北川太一今年も、高村光太郎の命日の4月2日に日比谷公園の中にあるレストラン松本楼で、第52回連翹忌が開催された。
私たちが参加したのは1992年の第36回(会場は資生堂パーラー)からだが、光太郎の没後ずっと続いているこの会には今年も全国から光太郎・智恵子を慕う老若男女70名が集まった。
1~50回までの事務局を担当されていた北川太一先生(高村光太郎記念会事務局長)は50回を機に若い世代に譲られたが、お元気な姿を今年も見せてくださった。
私たちはもちろん光太郎には一面識もないが、無私の極地ともいえるひたむきな姿勢で光太郎・智恵子の顕彰に努められてきた北川先生を慕っての参加である。北川先生ほど資料を独占せず誰にでも公開し、種々の催しに尽力すれども金銭には全くタッチしないという清廉な研究者を私は知らない。
全国に光太郎・智恵子の顕彰グループや研究会は数多く存在するが、それら立場を異にする多くの人びとが毎年、光太郎の命日に参集するのは北川先生の存在あってのことだろう。
冒頭の挨拶で、北川先生は第1回から一昨年の第50回までただ一人全回参加の新潮社の佐野英夫さんが今年1月亡くなられたことを告げられた。主宰者の北川先生でさえ一度病気で欠席されている。因みに北川先生編による『連翹忌五十年』(2007年、高村光太郎記念会刊、限定200部)には、1956年4月3日の通夜、翌日の会葬者から始まり、1957年4月2日の第1回連翹忌から、2006年の第50回の出席者まで全氏名が克明に記録されている。
今年も発掘された書簡等の新資料を将来の第三次全集刊行に向けて蓄積、データ化し、「全集補遺・没後年譜」が参加者に配布された。
田辺市美・智恵子抄展光太郎懇話会報佐藤・光太郎と赤城
和歌山県田辺市立美術館で今月19日から開催される「智恵子抄~光太郎・智恵子と佐藤春夫」展などのチラシ類が会場で配布されたが、今年も様々な展覧会やイベントが計画され、関連書籍の刊行も続いている。

ときの忘れものでは4月4日~4月19日まで「フォーゲラーとその時代展」を開催していますが、ちょうど連翹忌の会場には、山梨県清里にフォーゲラーたちのヴォルプスヴェーデにならい<自然に心を研ぎ澄ますこと、人と心を通わせること、時と社会の流れに心を震わせること、・・・・美しい自然の中で、そういう営みを気づかせてくれる>空間として開設された<詩と音楽・絵画・建築との出会いのギャラリー譚詩舎>の布川鴇さんも出席されており、ご挨拶することができました。この夏、清里でフォーゲラー展を開催されるそうです、楽しみですね。