今日、三浦が成田を発ち、明日は私たちもチューリッヒに向けて出発します。
初めての海外アートフェアへの出展で、不安と期待が交叉しますが、まあ20年ぶりのスイスを楽しんできましょう(あのときは夏でサンモリッツのセガンティーニ美術館を訪ねました)。
本の紹介です。
画家・熊谷守一が亡くなったのは1977年、もう32年経ちます。
詩人のぱくきょんみさんがことばをつけ、画家の岡崎乾二郎さんがレイアウトをしたという異色の絵本が福音館書店から刊行されました。
私、熊谷ファンだし、ぱくさん、岡崎先生には2006年の『トリシャ・ブラウン展』のときにひとかたならぬお世話になりました。
熊谷守一の作品が絵本に使われるのはこれが初めてとのこと。さっそく買って孫に贈りました。読んでくれるかしら・・・・
熊谷守一絵 ぱくきょんみ文 『はじまるよ』定価410円
まばゆい光を放つ朝の太陽、日だまりで幸せそうに眠る三毛猫、夜空に浮かぶ白い三日月……。1977年に97歳で亡くなった熊谷守一氏は、自宅の庭先にいつも寝そべり、自然の営みを飽くことなく見つめ、描きました。その中から幼い子どもたちに身近なモチーフを描いたものを選び、詩人のぱくきょんみ氏が、あたたかくやさしい言葉を寄り添わせました。美しい絵と言葉が見事に調和した絵本です。(同社ホームページより)


福音館書店 月刊「こどものとも 0.1.2」
2009年11月号(通巻176号)折り込みふろく 絵本のたのしみ
こどものとも0.1.2『はじまるよ』に、ぱくさんの素晴らしいエッセイが掲載されていたので、ご紹介します。
作者のことば 森へ、森から ぱくきょんみ
東京都豊島区千早町。
縁あって、わたしはここに住んだことがあります。
結婚を機にアパートを探していたとき、西武池袋線の、とある駅前の不動産屋を紹介されました。そこで「千早町○丁目○番地○○荘」というメモを渡されたとき、わたしと連れ合いはすぐにピンときました。クマガイモリカズが住んでいた町だ!
千早町のアパートを即決し、夕日のあたる住宅街を歩きながら、クマガイモリカズという巨(おお)きな芸術家の存在にあらためて想いを寄せました。わたしたちも芸術に惹かれ、その世界に足を踏み入れたために底知れない不安も抱きだしていたころでした。クマガイモリカズの透徹した作品にふれるたびに多くの教示を得ていた若輩は、世俗に対してぶれない意思を97歳まで全うした人の存在に揺さぶられ、勇気を奮い起こしてもいたのです。
クマガイモリカズの家を発見したのは、千早町でのあたらしい生活に入って程なくの、夜の散歩中のこと。
ある一角に森の気配がありました。木々の枝は垣根を越えて張り出し、濃いみどりがあふれていました。まるで、ちいさな森がはるばるとやって来て坐りこんだよう、聞きしにまさるクマガイモリカズの家の庭でした。ここで、在りし日の画伯が日がな一日過ごし、ちいさな生き物の一挙一動から、葉あいの風や光、気象の刻々たる変化にいたるまで悠々と観察されていたのだ―そう想うだけで、言いようのない感動に包まれました。
おそるおそる、森へ近づき、わたしたちは息を潜めました。森の奥に家があり、ぽおっと明かりが灯っていました。ガラス窓の輪郭がはっきりと見えました。そこに人影が動いたとき、わたしたちはようやく我に返り、森から駆け出しました。どきどき、わくわく、と、人生のほんとうのはじまりを直感しながら。
◆作者紹介
熊谷守一(くまがい もりかず)
1880年岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)に生まれる。1900年東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科入学。1909年第3回文部省美術展覧会で褒状を受ける。1910年実母の死を機に故郷に帰り、6年を過ごす。1916年再び上京、第3回二科会展に出品、会員に推挙される。1932年豊島区長崎町(現千早)に移住、生涯に渡りここで生活する。1940年代より輪郭と平面による独特なスタイルの油彩になる。1964年、パリで個展。1967年文化勲章を辞退。1977年8月1日死去。
ぱく きょんみ
1956年東京生まれ。詩人。第一詩集『すうぷ』出版以来、詩やエッセイを発表。絵本に『れろれろくん』(小学館)『また あした』(「こどものとも年少版」381号・福音館書店)、翻訳に『地球はまあるい』(書肆山田)、エッセイ集に『いつも鳥が飛んでいる』(五柳書院)『庭のぬし 思い出す英語のことば』(クインテッセンス出版)、詩集に『そのコ』『ねこがねこ子をくわえてやってくる』(ともに書肆山田)。東京在住。
初めての海外アートフェアへの出展で、不安と期待が交叉しますが、まあ20年ぶりのスイスを楽しんできましょう(あのときは夏でサンモリッツのセガンティーニ美術館を訪ねました)。
本の紹介です。
画家・熊谷守一が亡くなったのは1977年、もう32年経ちます。
詩人のぱくきょんみさんがことばをつけ、画家の岡崎乾二郎さんがレイアウトをしたという異色の絵本が福音館書店から刊行されました。
私、熊谷ファンだし、ぱくさん、岡崎先生には2006年の『トリシャ・ブラウン展』のときにひとかたならぬお世話になりました。
熊谷守一の作品が絵本に使われるのはこれが初めてとのこと。さっそく買って孫に贈りました。読んでくれるかしら・・・・
熊谷守一絵 ぱくきょんみ文 『はじまるよ』定価410円
まばゆい光を放つ朝の太陽、日だまりで幸せそうに眠る三毛猫、夜空に浮かぶ白い三日月……。1977年に97歳で亡くなった熊谷守一氏は、自宅の庭先にいつも寝そべり、自然の営みを飽くことなく見つめ、描きました。その中から幼い子どもたちに身近なモチーフを描いたものを選び、詩人のぱくきょんみ氏が、あたたかくやさしい言葉を寄り添わせました。美しい絵と言葉が見事に調和した絵本です。(同社ホームページより)


福音館書店 月刊「こどものとも 0.1.2」
2009年11月号(通巻176号)折り込みふろく 絵本のたのしみ
こどものとも0.1.2『はじまるよ』に、ぱくさんの素晴らしいエッセイが掲載されていたので、ご紹介します。
作者のことば 森へ、森から ぱくきょんみ
東京都豊島区千早町。
縁あって、わたしはここに住んだことがあります。
結婚を機にアパートを探していたとき、西武池袋線の、とある駅前の不動産屋を紹介されました。そこで「千早町○丁目○番地○○荘」というメモを渡されたとき、わたしと連れ合いはすぐにピンときました。クマガイモリカズが住んでいた町だ!
千早町のアパートを即決し、夕日のあたる住宅街を歩きながら、クマガイモリカズという巨(おお)きな芸術家の存在にあらためて想いを寄せました。わたしたちも芸術に惹かれ、その世界に足を踏み入れたために底知れない不安も抱きだしていたころでした。クマガイモリカズの透徹した作品にふれるたびに多くの教示を得ていた若輩は、世俗に対してぶれない意思を97歳まで全うした人の存在に揺さぶられ、勇気を奮い起こしてもいたのです。
クマガイモリカズの家を発見したのは、千早町でのあたらしい生活に入って程なくの、夜の散歩中のこと。
ある一角に森の気配がありました。木々の枝は垣根を越えて張り出し、濃いみどりがあふれていました。まるで、ちいさな森がはるばるとやって来て坐りこんだよう、聞きしにまさるクマガイモリカズの家の庭でした。ここで、在りし日の画伯が日がな一日過ごし、ちいさな生き物の一挙一動から、葉あいの風や光、気象の刻々たる変化にいたるまで悠々と観察されていたのだ―そう想うだけで、言いようのない感動に包まれました。
おそるおそる、森へ近づき、わたしたちは息を潜めました。森の奥に家があり、ぽおっと明かりが灯っていました。ガラス窓の輪郭がはっきりと見えました。そこに人影が動いたとき、わたしたちはようやく我に返り、森から駆け出しました。どきどき、わくわく、と、人生のほんとうのはじまりを直感しながら。
◆作者紹介
熊谷守一(くまがい もりかず)
1880年岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)に生まれる。1900年東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科入学。1909年第3回文部省美術展覧会で褒状を受ける。1910年実母の死を機に故郷に帰り、6年を過ごす。1916年再び上京、第3回二科会展に出品、会員に推挙される。1932年豊島区長崎町(現千早)に移住、生涯に渡りここで生活する。1940年代より輪郭と平面による独特なスタイルの油彩になる。1964年、パリで個展。1967年文化勲章を辞退。1977年8月1日死去。
ぱく きょんみ
1956年東京生まれ。詩人。第一詩集『すうぷ』出版以来、詩やエッセイを発表。絵本に『れろれろくん』(小学館)『また あした』(「こどものとも年少版」381号・福音館書店)、翻訳に『地球はまあるい』(書肆山田)、エッセイ集に『いつも鳥が飛んでいる』(五柳書院)『庭のぬし 思い出す英語のことば』(クインテッセンス出版)、詩集に『そのコ』『ねこがねこ子をくわえてやってくる』(ともに書肆山田)。東京在住。
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