「ヤン・ソーデック写真展」が昨日終了しました。
あまり知名度もないのでどうかしらと思っていたのは、私どものとんだ不勉強で、若い女性のお客様が多かったのには驚きました。中にはプラハまで行き、個展を見て、ソーデックにも会ってきたというお嬢さんもいらっしゃいました。
チェコ共和国で今も活躍を続けるヤン・ソーデックの写真は、私たち世代の者にとっては、1968年のチェコ事件「プラハの春」を想起せざるを得ません。私はその年、大学を卒業してしまい、就職もできず、どこにも居場所のない暗い日々を送っていました。
チェコスロヴァキアという国は、1918年から1992年に存在し、ソ連圏の崩壊後はチェコとスロバキアに分離しました。
古い地下室の朽ちかけた壁に投影したイメージをバックに少女や熟年のモデルを配して特異な世界を展開するソーデックの写真はときにはグロテスクにも見えますが、あるものをただ写すのではなく、自らの伝えたいメッセージを様々なテクニックを駆使して創りあげる姿勢には一貫したものがあります。6人の兄弟を強制収容所で亡くすという悲劇を経験したソーデックがプラハで初個展を開いたのが1963年、チェコ事件後の1971年には、彼の重要なモチーフとなる「壁」を発見します。
その「壁」はチェコスロヴァキアを覆っていた抑圧の壁かも知れません。
展覧会は終了しましたが、作品はときの忘れものにありますので、ご興味のある方は、ぜひ画廊の扉を開けてください。
非日常の特異な世界を描いたソーデックから一転、<日常の記録を通して芸術を考える>姿勢で「日記」シリーズという大連作を淡々と制作し続ける野田哲也の作品をご紹介します。
野田哲也「Diary:Sept.10th '72」
1972 lithograph
Image Size 53.5×38.0cm
Sheet Size 66.0×50.5cm
Ed.100 Signed *レゾネNo.117
野田哲也「Diary:June 29th '75(b)」
1975 lithograph
Image Size 50.5×38.0cm
Sheet Size 66.0×50.5cm
Ed.100 Signed *レゾネNo.164
野田哲也「Diary:Dec.19th '79」
1979 Woodcut,Screenprint
Image Size 22.0×15.3cm
Sheet Size 31.5×24.5cm
Ed.100 Signed *レゾネNo.235
野田哲也「Diary:Nov.24th '81」
1981 Woodcut,Screenprint
Image Size 8.5×14.0cm
Ed.1000 Signed *レゾネNo.256
野田哲也「Diary:April.25th '82」
1982 Woodcut,Screenprint
Image Size 13.5×9.0cm
Ed.1000 Signed *レゾネNo.260
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◆野田哲也(のだ てつや 1940年熊本県生まれ)
野田哲也のライフワークである「日記」シリーズは、1968年の第6回東京国際版画ビエンナーレ展で国際大賞を受賞するなど、その始まりから高い評価を受けています。作家自身が撮影した写真を使い、主にシルクスクリーンと木版の併用技法により作家の日常を淡々と綴っているこの大連作は、見るものにあらためて生きることとはどういうことかを考えさせます。題名は全て「日記」の日付になっていて、作家自身の家族や知人の肖像、旅や日常的な光景などが記録されています。
東京芸術大学美術学部油絵科卒業。以後、クラコウ国際版画ビエンナーレ、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ、ノルウェー国際版画ビエンナーレ、イギリス国際版画ビエンナーレ、リュブリアナ国際版画ビエンナーレなど各国際展で軒並み受賞。日本を代表する版画作家として活躍を続けています。
あまり知名度もないのでどうかしらと思っていたのは、私どものとんだ不勉強で、若い女性のお客様が多かったのには驚きました。中にはプラハまで行き、個展を見て、ソーデックにも会ってきたというお嬢さんもいらっしゃいました。
チェコ共和国で今も活躍を続けるヤン・ソーデックの写真は、私たち世代の者にとっては、1968年のチェコ事件「プラハの春」を想起せざるを得ません。私はその年、大学を卒業してしまい、就職もできず、どこにも居場所のない暗い日々を送っていました。
チェコスロヴァキアという国は、1918年から1992年に存在し、ソ連圏の崩壊後はチェコとスロバキアに分離しました。
古い地下室の朽ちかけた壁に投影したイメージをバックに少女や熟年のモデルを配して特異な世界を展開するソーデックの写真はときにはグロテスクにも見えますが、あるものをただ写すのではなく、自らの伝えたいメッセージを様々なテクニックを駆使して創りあげる姿勢には一貫したものがあります。6人の兄弟を強制収容所で亡くすという悲劇を経験したソーデックがプラハで初個展を開いたのが1963年、チェコ事件後の1971年には、彼の重要なモチーフとなる「壁」を発見します。
その「壁」はチェコスロヴァキアを覆っていた抑圧の壁かも知れません。
展覧会は終了しましたが、作品はときの忘れものにありますので、ご興味のある方は、ぜひ画廊の扉を開けてください。
非日常の特異な世界を描いたソーデックから一転、<日常の記録を通して芸術を考える>姿勢で「日記」シリーズという大連作を淡々と制作し続ける野田哲也の作品をご紹介します。
1972 lithograph
Image Size 53.5×38.0cm
Sheet Size 66.0×50.5cm
Ed.100 Signed *レゾネNo.117
野田哲也「Diary:June 29th '75(b)」1975 lithograph
Image Size 50.5×38.0cm
Sheet Size 66.0×50.5cm
Ed.100 Signed *レゾネNo.164
1979 Woodcut,Screenprint
Image Size 22.0×15.3cm
Sheet Size 31.5×24.5cm
Ed.100 Signed *レゾネNo.235
1981 Woodcut,Screenprint
Image Size 8.5×14.0cm
Ed.1000 Signed *レゾネNo.256
1982 Woodcut,Screenprint
Image Size 13.5×9.0cm
Ed.1000 Signed *レゾネNo.260
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◆野田哲也(のだ てつや 1940年熊本県生まれ)
野田哲也のライフワークである「日記」シリーズは、1968年の第6回東京国際版画ビエンナーレ展で国際大賞を受賞するなど、その始まりから高い評価を受けています。作家自身が撮影した写真を使い、主にシルクスクリーンと木版の併用技法により作家の日常を淡々と綴っているこの大連作は、見るものにあらためて生きることとはどういうことかを考えさせます。題名は全て「日記」の日付になっていて、作家自身の家族や知人の肖像、旅や日常的な光景などが記録されています。
東京芸術大学美術学部油絵科卒業。以後、クラコウ国際版画ビエンナーレ、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ、ノルウェー国際版画ビエンナーレ、イギリス国際版画ビエンナーレ、リュブリアナ国際版画ビエンナーレなど各国際展で軒並み受賞。日本を代表する版画作家として活躍を続けています。
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