美術評論家で詩人の瀬木慎一先生が去る3月15日肺炎のため死去されていたことが昨日報じられ呆然としています。80歳でした。亭主が美術界に入った1974年以来、右も左もわからぬ中、瀬木先生には随分と助けていただき、ご指導を賜りました。
亭主が初めて瀬木先生のご自宅に伺った1974年、庭で遊んでいた小学生がサンポーニャやケーナ奏者として活躍している愛息・瀬木貴将さんでした。
国際的な視野から基礎的な調査を重んじられ、浮世絵から現代美術まで詳細なデータをもとに論じる姿勢は他の凡百の美術評論家とは一味も二味も異なる、別格的な存在でした。美術品の流通に関しても真正面から論じられる唯一の人でした。私たち画商にとっても『世紀の大画商たち』など必読書で、多くの著作はこれからも後進を導いてくれるでしょう。
『現代詩手帖』に連載していた<詩人たちの窓ー詩と絵画の照応>など瀬木先生しか書けない優れた論考でした。
2008年夏に池田20世紀美術館で開催された「小野隆生展」も瀬木先生の強い推薦があったから実現できた展覧会で、図録にも長文の小野隆生論を執筆してくださいました。

2008年9月の小野隆生個展の折、親しい方たちに集まっていただいた会食会でスピーチする瀬木慎一先生。
今まで賜ったご恩に深謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
本日も(21日、祝日)ときの忘れものは開廊します(12時~19時)。
3月11日の東北関東大震災は日を追うごとに悲惨な状況が改善されるどころか、深刻さを増しています。加えて原発問題です。
ときの忘れもののお客様の中にも安否不明の方も少なくありません。
世の中に「絶対安全」などということはないということを今更のように思います。
そんな中でとりあえず「安全地帯」にいる私たちがのうのうと展覧会などを開いていていいのか。
えらそうなことは何一つ言えませんが、内田樹さんのいう「寛容」「臨機応変」「専門家への委託」という言葉を噛み締めながら、出来る限り普通の市民生活を続け、過剰な反応をする前に一歩ひいて考え、賢く振る舞いたいものです。
1923年(大正12)9月の関東大震災、1945年(昭和20)3月の東京大空襲、同8月の広島・長崎の原爆投下、1995年(平成7年)1月の阪神・淡路大震災、これらの悲惨な歴史の経験を私たちは今度こそ生かさねばなりません。
数日前、気高く優しい日本文に触れ、こみ上げてくるものがありました。
3月16日、震災から僅か5日目に出された「福島県民の皆さまへ」と題された京都府知事、滋賀県知事らによる共同声明文です。
被災された福島県の人たちに京都・滋賀への移住の呼びかけです。ぜひ原文を読んでいただきたいのですが、この短い声明文には、法律用語はただの一語もなく、「手続きに則って」とか「議決を経て」とかの従来の官僚言葉も一切使われていません。
生まれ故郷を捨てなければならないかも知れない多くの人々に、新たな故郷をもしよろしければご用意しますと、暖かく呼びかけています。
どなたが起草したか存じませんが、起草者の胸にはきっと16年前の阪神・淡路大震災のとき、全国から寄せられた支援への感謝の気持ちがあったに違いありません。
私は言葉を信じたい、信じられる、そう思いました。
私たちもそれぞれができることを慌てず、騒がず、ゆっくりと(しかも臨機応変に)しようではありませんか。
細江英公写真展より 薔薇刑
ときの忘れものでは「細江英公写真展―写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い~イタリア・ルッカ」を開催中です(4月2日[土]まで会期中無休)。
昨年の文化功労者に選ばれた写真家・細江英公の新作による〈ヴィッラ・ボッティーニ〉12点連作は、2009年イタリアのルッカにある16世紀の貴族の館を舞台に、ルネサンス期のフレスコ画と21世紀の細江作品との息詰まるような「対決と融合」の瞬間を捉えた作品です。
このルッカでの展覧会は、細江先生の代表作を写真絵巻、屏風、掛軸にして展示したもので、今回はその中から〈薔薇刑〉のシリーズをご紹介いたします。
細江英公 Eikoh HOSOE
Villa Bottini #1
2009(Printed in 2011)
Type-C print
55.0x43.8cm
Ed.10 Signed
細江英公 Eikoh HOSOE
Villa Bottini #3
2009(Printed in 2011)
Type-C print
43.6x55.6cm
Ed.10 Signed
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◆〈薔薇刑〉は1961年に三島由紀夫の自邸で撮影され、写真集としては1963年発行の杉浦康平デザインによる初版『薔薇刑』、横尾忠則装丁の1971年に発行された『新輯版 薔薇刑』、1984年発行の粟津潔装丁版『薔薇刑 新版』と三つの版が出版されるくらい異常なほどの人気と評価を得ている名作です。
特にこの三島の顔をアップで捉えた「薔薇刑 作品32」は、戦後の日本写真史を語る上でははずすことのできない一点です。
細江英公 Eikoh HOSOE
「薔薇刑 作品32」
1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.0x30.0cm
サインあり
「薔薇刑 作品29」は、2枚のネガを重ねてプリントしたフォト・モンタージュ作品で、幻想的で蠱惑的な効果をあげています。
細江英公 Eikoh HOSOE
「薔薇刑 作品29」
1962年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
31.1×22.8cm
サインあり
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◆ときの忘れものは、2011年3月18日[金]―4月2日[土] 「細江英公写真展―写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い~イタリア・ルッカ」を開催します(会期中無休)。

昨年の文化功労者に選ばれた写真家・細江英公の新作による〈ヴィッラ・ボッティーニ〉12点連作は、イタリアのルッカにある16世紀の貴族の館を舞台に、ルネサンス期のフレスコ画と21世紀の細江作品との息詰まるような「対決と融合」の瞬間を捉えた作品です。
2009年11月の細江英公展の会場となったヴィッラ・ボッティーニは天井や壁面にフレスコ画が描かれた邸宅で、その絢爛たる空間に、総延長120mにわたり、細江先生と日本の職人チームが日本的伝統美の粋をこらした赤・青・緑の壁面をしつらえ、〈おとこと女〉〈薔薇刑〉〈鎌鼬〉〈ガウディの世界〉〈春本・浮世絵うつし〉他の代表作の絵巻、軸、屏風を展示しました。ヨーロッパの壮大な古典的建築空間と、和の色彩世界の対決と融合は、カラー作品でなくては表現できなかったでしょう。撮影は2009年ですが、発表するのは今回が初めてです(ヴィンテージ)。ホームページに掲載した12点の画像はいかにもけばけばしい感じですが、実物作品の瑞々しい、したたるような美しさには思わず溜め息が出ます。
亭主が初めて瀬木先生のご自宅に伺った1974年、庭で遊んでいた小学生がサンポーニャやケーナ奏者として活躍している愛息・瀬木貴将さんでした。
国際的な視野から基礎的な調査を重んじられ、浮世絵から現代美術まで詳細なデータをもとに論じる姿勢は他の凡百の美術評論家とは一味も二味も異なる、別格的な存在でした。美術品の流通に関しても真正面から論じられる唯一の人でした。私たち画商にとっても『世紀の大画商たち』など必読書で、多くの著作はこれからも後進を導いてくれるでしょう。
『現代詩手帖』に連載していた<詩人たちの窓ー詩と絵画の照応>など瀬木先生しか書けない優れた論考でした。
2008年夏に池田20世紀美術館で開催された「小野隆生展」も瀬木先生の強い推薦があったから実現できた展覧会で、図録にも長文の小野隆生論を執筆してくださいました。
2008年9月の小野隆生個展の折、親しい方たちに集まっていただいた会食会でスピーチする瀬木慎一先生。
今まで賜ったご恩に深謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
本日も(21日、祝日)ときの忘れものは開廊します(12時~19時)。
3月11日の東北関東大震災は日を追うごとに悲惨な状況が改善されるどころか、深刻さを増しています。加えて原発問題です。
ときの忘れもののお客様の中にも安否不明の方も少なくありません。
世の中に「絶対安全」などということはないということを今更のように思います。
そんな中でとりあえず「安全地帯」にいる私たちがのうのうと展覧会などを開いていていいのか。
えらそうなことは何一つ言えませんが、内田樹さんのいう「寛容」「臨機応変」「専門家への委託」という言葉を噛み締めながら、出来る限り普通の市民生活を続け、過剰な反応をする前に一歩ひいて考え、賢く振る舞いたいものです。
1923年(大正12)9月の関東大震災、1945年(昭和20)3月の東京大空襲、同8月の広島・長崎の原爆投下、1995年(平成7年)1月の阪神・淡路大震災、これらの悲惨な歴史の経験を私たちは今度こそ生かさねばなりません。
数日前、気高く優しい日本文に触れ、こみ上げてくるものがありました。
3月16日、震災から僅か5日目に出された「福島県民の皆さまへ」と題された京都府知事、滋賀県知事らによる共同声明文です。
被災された福島県の人たちに京都・滋賀への移住の呼びかけです。ぜひ原文を読んでいただきたいのですが、この短い声明文には、法律用語はただの一語もなく、「手続きに則って」とか「議決を経て」とかの従来の官僚言葉も一切使われていません。
生まれ故郷を捨てなければならないかも知れない多くの人々に、新たな故郷をもしよろしければご用意しますと、暖かく呼びかけています。
どなたが起草したか存じませんが、起草者の胸にはきっと16年前の阪神・淡路大震災のとき、全国から寄せられた支援への感謝の気持ちがあったに違いありません。
私は言葉を信じたい、信じられる、そう思いました。
私たちもそれぞれができることを慌てず、騒がず、ゆっくりと(しかも臨機応変に)しようではありませんか。
細江英公写真展より 薔薇刑
ときの忘れものでは「細江英公写真展―写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い~イタリア・ルッカ」を開催中です(4月2日[土]まで会期中無休)。
昨年の文化功労者に選ばれた写真家・細江英公の新作による〈ヴィッラ・ボッティーニ〉12点連作は、2009年イタリアのルッカにある16世紀の貴族の館を舞台に、ルネサンス期のフレスコ画と21世紀の細江作品との息詰まるような「対決と融合」の瞬間を捉えた作品です。
このルッカでの展覧会は、細江先生の代表作を写真絵巻、屏風、掛軸にして展示したもので、今回はその中から〈薔薇刑〉のシリーズをご紹介いたします。
細江英公 Eikoh HOSOEVilla Bottini #1
2009(Printed in 2011)
Type-C print
55.0x43.8cm
Ed.10 Signed
細江英公 Eikoh HOSOEVilla Bottini #3
2009(Printed in 2011)
Type-C print
43.6x55.6cm
Ed.10 Signed
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◆〈薔薇刑〉は1961年に三島由紀夫の自邸で撮影され、写真集としては1963年発行の杉浦康平デザインによる初版『薔薇刑』、横尾忠則装丁の1971年に発行された『新輯版 薔薇刑』、1984年発行の粟津潔装丁版『薔薇刑 新版』と三つの版が出版されるくらい異常なほどの人気と評価を得ている名作です。
特にこの三島の顔をアップで捉えた「薔薇刑 作品32」は、戦後の日本写真史を語る上でははずすことのできない一点です。
細江英公 Eikoh HOSOE「薔薇刑 作品32」
1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.0x30.0cm
サインあり
「薔薇刑 作品29」は、2枚のネガを重ねてプリントしたフォト・モンタージュ作品で、幻想的で蠱惑的な効果をあげています。
細江英公 Eikoh HOSOE「薔薇刑 作品29」
1962年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
31.1×22.8cm
サインあり
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◆ときの忘れものは、2011年3月18日[金]―4月2日[土] 「細江英公写真展―写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い~イタリア・ルッカ」を開催します(会期中無休)。

昨年の文化功労者に選ばれた写真家・細江英公の新作による〈ヴィッラ・ボッティーニ〉12点連作は、イタリアのルッカにある16世紀の貴族の館を舞台に、ルネサンス期のフレスコ画と21世紀の細江作品との息詰まるような「対決と融合」の瞬間を捉えた作品です。
2009年11月の細江英公展の会場となったヴィッラ・ボッティーニは天井や壁面にフレスコ画が描かれた邸宅で、その絢爛たる空間に、総延長120mにわたり、細江先生と日本の職人チームが日本的伝統美の粋をこらした赤・青・緑の壁面をしつらえ、〈おとこと女〉〈薔薇刑〉〈鎌鼬〉〈ガウディの世界〉〈春本・浮世絵うつし〉他の代表作の絵巻、軸、屏風を展示しました。ヨーロッパの壮大な古典的建築空間と、和の色彩世界の対決と融合は、カラー作品でなくては表現できなかったでしょう。撮影は2009年ですが、発表するのは今回が初めてです(ヴィンテージ)。ホームページに掲載した12点の画像はいかにもけばけばしい感じですが、実物作品の瑞々しい、したたるような美しさには思わず溜め息が出ます。
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