あっと言う間に大晦日。我が家にはテレビはないので、ラジオを聴きながら、夫婦ふたり積んどいた本でも読んでのんびりと過ごしましょう。
昨日は恒例の露天風呂愛好会の忘年会を西国分寺のとあるお蕎麦屋さんで開き、正会員5名が静かに飲みながら、一年間のお互いの無事を祝いました。
一年を振り返ってみると多くの出会いと別れがありました。
今年は「10大ニュース」で述べたように写真の企画に力を入れました。おかげさまで従来のお客様に加え、新たな顧客層の開拓にもつながりました。写真を愛好する人々が予想以上に多かったこと、それにも増してまだまだ写真についての基本的な情報が不足していることも痛感しました。来年の課題です。
画廊という商売は「美術品」という名の商品を売り買いすることで成り立っており、普通の商店とかわりはありませんが、少し違うのは対象が少数であることと(つまり客は圧倒的に少ない)、「未知の美」という商品情報をきちんとお客に伝えなければならないということでしょう。
通りすがりの人が入ってくることは万分の一もありませんが、それでも得がたい「出会い」がありました。昔は雑誌や新聞などで見てというお客様が多かったのですが、近年はネットでの検索からときの忘れもののホームページにたどり着いて来廊されたり、ヤフーオークションでの落札がきっかけで画廊の常連になってくださる方がたいへん多くなりました。東京以外のお客様のほとんどはネットがきっかけです。私が美術業界に入ったころには想像すらできなかった状況です。「これからの時代はネットだよ」といってホームページを立ち上げてくれた息子たちの先見の明に感謝せねばなりますまい。
多くの別れもありました。
松永伍一先生、中山公男先生、柳沢信先生、佐谷和彦さんたちのことはこのブログにも書きました。
7月5日、岩手県の石神の丘美術館の芸術監督・六岡康光さんが亡くなりました。初めてお会いしたのは1974年で、岩手日報の文化部にお勤めで、詩を書く人でもありました。大好きな盛岡に行くたびに直利庵で一緒に飲んだものでした。
8月22日には祖父・植田正治のヨーロッパ巡回写真展の開催や、写真集の出版に奔走していた仲田薫子さんが40代の若さで亡くなられました。ときの忘れものの植田正治展をご覧いただけなかったのは残念でなりません。
そしてつい先月11月25日には、日本のいけばな界をリードされてきた古流松應会の家元・千羽理芳先生が急逝されました。私たちは華道にはあまり縁がなかったのですが、昨年、八木一夫や鈴木治の陶芸作品に各流派の家元の先生に実際にお花を生けてもらうという資生堂の展覧会をお手伝いし、そのカタログを編集した縁で千羽先生にはたいへんお世話になり、種々ご指導をいただきました。スタッフの三浦が千羽先生と以前から親しくさせていただいており、後で知ったことですが細江英公先生の高校時代の同級生でもありました。10月には古流松應会の展覧会でお会いしたばかりだったのであまりに急な訃報に驚きました。
私たちを長年支えてくださったコレクターの九州のHさんの訃報にも接しました。
皆さん、たいへんお世話になった方々であり、感謝とともに心よりご冥福をお祈りします。
2008年を静かに送り、新しい年が希望に満ちたものであることを祈ります。
昨日は恒例の露天風呂愛好会の忘年会を西国分寺のとあるお蕎麦屋さんで開き、正会員5名が静かに飲みながら、一年間のお互いの無事を祝いました。
一年を振り返ってみると多くの出会いと別れがありました。
今年は「10大ニュース」で述べたように写真の企画に力を入れました。おかげさまで従来のお客様に加え、新たな顧客層の開拓にもつながりました。写真を愛好する人々が予想以上に多かったこと、それにも増してまだまだ写真についての基本的な情報が不足していることも痛感しました。来年の課題です。
画廊という商売は「美術品」という名の商品を売り買いすることで成り立っており、普通の商店とかわりはありませんが、少し違うのは対象が少数であることと(つまり客は圧倒的に少ない)、「未知の美」という商品情報をきちんとお客に伝えなければならないということでしょう。
通りすがりの人が入ってくることは万分の一もありませんが、それでも得がたい「出会い」がありました。昔は雑誌や新聞などで見てというお客様が多かったのですが、近年はネットでの検索からときの忘れもののホームページにたどり着いて来廊されたり、ヤフーオークションでの落札がきっかけで画廊の常連になってくださる方がたいへん多くなりました。東京以外のお客様のほとんどはネットがきっかけです。私が美術業界に入ったころには想像すらできなかった状況です。「これからの時代はネットだよ」といってホームページを立ち上げてくれた息子たちの先見の明に感謝せねばなりますまい。
多くの別れもありました。
松永伍一先生、中山公男先生、柳沢信先生、佐谷和彦さんたちのことはこのブログにも書きました。
7月5日、岩手県の石神の丘美術館の芸術監督・六岡康光さんが亡くなりました。初めてお会いしたのは1974年で、岩手日報の文化部にお勤めで、詩を書く人でもありました。大好きな盛岡に行くたびに直利庵で一緒に飲んだものでした。
8月22日には祖父・植田正治のヨーロッパ巡回写真展の開催や、写真集の出版に奔走していた仲田薫子さんが40代の若さで亡くなられました。ときの忘れものの植田正治展をご覧いただけなかったのは残念でなりません。
そしてつい先月11月25日には、日本のいけばな界をリードされてきた古流松應会の家元・千羽理芳先生が急逝されました。私たちは華道にはあまり縁がなかったのですが、昨年、八木一夫や鈴木治の陶芸作品に各流派の家元の先生に実際にお花を生けてもらうという資生堂の展覧会をお手伝いし、そのカタログを編集した縁で千羽先生にはたいへんお世話になり、種々ご指導をいただきました。スタッフの三浦が千羽先生と以前から親しくさせていただいており、後で知ったことですが細江英公先生の高校時代の同級生でもありました。10月には古流松應会の展覧会でお会いしたばかりだったのであまりに急な訃報に驚きました。
私たちを長年支えてくださったコレクターの九州のHさんの訃報にも接しました。
皆さん、たいへんお世話になった方々であり、感謝とともに心よりご冥福をお祈りします。
2008年を静かに送り、新しい年が希望に満ちたものであることを祈ります。
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