年内は今日までの美術館が多く、今日は展覧会の回り納めをして来ました。
まず、以前このブログでも紹介しました板橋区立美術館の「新人画会展」へ。
板橋区立美術館に行くのは、15年振りくらいかもしれません。すっかり道順など忘れていましたので、ネットで調べて、西高島平から歩きましたが、それでも、思ったほど遠くはありませんでした。
「新人画会」は、第二次大戦末期の1943年に靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介の8人の画家の交友により結成された会で、行われた展覧会は3回のみでした。それでも、このような時代背景の中で作品を制作し、発表しようとした若い画家たちの思いは、その作品に表れています。当時の展覧会に出品されていた作品を特定するだけでもたいへんだったでしょうし、それらを集めるのはなおたいへんだったと思われます。そして、第三回展を開催した、当時の資生堂ギャラリーを再現したり(当時の展覧会名を書いたレタリングが美しい!)、資料も併せて見ることが出来ます。資料として展示されていた、画布や絵の具の配給券など初めてその存在を知りました。
私は、松本竣介の作品をこれだけまとめて見るのは初めてでしたが、実は今回一番気に入ったのは墨で描かれた下絵作品でした。他の作家の作品も初めて見る作品が多く、もっと時間をかけて見たい展示でした。(2009年1月12日まで)
美術館前からバスで成増へ。池袋に出て西武池袋線で中村橋へ。
練馬区立美術館で「石田徹也展」を見ました。話題の展覧会の最終日ということもあって観客の数はかなり多かったようです。
石田徹也の作品を実際に見たのは、もしかすると初めてかもしれません。雑誌などの媒体でよく見るので、見たような気になっていましたが、やはり実物は力があります。展示全体を見渡すと、まるで自死するに至る遺書を見せられているようでした。
前半のサラリーマンの悲哀というか人間性の喪失を描いたシリーズはまだ社会とのかかわりの中で描かれていますが、後半は、完全に内に篭った作品になっています。サラリーマンのシリーズでは、ネクタイが非常に象徴的に描かれていて、サラリーマンであるIDのようです。後半は、明らかに社会と断絶して、救いを求めるようになっています。
彼の作品をこれだけ多くの人が見に来るというのは、それだけ共感を呼んでいるのだと思いますが、それはつまり、決して良いことではないわけです。なんとも複雑な思いを残す展覧会でした。
今年も多くの展覧会を見て、多くの作品に出会えたことはたいへんな喜びです。そして、来年またどんな作品に出会えるか楽しみです。(三浦次郎)
◆ときの忘れものは、12月28日~新年1月5日まで休みます。
2009年は1月6日より営業します。
まず、以前このブログでも紹介しました板橋区立美術館の「新人画会展」へ。
板橋区立美術館に行くのは、15年振りくらいかもしれません。すっかり道順など忘れていましたので、ネットで調べて、西高島平から歩きましたが、それでも、思ったほど遠くはありませんでした。
「新人画会」は、第二次大戦末期の1943年に靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介の8人の画家の交友により結成された会で、行われた展覧会は3回のみでした。それでも、このような時代背景の中で作品を制作し、発表しようとした若い画家たちの思いは、その作品に表れています。当時の展覧会に出品されていた作品を特定するだけでもたいへんだったでしょうし、それらを集めるのはなおたいへんだったと思われます。そして、第三回展を開催した、当時の資生堂ギャラリーを再現したり(当時の展覧会名を書いたレタリングが美しい!)、資料も併せて見ることが出来ます。資料として展示されていた、画布や絵の具の配給券など初めてその存在を知りました。
私は、松本竣介の作品をこれだけまとめて見るのは初めてでしたが、実は今回一番気に入ったのは墨で描かれた下絵作品でした。他の作家の作品も初めて見る作品が多く、もっと時間をかけて見たい展示でした。(2009年1月12日まで)
美術館前からバスで成増へ。池袋に出て西武池袋線で中村橋へ。
練馬区立美術館で「石田徹也展」を見ました。話題の展覧会の最終日ということもあって観客の数はかなり多かったようです。
石田徹也の作品を実際に見たのは、もしかすると初めてかもしれません。雑誌などの媒体でよく見るので、見たような気になっていましたが、やはり実物は力があります。展示全体を見渡すと、まるで自死するに至る遺書を見せられているようでした。
前半のサラリーマンの悲哀というか人間性の喪失を描いたシリーズはまだ社会とのかかわりの中で描かれていますが、後半は、完全に内に篭った作品になっています。サラリーマンのシリーズでは、ネクタイが非常に象徴的に描かれていて、サラリーマンであるIDのようです。後半は、明らかに社会と断絶して、救いを求めるようになっています。
彼の作品をこれだけ多くの人が見に来るというのは、それだけ共感を呼んでいるのだと思いますが、それはつまり、決して良いことではないわけです。なんとも複雑な思いを残す展覧会でした。
今年も多くの展覧会を見て、多くの作品に出会えたことはたいへんな喜びです。そして、来年またどんな作品に出会えるか楽しみです。(三浦次郎)
◆ときの忘れものは、12月28日~新年1月5日まで休みます。
2009年は1月6日より営業します。
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