1月2日、東京都写真美術館で「中山岩太展」のギャラリートークがあり、参加させていただきました。
当日は入場無料で、会場に入ると、すでに今回の展覧会担当の専門調査員・金子隆一さんの解説が始まっていました。聞いている人は50人以上いて、画廊のお客様もいらっしゃいました。
おもな作品について、どのようにして撮影したものか、どのような特徴が見て取れるか等、分かりやすく説明してくださいました。
中山岩太は1949年に亡くなっていますが、最後までガラス乾板を使っていました。当時すでにフィルムが主流になっていたのではないかと思いましたが、中山のやっていたような写真館では、ずっとあとまでガラス乾板が使われていたとのことで納得しました。フィルムより、ガラス乾板のほうが画像の修正をしやすかったのだそうです。ガラス乾板は、コダックが15年位前まで生産していたそうです。
マン・レイは、フォトグラムやソラリゼーションを各々単独の技法で作品を作っていましたが、中山は、それらを組み合わせて作品を制作したという点も特筆されるべきであるとのこと。中山は、いくつかのガラス乾板を重ねてフォトモンタージュ作品を多く作っていますが、その素材のひとつがフォトグラムでした。フォトグラムは、印画紙の上にいろいろなものを置いて、それに光を当てて感光させて作るため、その性質上ネガはありません。だから、それを写真に撮り、ガラス乾板を作るという回りくどいことをしていました。その上、ガラス乾板を重ねてプリントしたものをさらに撮影して、1枚の乾板にしている作品もあるとのこと。
私たちがプリントを販売する際に、そのプリントが直接オリジナルのネガからプリントされているか、それともデュープされたネガからプリントされているかで価格がまったく違ってくることが多いので、そのあたりは非常に神経質になるのですが、当時の写真家にとってそんなことは別に問題ではなかったようです。
金子先生によると、ビル・ブラントは、撮影ネガからプリントしたものに手を加えてそれを撮影し、コントラストの強い独特の作品を作ったそうです。だから、撮影ネガからプリントしたものにはサインがなく、デュープネガからプリントしたものが作品としてサインが入っているのです。
また、ナダールは、使用していたのが湿式のガラスだったので、現在それから直接プリントするのはネガを破損する危険があるため、インターネガ(ガラスから起こしたネガ)が用意されているとのこと。
マン・レイについては、自分でインター・ネガを作ったりしていたため、何とも扱いが難しいとおっしゃっていました。
これらのことは、たくさんのプリントを実際に扱った経験からわかったことで、どこにも書いてないことだそうです。貴重なお話を伺うことができました。
今回の展示のために、いくつかの作品を新たにプリントしましたが、彼の代表作である「上海から来た女」は、ガラス乾板にキズがたくさんついていたため、プリントしたそのままでは展示できる状態ではなかったのを、プリンターの比田井さんが絶妙のスポッティングをしたということです。実際、そのプリントを間近で見ても、スポッティングの跡がほとんどわかりません。1月25日18時30分から、その比田井さんと金子先生とのトークがあるというので、是非伺おうと思っています。

◆ときの忘れものは、12月28日~新年1月5日まで休みます。
2009年は1月6日より営業します。