夏も終わりに近づいてきました。
フォーゲラーは私の好きな画家で、ときの忘れものでも2006年と今年2008年4月にも展覧会を開いています。
山梨県の清里高原にある「ギャラリー譚詩舎」で「リルケとフォーゲラー展」が開催されています。
会期=2008年8月8日(金)~9月27日(土)
金曜~土曜 午前11時~午後4時半まで開廊
入場料=700円
会場=山梨県北杜市高根町清里3545-1 森のプラザ202「ギャラリー譚詩舎」
*JR小海線「清里駅」より1.8km、遠方よりお越しの方はご連絡ください。
問い合わせは、090-1049-8412、<tanshisha@xx.em-net.ne.jp>へ
リルケとフォーゲラー展フライヤーリルケとフォーゲラー展フライヤー裏
以下、ギャラリー譚詩舎からの案内を転載します。
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「二十世紀前半は史上希にみる激動の時代だった。とりわけドイツ語圏は、第二帝政興隆期、第一次世界大戦、ワイマル共和国時代、そしてナチ独裁制時代、第二次世界大戦と、社会はほとんど十年単位で目まぐるしく、しかも根こそぎ変化するというありさまだったから、この時期を生きてゆく詩人や芸術家はだれしも社会の激流に翻弄されて苦しみ悩んだ。たいていの人は5年ないし10年ぐらい表舞台で活躍すると消えてゆくというふうに、文学・芸術の担い手も激しく交代した。その間にあって、時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いたのは小説家トーマス・マンと演劇人ベルトルト・ブレヒトだけといってよい。詩人にはそういう存在は見当たらないが、さしずめリルケが長生きしたとすれば、その二人と肩を並べる仕事をしたかもしれない。しかし反ナチズム色の弱い、壮大な内面世界の構築を推し進める方向のものとなったであろうと想像される。ところでフォーゲラーについてはどうだろう。彼は時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いた人だったといえるのか。あるいは、フォーゲラーの人生は錯誤の連続だったのだろうか。」(神品芳夫 「リルケとフォーゲラー」より)
1911年(明治44年)12月、雑誌「白樺」はハインリッヒ・フォーゲラー特集号を出し、柳宗悦が「フォーゲラーの芸術」という題の評論によって、フォーゲラーを日本に紹介しました。そのとき口絵に使われたのは「春」(1896年)でした。 
今夏、ギャラリー譚詩舎では、ハインリッヒ・フォーゲラーの初期のエッチングを展示し、かつて詩人ライナー・マリア・リルケも一時期、共に過ごしたことのある、20世紀末の北ドイツの芸術家村ヴォルプスヴェーデからの清澄な風を、八ヶ岳山麓の清里高原へと呼び込みます。そしてその時代と、集った芸術家たちのその後の生涯と作品に思いを馳せ、今日に続く芸術たちの存在の意味を問いたいと思います。どうぞお出かけ下さい。
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リルケとフォーゲラー展図録同展図録