赤坂の東京ミッドタウン・ガーデンには安藤忠雄先生の設計による「21_21 DESIGN SIGHT」では、倉俣史朗とエットレ・ソットサス展が開催されています。
会期=2011年2月11日~7月18日(会期が延長になりました)
会場=21_21 DESIGN SIGHT
東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内
電話:03-3475-2121
日本を代表するデザイナー 倉俣史朗(1934.11.29 - 1991.2.1)と、イタリアデザイン界の巨匠 エットレ・ソットサス(1917.9.14 - 2007.12.31)。二人の交流は、1981年、デザイン界に衝撃を与えた「メンフィス」(*1)プロジェクトをきっかけに深まりました。モダニズムに息苦しさを感じていた二人は、ソットサスは西欧的イデオロギーを背景に、倉俣は日本的感性をもって、デザインという言語で語り合い、夢を見、美を探求し、友情を育みながら、創造の可能性を探り続けました。表現の異なる二人ですが、ともに、機能性や利便性を超えて、生活に喜びと驚きをもたらすデザインを求めたのです。
会場では、倉俣の1980年代以降の透明感に溢れた希少な作品65点と、ソットサスが最晩年に残したドローイングをもとに、本展にあわせて制作された世界初公開作品「カチナ」(*2)20点を紹介します。
行きすぎた市場主義や物質社会の再考が求められる現在、デザインやものづくりの意味が大きく変わろうとしています。夢と愛に満ちた二人の仕事を通して、限りなく自由で生き生きとした「デザイン」に改めて出会う、新鮮な体験をお楽しみください。(同展HPより)


倉俣史朗「ミス・ブランチ」

倉俣史朗とエットレ・ソットサス
本展については、5月2日掲載予定の「美術展のおこぼれ」第7回で植田実さんにレポートしていただきますので、お楽しみに。
******************
コレクションの中から、倉俣史朗が生前、磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)のために作った「ライティンデスク」と「鏡」をご紹介します。

倉俣史朗《TSUKUBA ライティングデスク》
1983年
H72.5×W160.0×D47.3cm

倉俣史朗 《TSUKUBA 鏡》
1983 鏡 80×50×D5.5cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
竣工時の「つくばセンタービル」には、「筑波第一ホテル」が入り、客室の内装を倉俣史朗が担当しました。しかし客室で実際に使用されたオリジナル家具は悲しい運命を辿ります。
1990年代のバブル経済の崩壊により、経営母体であった株式会社第一ホテルが2000年5月会社更生法の適用を申請し倒産。その後、株式会社ホテルオークラグループとして経営が変わったものの、ホテル客室及びカフェなどに大規模な改修が行われ、貴重な倉俣史朗デザインによるインテリアが失われてしまったのです。
今回ご紹介する「ライティングデスク」と「鏡」はそのような事情に中で、危うく破棄を免れた稀少作品です。
当時の雑誌『新建築』1983年11月号には、竣工当初の「筑波第一ホテル」の客室が紹介されており、この「ライティングデスク」と「鏡」も掲載されています。


会期=2011年2月11日~7月18日(会期が延長になりました)
会場=21_21 DESIGN SIGHT
東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内
電話:03-3475-2121
日本を代表するデザイナー 倉俣史朗(1934.11.29 - 1991.2.1)と、イタリアデザイン界の巨匠 エットレ・ソットサス(1917.9.14 - 2007.12.31)。二人の交流は、1981年、デザイン界に衝撃を与えた「メンフィス」(*1)プロジェクトをきっかけに深まりました。モダニズムに息苦しさを感じていた二人は、ソットサスは西欧的イデオロギーを背景に、倉俣は日本的感性をもって、デザインという言語で語り合い、夢を見、美を探求し、友情を育みながら、創造の可能性を探り続けました。表現の異なる二人ですが、ともに、機能性や利便性を超えて、生活に喜びと驚きをもたらすデザインを求めたのです。
会場では、倉俣の1980年代以降の透明感に溢れた希少な作品65点と、ソットサスが最晩年に残したドローイングをもとに、本展にあわせて制作された世界初公開作品「カチナ」(*2)20点を紹介します。
行きすぎた市場主義や物質社会の再考が求められる現在、デザインやものづくりの意味が大きく変わろうとしています。夢と愛に満ちた二人の仕事を通して、限りなく自由で生き生きとした「デザイン」に改めて出会う、新鮮な体験をお楽しみください。(同展HPより)


倉俣史朗「ミス・ブランチ」

倉俣史朗とエットレ・ソットサス
本展については、5月2日掲載予定の「美術展のおこぼれ」第7回で植田実さんにレポートしていただきますので、お楽しみに。
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コレクションの中から、倉俣史朗が生前、磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)のために作った「ライティンデスク」と「鏡」をご紹介します。

倉俣史朗《TSUKUBA ライティングデスク》
1983年
H72.5×W160.0×D47.3cm

倉俣史朗 《TSUKUBA 鏡》
1983 鏡 80×50×D5.5cm
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竣工時の「つくばセンタービル」には、「筑波第一ホテル」が入り、客室の内装を倉俣史朗が担当しました。しかし客室で実際に使用されたオリジナル家具は悲しい運命を辿ります。
1990年代のバブル経済の崩壊により、経営母体であった株式会社第一ホテルが2000年5月会社更生法の適用を申請し倒産。その後、株式会社ホテルオークラグループとして経営が変わったものの、ホテル客室及びカフェなどに大規模な改修が行われ、貴重な倉俣史朗デザインによるインテリアが失われてしまったのです。
今回ご紹介する「ライティングデスク」と「鏡」はそのような事情に中で、危うく破棄を免れた稀少作品です。
当時の雑誌『新建築』1983年11月号には、竣工当初の「筑波第一ホテル」の客室が紹介されており、この「ライティングデスク」と「鏡」も掲載されています。


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