たまたまなのでしょうが、写真家を題材にしたドキュメンタリー映画が二本相次いで公開されます。
今日は、その一本め、アメリカで報道写真家として活躍した宮武東洋のドキュメンタリー「東洋宮武が覗いた時代」をご紹介します。
1895年に香川県で生まれ、13歳の時にアメリカに移住。ハリー重田にカメラの手ほどきを受け、1923年ロサンゼルスのリトル東京に写真館を開設。報道写真家として1932年のロサンゼルス・オリンピックの撮影を行うなど活躍しましたが、太平洋戦争の勃発により、家族と共にマンザナ収容所に強制収容されました。撮影は禁止されていたものの、隠し持ったレンズで手製のカメラを作り、秘密裏に撮影していましたが、見つかってしまい没収されます。しかし、収容所の所長は、彼を公式カメラマンとして認め、撮影を許可しました。この収容所の写真の多くは、宮武とアンセル・アダムスによるものです。財産をすべて失い、強制収容された日系人の姿を宮武東洋の眼はどのように捉えたのかを追う映画です。4月11日から東京都写真美術館ホールほかで公開予定です。


この映画の公開に合わせて、川崎市市民ミュージアムで4月17日(金)から6月28日(日)まで、「宮武東洋の写真作品展」が開催されます。収容所の写真を中心に約120点の作品が展示されます
この映画の時代、1944年に撮影されたアンドレ・ケルテスの作品です。考えてみれば、戦時中の写真とは思えない写真です。
アンドレ・ケルテス「船の帰港、1944年10月13日」
1944年撮影(1973年プリント)
ゼラチンシルバープリント
24.5×19.5cm Ed.50
サインあり
今日は、その一本め、アメリカで報道写真家として活躍した宮武東洋のドキュメンタリー「東洋宮武が覗いた時代」をご紹介します。
1895年に香川県で生まれ、13歳の時にアメリカに移住。ハリー重田にカメラの手ほどきを受け、1923年ロサンゼルスのリトル東京に写真館を開設。報道写真家として1932年のロサンゼルス・オリンピックの撮影を行うなど活躍しましたが、太平洋戦争の勃発により、家族と共にマンザナ収容所に強制収容されました。撮影は禁止されていたものの、隠し持ったレンズで手製のカメラを作り、秘密裏に撮影していましたが、見つかってしまい没収されます。しかし、収容所の所長は、彼を公式カメラマンとして認め、撮影を許可しました。この収容所の写真の多くは、宮武とアンセル・アダムスによるものです。財産をすべて失い、強制収容された日系人の姿を宮武東洋の眼はどのように捉えたのかを追う映画です。4月11日から東京都写真美術館ホールほかで公開予定です。


この映画の公開に合わせて、川崎市市民ミュージアムで4月17日(金)から6月28日(日)まで、「宮武東洋の写真作品展」が開催されます。収容所の写真を中心に約120点の作品が展示されます
この映画の時代、1944年に撮影されたアンドレ・ケルテスの作品です。考えてみれば、戦時中の写真とは思えない写真です。
アンドレ・ケルテス「船の帰港、1944年10月13日」1944年撮影(1973年プリント)
ゼラチンシルバープリント
24.5×19.5cm Ed.50
サインあり
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