ちょうど2008年7月15日付で、バーナード・レイトナー編/磯崎新訳『ウィトゲンシュタインの建築(新版)』が青土社から刊行されたので(1989年に出された本の復刊、184ページ、2,200円)、ついでに磯崎新の銅版画についてご紹介しましょう。

出版に経緯については、磯崎新先生のあとがきをそのまま引用させていただきます。
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新版のための訳者あとがき
はじめてこの建物の前に立ったのは一九六八年のこと。ミラノで五月革命の余波にまきこまれ、パリへは行けずウィーンを廻った。このときハンス・ホラインがストンボロウ邸が売りに出されているといって一緒に見に行った。勿論なかには入れてくれなかった。
しばらくして、ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』(一九七二)にその内部の光景が記録されていることが話題になった。私は見る機会がなかった。それでもバラバラの情報があったのか、私は『表現の構造について』(『岩波講座 文学1文学表現とはどのような行為か』一九七五、岩波書店)でウィトゲンシュタインの「いえのかたちをした論理」について書いた。
その参考のためだったかどうか、前後の記憶がおぼつかないけど、この『ウィトゲンシュタインの建築』の逐語訳をしてあった。それが多木浩二さんの手に渡って、十年余りのちにこの本になった。そのあたりのことは、『栖(すみか)十二』(一九九九、住まいの図書館出版局)のなかの第八信「ストンボロウ邸」のなかでふれてある。
いまでは『建築家・ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン』(Ludwig Wittegenstein, Architect by Paul Wijdeveld, The MIT Press,1994)など、数多くの研究書があらわれている。だか、このバーナード・レイトナーの本が出版されたときの清冽な印象をこえるものはまだない、と私は思う。誰もが引用する『論理哲学論考』の箴言、「―およそ語られうることは、あきらかに語られうる。そして語りえないことがらについては沈黙しなければならない。」を、そっくり本のかたちにしているからだ。正確な図面と写真だけがあって、余分なものがいっさいはぶかれている。そんなわけでこの「あとがき」も無用だと思うけど、四〇年前にうすよごれた箱型の物体を見上げたときの記憶に免じて蛇足をお許し願いたい。
二〇〇八年五月 磯崎新
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文中にある『栖(すみか)十二』のもととなったのは、1998年8月から1999年9月にかけて、「住まいの図書館出版局」と「ときの忘れもの」の共同企画で、予約購読してくださった少数の人々に向けて毎月、磯崎先生の書き下ろしエッセイと銅版画を組み合わせオリジナルパッケージまで制作して、全国12箇所の郵便局から発信した書簡形式の連刊画文集のことです。
内容は、古今の建築家12人が設計した「栖」について語る12章のエッセイと、12点の銅版画よりなり、12の場所から、12の日付けのある書簡として限定35部制作され、35人に郵送されました。
そして完結後に住まいの図書館出版局から単行本として刊行されました(2,600円+税)。
さらに、挿入された12点の銅版画は、未発表の28点とあわせ、連作40点組(挿画1~挿画40)の磯崎新銅版画集[栖 十二]として「ときの忘れもの」のエディションとして発表しました。
磯崎新“栖 十二”第8信より 挿画25/[ストンボロウ邸]ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン
1998~1999年 銅版 15.0×10.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 銅版単色刷り Ed.27
磯崎新“栖 十二”第8信より 挿画26/[ストンボロウ邸]ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン
1998~1999年 銅版 10.0×15.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 単色刷り Ed.27
磯崎新“栖 十二”第8信より 挿画27/[ストンボロウ邸]ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン
1998~1999年 銅版 15.0×10.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 銅版単色刷り Ed.27
磯崎新“栖 十二”第8信より 挿画28/[ストンボロウ邸]ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン
1998~1999年 銅版 15.0×10.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 銅版単色刷り Ed.27
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出版に経緯については、磯崎新先生のあとがきをそのまま引用させていただきます。
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新版のための訳者あとがき
はじめてこの建物の前に立ったのは一九六八年のこと。ミラノで五月革命の余波にまきこまれ、パリへは行けずウィーンを廻った。このときハンス・ホラインがストンボロウ邸が売りに出されているといって一緒に見に行った。勿論なかには入れてくれなかった。
しばらくして、ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』(一九七二)にその内部の光景が記録されていることが話題になった。私は見る機会がなかった。それでもバラバラの情報があったのか、私は『表現の構造について』(『岩波講座 文学1文学表現とはどのような行為か』一九七五、岩波書店)でウィトゲンシュタインの「いえのかたちをした論理」について書いた。
その参考のためだったかどうか、前後の記憶がおぼつかないけど、この『ウィトゲンシュタインの建築』の逐語訳をしてあった。それが多木浩二さんの手に渡って、十年余りのちにこの本になった。そのあたりのことは、『栖(すみか)十二』(一九九九、住まいの図書館出版局)のなかの第八信「ストンボロウ邸」のなかでふれてある。
いまでは『建築家・ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン』(Ludwig Wittegenstein, Architect by Paul Wijdeveld, The MIT Press,1994)など、数多くの研究書があらわれている。だか、このバーナード・レイトナーの本が出版されたときの清冽な印象をこえるものはまだない、と私は思う。誰もが引用する『論理哲学論考』の箴言、「―およそ語られうることは、あきらかに語られうる。そして語りえないことがらについては沈黙しなければならない。」を、そっくり本のかたちにしているからだ。正確な図面と写真だけがあって、余分なものがいっさいはぶかれている。そんなわけでこの「あとがき」も無用だと思うけど、四〇年前にうすよごれた箱型の物体を見上げたときの記憶に免じて蛇足をお許し願いたい。
二〇〇八年五月 磯崎新
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文中にある『栖(すみか)十二』のもととなったのは、1998年8月から1999年9月にかけて、「住まいの図書館出版局」と「ときの忘れもの」の共同企画で、予約購読してくださった少数の人々に向けて毎月、磯崎先生の書き下ろしエッセイと銅版画を組み合わせオリジナルパッケージまで制作して、全国12箇所の郵便局から発信した書簡形式の連刊画文集のことです。
内容は、古今の建築家12人が設計した「栖」について語る12章のエッセイと、12点の銅版画よりなり、12の場所から、12の日付けのある書簡として限定35部制作され、35人に郵送されました。
そして完結後に住まいの図書館出版局から単行本として刊行されました(2,600円+税)。
さらに、挿入された12点の銅版画は、未発表の28点とあわせ、連作40点組(挿画1~挿画40)の磯崎新銅版画集[栖 十二]として「ときの忘れもの」のエディションとして発表しました。
1998~1999年 銅版 15.0×10.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 銅版単色刷り Ed.27
1998~1999年 銅版 10.0×15.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 単色刷り Ed.27
1998~1999年 銅版 15.0×10.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 銅版単色刷り Ed.27
1998~1999年 銅版 15.0×10.0cm(紙38.0×28.5cm)
A版 銅版+手彩色 Ed.8
B版 銅版単色刷り Ed.27
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