好きな作品があってもぐっと我慢して、先ずはお客様に買っていただくのが画商の仁義というものですが、この作品ばかりは売り切れないうちに買いた~い!
因みに名文家として知られた銀座の某画廊主は、好きなものは決して売らず、ために二流品ばかり買わされたコレクターたちとしばしばもめた。没後、そのコレクションは某美術館にそっくり入った。
私はそんなことできもしませんが、亭主の<この一点>はこれです。

植田実 No.43『「パリ Paris, France』
1988年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 15.9×24.4cm
Ed.7 サインあり
この写真の場所はパリのさる高級アパートの一室(といっても巨大な広さだ)、写っているのは解体されたメリー・ゴーランド。それが10数組もぎっしりと詰まった部屋! 異様な迫力だった。
私、カメラを構えた植田さん(本日より、さんにします)の隣で呆然としていた。
私が植田さんと初めて会ったのは1970年代半ばだが、それからずっと不肖の弟子として教えを乞うてきた。といっても建築には素人だからただただ植田師匠のあとをついて歩き、師匠の呟きを聞きながら、各地の建築を楽しんできた。
植田さんとパリに向かったのは1988年のことだった。先日も書いたが当時フランス人の会社にいた私は破産の身だったから、居住地以外に出るときは裁判所の許可が必要だった。東京地裁宛に海外出張の上申書を書き、管財人の弁護士さんから「逃亡のおそれなし」というお墨付きをもらっての渡航だった。
我が故郷、群馬県立近代美術館(磯崎新設計)がちょうど開館15周年を迎えることになり、故・中山公男館長が私たちが提案した「エッフェル塔100年のメッセージ[建築・ファッション・絵画]展」という展覧会を15周年記念展として予算を組んでくれた。
中山館長を代表に、フランス人のボスと私の人脈をあらんかぎり総動員して開催委員会を組織した。私は事務局を担当して、企画立案、開催会場、ポンピドゥーセンターなどとの出品交渉、図録の編集にあたっていた。
ジャン・マウー(ポンピドゥーセンター前総裁)、フランソワ・マテー(装飾美術館名誉館長)、クリスチャン・マレスキエ(エッフェル塔公社専務)、ロベール・ボルダス(装飾美術連盟会長)、クロード・モラール(ABCD協会会長)ら、フランス美術界の大物を引っ張り出し、日本側からは磯崎新、安藤忠雄、木村俊彦、桐敷真次郎、鈴木博之、高橋靗一、そして植田実、などなど建築界を代表する学識豊かな先生方に実行委員になっていただいた。今思い返しても壮観である。もちろん植田さんがバックにいればこその企画だった。
東京は東京ステーションギャラリーが会場だったのだが、そのとき上記のフランス側実行委員のほとんどが来日し、歓迎会食会をJR東日本の山之内秀一郎さんがホストとなって開いてくださった。事務局の私は「通訳を何人用意しましょうか」と問い合わせた。JR東日本からの答えは「通訳は必要なし」でした。
旧国鉄っていうのは凄いもんで、フランスの国鉄に学ぶため、東大卒のエリートたちは先ずフランス留学したらしい。山内さんはじめJRの皆さんフランス語に堪能で、会食の席は随分と盛り上がった。
こんな回顧談ばかりしていると、肝心のメリーゴーランドの写真までたどり着けない。
とにかくエッフェル塔建造100年を記念して、パリの象徴でもあるこのタワーの多面性を建築・ファッション・絵画を通して紹介するという欲張りな企画で、私は植田さんとパリに向かい、ポンピドゥーセンターはじめ美術館、画商、コレクター、ギュスターブ・エッフェルの遺族たちを相手に作品の借用交渉に奔走した。もちろんエッフェル塔にも日参し、あの4本の柱の下の地下室に保存されている膨大な青図を引っ張り出し、植田さんに選んで貰って日本に運んだ。
フランスから借り出したものには美術品や建築資料の他に、大量の「エッフェル塔グッズ」があった。そのグッズ類の超大コレクターが上述のメリーゴーランドの世界的コレクターでもあったX氏だった。
あちらのコレクターというのは猛獣系というか貪欲で、あるものを集めだすと何年かかっても世界中から集められるだけ集めつくす、そのエネルギーに圧倒されたものです。
この妖気ただよう写真にそのコレクターの執念みたいなものを感じませんか。
ついでにそのときの展覧会カタログをご紹介しておきましょう。




『エッフェル塔 100年のメッセージ【建築・ファッション・絵画】』図録
中山公男監修、エッフェル塔100周年記念実行委員会
1989年9月~12月:うめだ阪急百貨店・群馬県立近代美術館・松菱・東京ステーションギャラリー・岩手県民会館で巡回開催
デザイン:北澤敏彦+ディスハウス
313ページ 30cm×22cm 日仏併記
第1部 エッフェルとエッフェル塔
第2部 エッフェル塔のパリ万博
第3部 画家たちのエッフェル塔
座談会 構造と形態 エッフェル塔とエッフェルの軌跡
執筆者:ジャック・シラク、ベルナール・ドラン、クリスチャン・マレスキエ、クロード・モラール、中山公男、フランソワ・マテー、ベルナール・ド・モンゴルフィエ、アメリー・グラネ、島田静雄、鈴木博之、吉田光邦、喜安朗、フロランス・ミューラー、深井晃子、ジャン・マリー・マルジュー、多木浩二、宮崎克己、伊藤俊治、田原桂一、木村俊彦、桐敷真次郎、高橋靗一、植田実、倉田保雄、朝吹登水子、玉村豊男、クリスチャン・ド・ポルザンパルク、ソニア・リキエル、他
X氏の毒気にあてられたわけじゃあないけれど、これだけの執筆陣を動員した展覧会カタログをよくもつくったもんだと我ながらあきれています。
もちろん私一人じゃできっこない。植田さん、そして同僚だった吉川盛一さんという名編集者がチームにいたからこそできたわけで、このカタログがきっかけで吉川さんは植田さんが編集長をつとめる「住まいの図書館出版局」に移り、マルク・ブルディエ著『同潤会アパート原景』や網戸武夫著『建築・経験とモラル 』他を手がけます。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、1月26日[火]―2月6日[土]「植田実写真展ー影の空地」を開催しています(※会期中無休)。
植田さんは毎日午後4時頃から画廊にいらっしゃいます。
●画廊では植田実サイン入り本を販売しています(送料無料)。
植田実『都市住宅クロニクル』第Ⅰ巻・第Ⅱ巻
花田佳明『植田実の編集現場 建築を伝えるということ』
因みに名文家として知られた銀座の某画廊主は、好きなものは決して売らず、ために二流品ばかり買わされたコレクターたちとしばしばもめた。没後、そのコレクションは某美術館にそっくり入った。
私はそんなことできもしませんが、亭主の<この一点>はこれです。

植田実 No.43『「パリ Paris, France』
1988年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 15.9×24.4cm
Ed.7 サインあり
この写真の場所はパリのさる高級アパートの一室(といっても巨大な広さだ)、写っているのは解体されたメリー・ゴーランド。それが10数組もぎっしりと詰まった部屋! 異様な迫力だった。
私、カメラを構えた植田さん(本日より、さんにします)の隣で呆然としていた。
私が植田さんと初めて会ったのは1970年代半ばだが、それからずっと不肖の弟子として教えを乞うてきた。といっても建築には素人だからただただ植田師匠のあとをついて歩き、師匠の呟きを聞きながら、各地の建築を楽しんできた。
植田さんとパリに向かったのは1988年のことだった。先日も書いたが当時フランス人の会社にいた私は破産の身だったから、居住地以外に出るときは裁判所の許可が必要だった。東京地裁宛に海外出張の上申書を書き、管財人の弁護士さんから「逃亡のおそれなし」というお墨付きをもらっての渡航だった。
我が故郷、群馬県立近代美術館(磯崎新設計)がちょうど開館15周年を迎えることになり、故・中山公男館長が私たちが提案した「エッフェル塔100年のメッセージ[建築・ファッション・絵画]展」という展覧会を15周年記念展として予算を組んでくれた。
中山館長を代表に、フランス人のボスと私の人脈をあらんかぎり総動員して開催委員会を組織した。私は事務局を担当して、企画立案、開催会場、ポンピドゥーセンターなどとの出品交渉、図録の編集にあたっていた。
ジャン・マウー(ポンピドゥーセンター前総裁)、フランソワ・マテー(装飾美術館名誉館長)、クリスチャン・マレスキエ(エッフェル塔公社専務)、ロベール・ボルダス(装飾美術連盟会長)、クロード・モラール(ABCD協会会長)ら、フランス美術界の大物を引っ張り出し、日本側からは磯崎新、安藤忠雄、木村俊彦、桐敷真次郎、鈴木博之、高橋靗一、そして植田実、などなど建築界を代表する学識豊かな先生方に実行委員になっていただいた。今思い返しても壮観である。もちろん植田さんがバックにいればこその企画だった。
東京は東京ステーションギャラリーが会場だったのだが、そのとき上記のフランス側実行委員のほとんどが来日し、歓迎会食会をJR東日本の山之内秀一郎さんがホストとなって開いてくださった。事務局の私は「通訳を何人用意しましょうか」と問い合わせた。JR東日本からの答えは「通訳は必要なし」でした。
旧国鉄っていうのは凄いもんで、フランスの国鉄に学ぶため、東大卒のエリートたちは先ずフランス留学したらしい。山内さんはじめJRの皆さんフランス語に堪能で、会食の席は随分と盛り上がった。
こんな回顧談ばかりしていると、肝心のメリーゴーランドの写真までたどり着けない。
とにかくエッフェル塔建造100年を記念して、パリの象徴でもあるこのタワーの多面性を建築・ファッション・絵画を通して紹介するという欲張りな企画で、私は植田さんとパリに向かい、ポンピドゥーセンターはじめ美術館、画商、コレクター、ギュスターブ・エッフェルの遺族たちを相手に作品の借用交渉に奔走した。もちろんエッフェル塔にも日参し、あの4本の柱の下の地下室に保存されている膨大な青図を引っ張り出し、植田さんに選んで貰って日本に運んだ。
フランスから借り出したものには美術品や建築資料の他に、大量の「エッフェル塔グッズ」があった。そのグッズ類の超大コレクターが上述のメリーゴーランドの世界的コレクターでもあったX氏だった。
あちらのコレクターというのは猛獣系というか貪欲で、あるものを集めだすと何年かかっても世界中から集められるだけ集めつくす、そのエネルギーに圧倒されたものです。
この妖気ただよう写真にそのコレクターの執念みたいなものを感じませんか。
ついでにそのときの展覧会カタログをご紹介しておきましょう。




『エッフェル塔 100年のメッセージ【建築・ファッション・絵画】』図録
中山公男監修、エッフェル塔100周年記念実行委員会
1989年9月~12月:うめだ阪急百貨店・群馬県立近代美術館・松菱・東京ステーションギャラリー・岩手県民会館で巡回開催
デザイン:北澤敏彦+ディスハウス
313ページ 30cm×22cm 日仏併記
第1部 エッフェルとエッフェル塔
第2部 エッフェル塔のパリ万博
第3部 画家たちのエッフェル塔
座談会 構造と形態 エッフェル塔とエッフェルの軌跡
執筆者:ジャック・シラク、ベルナール・ドラン、クリスチャン・マレスキエ、クロード・モラール、中山公男、フランソワ・マテー、ベルナール・ド・モンゴルフィエ、アメリー・グラネ、島田静雄、鈴木博之、吉田光邦、喜安朗、フロランス・ミューラー、深井晃子、ジャン・マリー・マルジュー、多木浩二、宮崎克己、伊藤俊治、田原桂一、木村俊彦、桐敷真次郎、高橋靗一、植田実、倉田保雄、朝吹登水子、玉村豊男、クリスチャン・ド・ポルザンパルク、ソニア・リキエル、他
X氏の毒気にあてられたわけじゃあないけれど、これだけの執筆陣を動員した展覧会カタログをよくもつくったもんだと我ながらあきれています。
もちろん私一人じゃできっこない。植田さん、そして同僚だった吉川盛一さんという名編集者がチームにいたからこそできたわけで、このカタログがきっかけで吉川さんは植田さんが編集長をつとめる「住まいの図書館出版局」に移り、マルク・ブルディエ著『同潤会アパート原景』や網戸武夫著『建築・経験とモラル 』他を手がけます。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、1月26日[火]―2月6日[土]「植田実写真展ー影の空地」を開催しています(※会期中無休)。植田さんは毎日午後4時頃から画廊にいらっしゃいます。
●画廊では植田実サイン入り本を販売しています(送料無料)。
植田実『都市住宅クロニクル』第Ⅰ巻・第Ⅱ巻
花田佳明『植田実の編集現場 建築を伝えるということ』
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