秋葉シスイ「向かう」 気更来のコレクション展より

ときの忘れものでは26日まで「気更来のコレクション展」を開催していますが、同時に本日2月17日(木)―2月20日(日)にはTOKYO FRONTLINEに参加・出展しています。20日(日)は画廊も営業していますので、どうぞ両方の会場をご覧ください。

本日ご紹介するのは、ときの忘れものでは最年少の作家・秋葉シスイです。
0907-013秋葉シスイ
「向かう」
2009年 油彩・キャンバス
100.0x100.0cm(S40号) サインあり

和光大学というのは、亭主はたまたまいろいろな縁があって創立当初(初代学長の梅根悟先生には教えられるところ多かった)からその独特の学風を知っています。
学費はあまた大学ある中で最も安いクラスにありながら、先生たちの給料(待遇)は最も高い。だから先生も学生に親身になって対応する(●●足って●●を知る)。
秋葉さんは2007年に同大学を卒業し、その後銀座のフタバ画廊で初個展「そこから」を開催しました。そのあたりの事情は、恩師の半田滋男先生が小冊子に書いておられるので、許可を得て再録させていただきます。


霧塞の風景    半田滋男
 
 シスイ。この不思議な語感の名は、彼女が育った町の名称であるという。彼女の描く風景は、北総台地の中部に位置するその町からさほどは遠くない九十九里浜の晩秋のように彩度が低く、殺風景で、曖昧だ。その水平線の手前に、横を向いた青年が浮かんでいる。

 私たちは、彼女の学生時代の制作に対する求道的な態度に接し、個展を開催することを奨めた。すると、直ぐに銀座を往来する愛好家たちの注目を集めることになった。ほんの昨秋のことである。

 このおよそ退屈で、少女趣味なメルヘン絵画の一体何が人を幻惑するのだろう。久しく聞かずに済んでいる、あの気恥ずかしい批評用語「心象風景」!をさえも想起させる。

 それは、多分、登場人物は主人公のようでありながらそうではなく、実は絵の本体は灰色の空とモスグリーンの海、即ち空気と水にあることに気づくからだ。天空の所為である。曖昧な水平線、あるいは地平線は極端に捨象された造化であり、その手前のレイヤーに半透明で浮遊する人間たちは、その存在の相対性を、語りかけてくるために位置する。私たちは曖昧に浮遊するが如く、時空に仮初めの場を得る以外にありようはないのだ、と。

 作家であるということは、自分を表現主体として、原点に捉えることでもある。だからこそ表現である。しかし、現にシスイのある絵では薄く消えゆく青年たちは、霞の彼方へと本当に消え去ろうとし、ある絵では本当に消え去ってさえいる。
     (2008年 あおい書房発行 『秋葉シスイ』より再録)

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下の作品は大き過ぎて今回は展示していませんが、いずれ秋葉さんの個展を開催する折には展示したいと思っています。
akiba_01_scene-1秋葉シスイ
「scene 1」
2007年 油彩・カンヴァス
162.1×227.3cm(P150号) サインあり

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◆ときの忘れものは、2011年2月8日[火]―2月26日[土]<陽気が更に来る>ことを祈りつつ「気更来のコレクション展」を開催しています(日曜・月曜・祝日は休廊。ただし、TOKYO FRONTLINE開催中の2月20日[日]は開廊します)。
気更来のコレクション展
出品:小野隆生、宮脇愛子、百瀬寿、秋葉シスイ、
アンドレ・ケルテス、植田正治、エドワード・スタイケン、瑛九、細江賢治