リニューアルされた群馬県立近代美術館で開催中の磯崎新展の図録をご紹介します。
群馬図録表紙群馬図録裏表紙

群馬図録28p群馬図録42p

群馬図録84p『ARATA ISOZAKI SEVEN ART GALLERIES』
 2008年 
 16×16cm 128ページ
 テキスト=藤江秀一、谷内克聡、吉野弘、中森紫光
 編集=群馬県立近代美術館+磯崎新アトリエ
 発行=磯崎新アトリエ
*ときの忘れもので扱っています。ご注文はメールでどうぞ。

群馬は私の故郷であり、県立美術館は特に愛着が深い。編集者時代には企画展のお手伝いもいくつかさせていただき、画商としては作品も購入していただいた。
その館長を19年にわたり務めた中山公男先生は、去る2月21日に81歳で亡くなられた。

中山先生を偲ぶ会が、昨日5月17日有楽町の東京會舘で開催され、社長と二人出席しました。
先週の松永伍一先生を偲ぶ会が下町の風呂屋の二階の小さなスタジオで開かれたのに対し(とても心のこもったいい会でした)、中山先生を偲ぶ会は皇居を見下ろす大会場で、日本の美術界がすべて揃ったかのような盛大な会でした。
発起人は、
青柳正規(国立西洋美術館館長、全国美術館会議会長)
樺山紘一(地中海学会会長)
木島俊介(群馬県立近代美術館館長)
酒井忠康(世田谷美術館館長、美術館連絡協議会会長)の4氏。

建築家の高橋靗一さん(第一工房を主宰)、作家の丸谷才一さん(中山先生と旧制新潟高校の同級生)、美術史家の辻佐保子さん(辻邦生夫人)らがそれぞれユニークなスピーチで故人を偲んだ。
丸谷さんがドイツ語の試験に寝過ごしたのを試験会場で気づいた中山先生はご自分の答案を10分かそこらでさっさと片付け(それくらい語学は堪能だった)、寮の部屋に起こしにかけつけ、そのおかげで丸谷さんはあやうく落第をまぬかれたエピソードなど、中山先生の友情あつい姿を彷彿とさせるものでした。
美術史家では抜群の文章力で、晩年に著した『私たちは、私たちの世代の歌を持てなかった。ある美術史家の自伝的回想』(2004年、生活の友社)や、『西洋の誘惑』(2004年、印象社)は今となれば遺言のようにも思える、名著です。
「徳は孤ならず」、悪趣味を嫌った中山先生のご冥福を心よりお祈りします。
丸谷才一
スピーチをする丸谷才一さん。右は司会の木島俊介さん。

中山公男(なかやま きみお、1927年1月3日 - 2008年2月21日)
大阪府大阪市船場に生まれる。旧制新潟高等学校から、1950年東京大学文学部美学美術史学科卒業。女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て1959年国立西洋美術館主任研究官。1963年より文部省在外研修員としてヨーロッパに滞在し、1968年万国博覧会参事、西洋美術館学芸課長を務め、1971年退官。1986年より群馬県立近代美術館館長、1987年筑波大学教授(~1990年)、1991年明治学院大学教授(~1997年)。2008年死去、享年81。
中山先生が寄贈した世界各国の美術図書約3000冊を基盤に、公益法人吉野石膏美術振興財団内に中山美術文庫が設立されています。
著書『西洋の誘惑』(新潮社 1968年)、『美しき禍い』(小沢書店 1988年)、『私たちは、私たちの世代の歌を持てなかった。ある美術史家の自伝的回想』(生活の友社 2004年)

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