昨日、オノサト・トシノブ先生と南画廊の志水楠男さんのことを書いていたら、途中でわが身の不甲斐なさに気付き、忸怩たる思いに。
そんなとき、ふと検索で昨年秋に開いた五十殿利治先生の瑛九展ギャラリートークに関連するある日記を発見した。
以下、勝手に引用させていただくと、
・・・・・「ときの忘れもの」という画廊の名前を初めて目にしたとき、ドキッとした。そして画廊からの帰り道には夕焼けを見上げながら胸が熱くなった。。。
私たちの存在も人生も時間の流れの中でいつか忘れられる。多くの創作された作品達もときの中で忘れられ埋もれていく。誰にも見つけられなくなった忘れ物のようにポツリと埋もれていく。。。そんな中から光を放つものを見つけて静かに誰かに伝え広めたいっていう画廊の方のココロザシを感じる名前に、こころが熱くなった。作品を『何百年後の人類への贈り物』と表現している画商の方の言葉にこころが熱くなった。
青山の裏通りにある建物も画商の方も集まる人もとてもすてきな画廊だった。
私も、いつか、そうやって誰かに思い出され発掘され再評価されるような、そんなモノ作りができたら。。。しあわせだと思う。
・・・・・・
ひとりでもそう感じてくださるお客がいるならば、画商の明日をもしれぬ心細さが少し癒される。
このところ、必要があって倉庫の書庫やら、自宅の本棚から帝国生命五十年史、花王石鹸五十年史などの社史や、渋沢栄一、藤山雷太、長井長義、高木兼寛などの伝記類を引っ張り出し読みふける毎日。いずれも重くて片手じゃあ辛い。
昔の人はよくもまあ、記録をちゃんととっておくものですなあ(とっておくに値する記録だということか)。
今の財界人たちが社長をやめても、果たして伝記になるかどうか。
ところで、本業では来週から、没後10年を迎える難波田龍起先生の小展覧会を開催します。
ご期待ください。
そんなとき、ふと検索で昨年秋に開いた五十殿利治先生の瑛九展ギャラリートークに関連するある日記を発見した。
以下、勝手に引用させていただくと、
・・・・・「ときの忘れもの」という画廊の名前を初めて目にしたとき、ドキッとした。そして画廊からの帰り道には夕焼けを見上げながら胸が熱くなった。。。
私たちの存在も人生も時間の流れの中でいつか忘れられる。多くの創作された作品達もときの中で忘れられ埋もれていく。誰にも見つけられなくなった忘れ物のようにポツリと埋もれていく。。。そんな中から光を放つものを見つけて静かに誰かに伝え広めたいっていう画廊の方のココロザシを感じる名前に、こころが熱くなった。作品を『何百年後の人類への贈り物』と表現している画商の方の言葉にこころが熱くなった。
青山の裏通りにある建物も画商の方も集まる人もとてもすてきな画廊だった。
私も、いつか、そうやって誰かに思い出され発掘され再評価されるような、そんなモノ作りができたら。。。しあわせだと思う。
・・・・・・
ひとりでもそう感じてくださるお客がいるならば、画商の明日をもしれぬ心細さが少し癒される。
このところ、必要があって倉庫の書庫やら、自宅の本棚から帝国生命五十年史、花王石鹸五十年史などの社史や、渋沢栄一、藤山雷太、長井長義、高木兼寛などの伝記類を引っ張り出し読みふける毎日。いずれも重くて片手じゃあ辛い。
昔の人はよくもまあ、記録をちゃんととっておくものですなあ(とっておくに値する記録だということか)。
今の財界人たちが社長をやめても、果たして伝記になるかどうか。
ところで、本業では来週から、没後10年を迎える難波田龍起先生の小展覧会を開催します。
ご期待ください。
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