磯崎新先生が設計し、1994年11月にクラコフ市(ポーランド)のヴィスワ川のほとり、ヴァヴェル城の対岸に開館した「日本美術技術センター」(通称・Manggha マンガ館)が15周年を迎えました。
同センターには浮世絵をはじめ、掛け軸、屏風、甲冑、刀剣、鍔、陶器、印篭、根付けなどの7,000点におよぶ日本美術品が収蔵されており、ギャラリーで常設展示されています。また特設展示場では、日本の最新技術と現代美術が紹介されています。普通の美術館とはその点がちょっと違います。
同センターでは開館15周年と、日本・ポーランド国交樹立90周年記念事業の一環として「磯崎新建築展」を昨秋11月から開催しています。

展覧会名称 : arata isozaki sketches and drawings
会期 : 2009年11月29日~2010年1月31日
会場 : Manggha Museum of Japanese Art & Technology

磯崎新クラコフポスター企画:Raphael Sosin
磯崎新11

クラコフは私たち版画世代にとっては「クラコフ国際版画ビエンナーレ」でなじみのあるポーランド南部の工業、文化の中心地で人口約75万人。歴史のある都市で、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではポーランド王国の首都でした。
因みにクラコフ国際版画ビエンナーレの第一回受賞者が菅井汲先生で、その後も池田満寿夫、黒崎彰野田哲也、木村光佑、木村秀樹、井田照一らが次々と受賞し、版画の国日本を国際的に知らしめる活躍をしてきました。

そんな街になぜ、磯崎先生が設計した建物ができたかというと、1987年に第3回京都賞を受賞した映画監督アンジェイ・ワイダが、自らの賞金4,500万円を基に「京都-クラコフ基金」を提唱したのがそもそものはじまりでした。
<戦後ポーランドにおいて優れた映画を製作し続け、人間の尊厳と自由精神の高揚を力強く訴えるとともに、その高邁な作品と情熱的な製作態度で人々に多大な影響を与えてきた世界的な映像作家である>として受賞したアンジェイ・ワイダは、「灰とダイヤモンド」で有名ですが、若い頃見た展覧会でクラコフの日本美術品に触れ大きな感銘を受け、芸術を志したといわれます。実はその日本の美術品とは、フェリクス・ヤシェンスキというポーランド人が19世紀末から20世紀初めにかけて収集し、1920年にクラコフ国立博物館に寄贈したものです。このセンターの通称「Manggha(マンガ)」とは、浮世絵を愛した彼が「北斎漫画」からとった自分のニックネームでした。
アンジェイ・ワイダの呼びかけによってできた「京都-クラコフ基金」は、クラコフの日本美術品を常設できるセンター建設を目的とし、岩波ホールを拠点として募金活動が展開されました。設計者に磯崎新先生が選ばれ、多くの企業・団体・個人、そして日本大使館の協力によって1994年に竣工したのが「日本美術技術センター」です。

ヴィスワ川の流れと呼応するように波打った屋根の構造、外壁はポーランド産の砂岩で仕上げ、建物内部はポーランドにまだ残存しているレンガ造や木造のような伝統的な工法を使って建設された建物です。
今回の磯崎新建築展では、スケッチや水彩、模型などが展示されています。
磯崎親衛隊としてはぜひとも行かずばなるまいと思ったのですが、ポーランドは遠い・・・
磯崎新アトリエの協力で現地から展覧会場の写真を送っていただいたのでご紹介します。

磯崎新1(c)Andrzej Janikowski

磯崎新8磯崎新2(c)Andrzej Janikowski

磯崎新9磯崎新10(c)Andrzej Janikowski

磯崎新5磯崎新3(c)Andrzej Janikowski

磯崎新6磯崎新7(c)Andrzej Janikowski


下にご紹介するのは、版画家・イソザキが東京国際版画ビエンナーレの最終回に出品、受賞した作品です。
紙ではなく「金属に刷った」作品を版画として出品し受賞したこと自体が、この時代が版画概念の大きな転回点となったことを象徴しています。
この作品をエディションしたのは私たち(現代版画センター)ですが、磯崎先生にある町工場を指定され、アルフォトと名づけた特殊な印刷で3点からなる「内部風景」シリーズを完成させたことは長い版画人生でもめったにない経験でした。
磯崎新内部風景
磯崎新
内部風景Ⅲ 増幅性空間―アラタ・イソザキ
1979年 アルフォト
80.0×60.0cm Ed.8
サインあり
第11回東京国際版画ビエンナーレ受賞作品

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