20080331お花見お花見2私たちが住む新座は道路を走っていると実に殺伐としている。
長年住んでいながらどうも好きになれないのは、仕事場(画廊)のある青山が緑豊かで、歩道が日本一といっていいほど綺麗に整備されているのとどうしても比べてしまうからだ。
人間が歩く道を大切にしない町は美しくない。
画廊は日曜、月曜が休みなので、わが社長は日曜に掃除洗濯家事全般をかたづけ、月曜は近くのシネコンまで車を走らせ、映画を見たりする。今週も映画でたっぷり涙を流したあと、新座市の北西部境を流れる柳瀬川沿いの堤防の桜並木を散歩した。
実に見事な桜である。堤防の内側には、小学校、中学校、高校が並んでいる。
子供たちにとってもこの川沿いの道は気持ちいいに違いない。水と緑、こんな素晴らしい自然がありながら、道路ときたらトラックびゅんびゅん、歩道もないような怖い道が多く、幹線沿いを歩くのは命がけである。街路樹がないせいもあって風の強い日など砂埃が凄まじい。
社長の母校、茗荷谷の跡見学園が新座に大学のキャンパスをつくって随分となるが、駅から大学への並木一本ない殺伐とした道端をとぼとぼ通う女学生を見ると可愛そうになる。
新座市のHPに掲載された「ふるさと にいざ景観30選」などを見れば、平林寺はじめ緑の豊かな場所がたくさんあるのに、道が殺伐としているせいで、日々の生活に潤いがない。
私の記憶に間違いがなければ1970年代、新座市の人口増加は日本一だった。急激にベッドタウンとして膨張した新座は、きちんとした都市計画もなされぬまま、ただ車優先の道路をつくり、町並みを整えることなど考えることもしなかったのだろう。
もし、百年の計を考え、歩道をちゃんととり、街路樹を市内すべての道に植えたら、新座はどんなに美しい町になるだろうか。市長さん、何とかしてくださいね。

お花見をしながらそんなことを考えていたら、私の古巣の毎日新聞社から凄い写真集が出た。
1960年代の東京1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶
  写真:池田信
  解説:松山巌
  毎日新聞社刊
  価格:2,940円

このところ悪いニュースが続く毎日新聞だが(先日は配達時間が連日遅れて、多数の読者の皆さんにご迷惑をおかけしました。毎日販売局のOBとして心よりお詫び申し上げます)、日本の近現代史に貴重な資料を提供するに違いない重量級の写真集を次々と刊行している。
膨大なネガから担当編集者・平嶋彰彦が毎日新聞の暗室に籠もり焼いた『宮本常一 写真・日記集成』(全2巻・別巻1)が2005年に、さらに戦後建築の傑作にして私のサラリーマン生活の故郷『パレスサイドビル物語―ビルに歴史あり』が2006年に刊行され、そして今回は『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』である。
いずれも編集したのは私の同期・平嶋彰彦だ。

平嶋からの手紙をそのまま引用すると、
<■著者の池田信は1978年に75歳で他界した無名の写真家で、生前は都の職員でした。都立日比谷図書館の資料課長だった1961年から、職務のかたわら休日を利用して、東京の街を歩き写真に記録し続けました。■1964年の東京オリンピックを契機に、新時代の交通形態として登場した高速道路が河川を埋め立てたり、河川に橋脚を林立する形で建設されました。一方では、都心を縦横に走っていた都電が赤字と交通渋滞の元凶を理由に次々に廃止されていきました。■幕末から明治の初めに日本を訪れた多くの外国人たちが東京(江戸)の水辺の美しさに目を奪われています。現在の風景からは想像できませんが、かつての東京は紛れもない水の都で、東洋のベニスとまで称賛されていました。■交通形態の転換はそれと密接な関係で形成された歴史的な風景に変容を迫ります。私たちは高速道路や地下鉄によって効率や利便性を手にした半面で、江戸時代から形成された文化遺産ともいうべき水辺の都市空間を失うことになりました。■池田は過去を切り捨てて省みない当時の風潮に危機感を募らせ、「まだ明治や大正の僕をいくらか残している康京の姿」(『みなと写真散歩』、自費出版)をせめて写真に記録して残そうとしました。都立日比谷図書館の資料課長だった池田は、彼が仕事でいつも接している貴重な歴史資料に匹敵する「昔を偲ぶよすが」(前掲書)になると予感したからです。■今回の写真集は池田信のライフワークともいうべき未公表の写真2万数千カットから、東京の水辺と都電沿線の風景を中心に構成したものです。>
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ついでに平嶋が編集した『パレスサイドビル物語―ビルに歴史あり』を紹介しておく。
書影『ビルに歴史あり パレスサイドビル物語』
編者:毎日ビルディング
発行:毎日新聞社, 2006年
ページ数、サイズ:100p, 303×220mm
編集人:土屋繁
編集:平嶋彰彦、木村喜男
写真:村井修、平嶋彰彦、野田武、宇野求、林周治、毎日新聞写真部、毎日新聞出版写真部、毎日新聞航空部


私は、1993年に資生堂ギャラリーで開催された『銀座モダンと都市意匠 今和次郎、前田健二郎、山脇巌・道子、山口文象』展(監修:藤森照信・植田実)の企画に参加し、大正~昭和初期にかけての銀座にどっぷりつかったことがある。
当時、銀座は四方を水に囲まれたまさに「水の都」だった。
今回刊行された池田信『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(総240ページ)をひもとくと、東京全体がかつては水に豊かに囲まれた都市だったことがよくわかる。
車優先の町づくりがいかに人々の生活を破壊してきたか。
私が大学入学のため上京したのが1964年、東京オリンピックの年だった。ちょうど東京が大変貌をとげた時期です。この写真集に収められた水の東京の記憶がかすかにあります。
お薦めの一冊です。