スタッフの三浦と尾立による「写真に恋する」連載はいかがでしたでしょうか。最近は写真に恋する女性も随分と増えてきたようです。最終日に来廊されお買い上げになったのも女性でした。これからも写真の素晴らしさをご紹介してまいりますのでどうぞよろしく。
さて、久しぶりに私も先日経験したちょっとした事件について書いてみましょう。
私は美術に触れるのは随分と遅かった。学生時代は音楽一筋でした。
社会人になって初めての勤めが竹橋の毎日新聞社だったのですが、目の前に開館したばかりの東京国立近代美術館があった。なぜか日々鬱屈しており、ひとりで昼休みに通って、野田英夫、ロベール・ドローネ、松本竣介らの常設展示を見た後、階上の喫茶コーナーでぼーとしていました。私が美術を本格的に見出したのはその頃からで、画商としては奥手ですね。
画商になるなんて夢にも思わなかったサラリーマン時代に好きになった作家には、上述の他に、セガンティーニ、山口薫、香月泰男、ムンク、恩地孝四郎、駒井哲郎らがいます。瑛九はその当時はかすりもしなかった。坂田一男という画家のことを知ったのも美術界に入ってからです(坂田作品との出会いについてはいずれ書いておきたい)。
30数年間、これらの作家のほとんどを画商として扱ってきましたが、ただ一人、坂田一男だけはいまだ一点も売り買いしたことがありません。
先日、某オークションから送られてきたカタログにその坂田一男が3点も出品されている!
『ギンザアバウト』(1995年・ザ・ギンザ発行)という本に私は以下のように坂田を紹介したことがあります。
・・・・坂田は知る人ぞ知る抽象画の先駆者である。大正10年パリに留学、レジェの研究所では彼のかわりに指導したという。帰国後は故郷岡山県に籠り画壇とは一切縁を絶ち昭和31年に没した。生涯独身、水害でアトリエが水浸しになるなどで、残された絵は極めて少ない。私も倉敷の大原美術館などで数点を見ただけだった。・・・・


私にとって、坂田一男は生涯に一点でいいから入手したい作家である。それが一度に3点も、それも<成り行き>で出品されるなんて!!! 奇跡的な大事件です。
倉敷市立美術館や、岡山県立美術館で回顧展が開催されていますし、1979年には東京でも素晴らしい展覧会が銀座の画廊アルファで開催されました。忘れがたい展覧会でした。「芸術海岸」に画像がいくつか掲載されているので、オリジナルの素晴らしさはご理解いただけるでしょう。
そこで上掲の某オークションの出品作品3点です。
おかしい!!! 小さな画像でよくわからないのですが線も弱く稚拙です。No.541「金魚」とある作品など、名著『宿命の抽象画家 坂田一男』(小倉忠夫編、1966年 美術出版社)掲載の口絵『コンポジション』とそっくりです。模写??
常識的に考えて(私らの世代の常識ですが)あの坂田一男が3点も一度に出て来るなんてありえない。(なぜあり得ないのか説明すると長くなるので、今回ははしょります)
もしそれがホンモンだったら、月末の支払いをどこか踏み倒してでも落としたい。
社長に財源確保を懇願するとともに(さすが社長、オークションには自分で出席すると言う、私にまかせたらとんでもなく高く競ると思ったンでしょうね)、オークション会社の担当者に電話しました。
「あのサカタカズオは大丈夫か。出所は確かか。なぜ成り行きなんだ。云々・・」
若くて美しい担当者はもちろんサカタカズオなんて知らない。知っていたら成り行きなんかで出すはずがない。その他有象無象の出品作の中の小品、たかが成り行きじゃあないかと思ったかどうか。
めんどうだと思ったようですが、うるさい私の言うことなので、「調べてから電話します」とのお答え。
それから数日後、「すいません、あれは出品取り消します。」
やはり偽物でしたか・・・・
やれやれ、とんだひとときの夢物語でした。おかげで月末は無事支払いを済ませました。
それにしても上記の3点、これからどこへ行くんでしょう・・・・、聞けば出品者自ら「成り行きでいい」といったとか。随分と舐められたもんです。私ばかりじゃなく、銀座の名だたる画廊に持ち込めば(本物なら)どこでも高く買い取るはず。明らかに確信犯でしょう。あの分厚く立派なカタログが悪用されなければいいのですが。
画商にとって偽物を売ることは最大の恥辱です。日本のオークション会社の歴史の浅さがこういう事態を生むのでしょうね。
私、生きている間に本物の坂田一男を買うことができるでしょうか。

左は昨年開催された岡山県立美術館でのホンモノの回顧展図録です。
小倉忠夫編
『宿命の抽象画家 坂田一男』
1966年
美術出版社 発行
179ページ
18.8x13.5cm
*坂田一男に関する基本文献。
古本屋にもなかなか無い稀少本です。
さて、久しぶりに私も先日経験したちょっとした事件について書いてみましょう。
私は美術に触れるのは随分と遅かった。学生時代は音楽一筋でした。
社会人になって初めての勤めが竹橋の毎日新聞社だったのですが、目の前に開館したばかりの東京国立近代美術館があった。なぜか日々鬱屈しており、ひとりで昼休みに通って、野田英夫、ロベール・ドローネ、松本竣介らの常設展示を見た後、階上の喫茶コーナーでぼーとしていました。私が美術を本格的に見出したのはその頃からで、画商としては奥手ですね。
画商になるなんて夢にも思わなかったサラリーマン時代に好きになった作家には、上述の他に、セガンティーニ、山口薫、香月泰男、ムンク、恩地孝四郎、駒井哲郎らがいます。瑛九はその当時はかすりもしなかった。坂田一男という画家のことを知ったのも美術界に入ってからです(坂田作品との出会いについてはいずれ書いておきたい)。
30数年間、これらの作家のほとんどを画商として扱ってきましたが、ただ一人、坂田一男だけはいまだ一点も売り買いしたことがありません。
先日、某オークションから送られてきたカタログにその坂田一男が3点も出品されている!
『ギンザアバウト』(1995年・ザ・ギンザ発行)という本に私は以下のように坂田を紹介したことがあります。
・・・・坂田は知る人ぞ知る抽象画の先駆者である。大正10年パリに留学、レジェの研究所では彼のかわりに指導したという。帰国後は故郷岡山県に籠り画壇とは一切縁を絶ち昭和31年に没した。生涯独身、水害でアトリエが水浸しになるなどで、残された絵は極めて少ない。私も倉敷の大原美術館などで数点を見ただけだった。・・・・


私にとって、坂田一男は生涯に一点でいいから入手したい作家である。それが一度に3点も、それも<成り行き>で出品されるなんて!!! 奇跡的な大事件です。倉敷市立美術館や、岡山県立美術館で回顧展が開催されていますし、1979年には東京でも素晴らしい展覧会が銀座の画廊アルファで開催されました。忘れがたい展覧会でした。「芸術海岸」に画像がいくつか掲載されているので、オリジナルの素晴らしさはご理解いただけるでしょう。
そこで上掲の某オークションの出品作品3点です。
おかしい!!! 小さな画像でよくわからないのですが線も弱く稚拙です。No.541「金魚」とある作品など、名著『宿命の抽象画家 坂田一男』(小倉忠夫編、1966年 美術出版社)掲載の口絵『コンポジション』とそっくりです。模写??
常識的に考えて(私らの世代の常識ですが)あの坂田一男が3点も一度に出て来るなんてありえない。(なぜあり得ないのか説明すると長くなるので、今回ははしょります)
もしそれがホンモンだったら、月末の支払いをどこか踏み倒してでも落としたい。
社長に財源確保を懇願するとともに(さすが社長、オークションには自分で出席すると言う、私にまかせたらとんでもなく高く競ると思ったンでしょうね)、オークション会社の担当者に電話しました。
「あのサカタカズオは大丈夫か。出所は確かか。なぜ成り行きなんだ。云々・・」
若くて美しい担当者はもちろんサカタカズオなんて知らない。知っていたら成り行きなんかで出すはずがない。その他有象無象の出品作の中の小品、たかが成り行きじゃあないかと思ったかどうか。
めんどうだと思ったようですが、うるさい私の言うことなので、「調べてから電話します」とのお答え。
それから数日後、「すいません、あれは出品取り消します。」
やはり偽物でしたか・・・・
やれやれ、とんだひとときの夢物語でした。おかげで月末は無事支払いを済ませました。
それにしても上記の3点、これからどこへ行くんでしょう・・・・、聞けば出品者自ら「成り行きでいい」といったとか。随分と舐められたもんです。私ばかりじゃなく、銀座の名だたる画廊に持ち込めば(本物なら)どこでも高く買い取るはず。明らかに確信犯でしょう。あの分厚く立派なカタログが悪用されなければいいのですが。
画商にとって偽物を売ることは最大の恥辱です。日本のオークション会社の歴史の浅さがこういう事態を生むのでしょうね。
私、生きている間に本物の坂田一男を買うことができるでしょうか。

左は昨年開催された岡山県立美術館でのホンモノの回顧展図録です。
小倉忠夫編『宿命の抽象画家 坂田一男』
1966年
美術出版社 発行
179ページ
18.8x13.5cm
*坂田一男に関する基本文献。
古本屋にもなかなか無い稀少本です。
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