい魅力になっているようである。
1976年 現代画廊「小野隆生 油絵展」パンフレットより
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