本日は祝日ですが、開廊していますので「野田英夫遺作展―漂泊と望郷の画家」をぜひご覧ください。

「東北の酒と肴とお菓子をいただく会」

先日ご案内したとおり、27日17時半より、野田英夫の甥である野田哲也先生ご夫妻を囲んで「東北の酒と肴とお菓子をいただく会」を開催しました。
八戸、盛岡、仙台のそれぞれご無事を確認できたお客様に地元の酒や肴、お菓子を送っていただきました。

●仙台のKさんよりのメール
 毎日毎日地震のない日はありません。
震度5まででしたら、ライフラインもなんとか大丈夫のような気が致しますので、それ以上の地震が起きないことを祈るばかりです。
我が家は直接の被災者ではありませんので、街でいろいろ掲示された写真を目にすると涙がでます。
さて、お申し出の件ですが、直接参加できないのは残念ですが、お品は前日届くよう手配いたします。東北のためにどうぞ盛大にご開催ください。

●盛岡のNさんよりのメール
 発送が遅くなりはらはらさせているのではないかと申し訳なく思います。
本日発送手続きをしてきました。アクシデントが無ければ当日か前日には届くことになっております。
宮古で調達したのは、
1)焼きうに(むしたうに)小さいものですが調達できました(今年は食べることが出来ないかもしれません)
2)のりの佃煮はご自宅でどうぞ
3)乾物いろいろ宮古周辺で取れたものばかりです。硬いものもあるかもしれません。
4)まめしっとぎ
 固くゆでた青大豆をすりばちで粗く擂り、米の粉をまぜ、豆のゆで汁を加えて棒状にまとめ、適宜スライスして、生のまま食べる、というものなのです。(くずれていたらごめんなさい、農家の手作り菓子です)
5)塩辛は変質していたら食べるのは止めてくださいませ(宮古のお店の手作りです)
6)ほたての干したのも貴重になるかもしれませんのお入れします。

盛岡で調達したのは、
1)二戸の南部せんべいいろいろ
2)ぶどう酒のような地元(紫波)のワインとぶどうジュース
3)小岩井農場のチーズケーキ
4)おせんべいの会社の作っているお菓子などです。
本日も沿岸に行っておりましたが、
瓦礫はどんどん無くなって、震災後から比較すると本当に片付いてきました。
子供のような若い自衛隊の隊員の皆さんに会うとご苦労様と声をかけます。つらい作業をしていることは知っていますのでつい涙が出ます。
震災後ふとしたことで涙が出ます。
復活への窓口はまだ見えませんが、着実に悲しみの時から変わりつつあります。
瓦礫が少なくなることも必要ですし、仮設住宅の建設も必要です。(木造の仮設が出来ないか模索しております。)
沿岸で桜が咲き始めました。
いつもは嬉しい春ですがどうもうきうきしません。
それでも寒い冬よりはいいなと思います。(3日ほど前、桜の3分咲きの上に雪が降りました。)
今日は暖かだった、、、。
東京は新幹線が止まってとても遠くなりました。
開通が待ち遠しいです。

●盛岡Uさんよりのメール
 昼に「三陸の海の幸」を少しばかり送りました。27日夕には届くと思います。
三陸は壊滅しました。水産関係の操業再開の見通しは、まったく立っていません。ウニ、ホタテ、アワビ等々、少なくともこの先数年はお目にかかれないと思います。
あの晩は、停電のせいか、やけに澄み切った、きれいな星空でした。
こたびの地震は千年に一度、したがって余震も今後数年は続くであろう、とのことです。
毎晩のように目を覚ましますし、日中も絶えず揺られているような気がします。
交通機関があてにならないうえ、運転免許を持たない私にとって、遠出は不可能です。
細江英公、レンブラント、ポンピドウ、フェルメールなんて……、少々辛いものがありますね。
あれからもう一月過ぎましたが、凹んで萎えて、いささか煮詰まっている状態です。
現在こちらで不足しているのは、納豆とモヤシ、エビスとピースです(送ってくれという意味ではありません、為念)。
次の機会にはおいしいお酒を送ります。連絡してください。では。

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被災地まで行って酒や珍味をご苦労して集めてくださったことに感謝するとともに、皆で美味しくいただいたことをご報告します。
当初は10人くらいのささやかな会をと思っていたのですが、予期に反して33人もの方にお集まりいただきました。
20110427野田哲也先生20110427乾杯野田英夫の甥である版画家の野田哲也先生が先ず挨拶。
被災地へのエールをこめて、女性に人気の一の蔵のすず音で乾杯。

20110427酒20110427東北の珍味送っていただいた東北各地の銘酒と珍味。
お酒は全部呑んじゃいました。

20110427野田哲也夫妻20110427歓談1建築家、デザイナー、バームクーヘンの職人さんなどなど若い人たちの参加も多かったので何人かにスピーチしていただきました。

20110427歓談220110427栗原敦右)宮澤賢治に触れながら今回の震災について語る栗原敦さん(実践女子大学教授、筑摩書房の宮澤賢治全集の編纂校訂にもあたりました)

20110427木下哲夫美術書の翻訳の第一人者でジョナス・メカス日本日記の会の木下哲夫さん。多田富雄・石牟礼道子『言魂』で述べられた日本の権力が決して責任をとらないできたという歴史の教訓を今回の震災では少しでも生かしたいと結びのスピーチ。


●参加者の一人、植田実さんからのファックス
きのうはありがとうございました。ほんとうに楽しい会でした。野田さんのお話がすてきだったし、若い人たちの紹介とスピーチもとても気持ちよいものでした。
飲みものも食べものも現地から「やってきた」という感じでした。(後略)

そもそも「東北の酒と肴とお菓子をいただく会」を開いたきっかけは、大谷省吾先生の「野田英夫展によせて」第1回に書かれていた<違和感>です。
震災をきっかけに、それはちょっとおかしいのではないかと、いう出来事がありました。
それについてはもう少し時間をかけて考えたいのでここでは書きませんが、<違和感>を感じていることだけは声をあげておきたいと思いました。
1930年代を走りぬけた野田英夫の生涯についても考え続けたい。
野田英夫展1野田英夫展2
野田英夫遺作展展示風景1


大谷さんは、
<何に違和感を覚えるのかといえば、「アートとして何かをしなければならない」という強迫観念のようなもの、皆で同じ方向を向いて進まなければいけないような暗黙の強制力のようなもの、に対してである。これがもし、ふだんアートが世の中の役にたっていないことへのコンプレックスや、後ろめたさの心理の裏返しとして作用すると、焦って我を忘れることにつながりかねないだろう。アートとは本来、このような暗黙の強制力によって人々があるひとつの方向へと流されていってしまいそうなときに「こんな別の考え方、ものの見方もあるんだよ」ということを、個の立場から発信すべき存在ではなかったか。それこそがアートの役割ではなかったか。>と述べています。(<>内が引用)
18_野田英夫60011_野田英夫600
左)野田英夫「作品」(出品No.18)
紙にペン  16.8x23.3cm
右)野田英夫「作品」(出品No.11)
紙にペン  21.4x15.4cm


私の友人が送ってくれたメールには次のように書いてありました。

<無能なリーダーしかいない現実、それ自体は困ったものだとは思いますが、それよりも今は英雄豪傑でない普通の私たちが、この状況の中で自らを主体として維持しうるかどうか、いわばその意味での「民度」が問われ続けている日々だと思います。現在までの所、日々の暮らしの中でそれぞれに名を持ち顔を持っている無名の(つまり単に有名人でないという意味での、普通の)者たちは、よくそれぞれの場所で自身がなし得る責務をそれぞれに果たし、事態に耐えていると思います。
 犠牲になった人々こそ、そのものとして痛まれなければならず、決して権力や支配の都合のための英雄として再び費消されることがあってはならないと信じます。名もなき者たちの、それぞれの場所で果たされた犠牲以上に尊いものはありません。
 義捐や支援は、義捐や支援としてなされればよいのです。義捐や支援の「意義」や「権威」が求められているわけではありません。「意義」や「権威」に転化させ、それを強制する、そこに支配や権力が生ずる源があるだけです。 >
野田英夫展3野田英夫展4
野田英夫遺作展展示風景2


ときの忘れもののご意見番、原茂さんが掲示板に再録して下さった写真家・渡部さとるさんのブログの文章は実にさわやかなものでした。

<今回のモンゴル展で自分のプリントを販売している。今日までに5枚が売れた。でもこれはチャリティ目的ではない。これまでに作ったオリジナルプリントを額装して販売している。
チャリティ写真展へのお誘いをたくさんいただいたが、結局どこにも写真を出さなかった。
僕はチャリティ写真展へ写真を出す側にならずに、買う側に回ろうと思ったのだ。
今回のモンゴル展での売り上げで、僕はチャリティ関連のプリントを買おうと思っている。
チャリティに作品を出すのも大事だが、買う側とのバランスが取れていない気がする。こう言ってはなんだが、チャリティだからといって、まだ無名の若手写真家のプリントがバンバン売れるとは思いづらい。
チャリティに写真を出す写真家がお互いにプリントを買い合うのはどうだろう。そうすると会場に赤丸が並び、一般の人たちが買う気分も上がる気がするのだが。
特に若い写真家はこの機会にプリントを買ってみる経験をするのはいいことだと思うよ。
日本はアートを買う文化がないと嘆く前に、一回買ってみると色々な仕組みに気がつくはず。
それが被災地の役に立つのであれば一石二鳥だと思うわけだ。>

こういう普通の市民感覚にあふれたごくごくまっとうな意見を初めて聞いた気がします。
あらためて渡部さんに敬意を表したいと思います。
3_野田英夫600
野田英夫
「作品」(出品No.3)
紙に油彩・ペン  21.4x17.3cm

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◆ときの忘れものは、2011年4月19日[火]―4月30日[土]「野田英夫遺作展―漂泊と望郷の画家」を開催しています(会期中無休)。
野田英夫展案内状

1908年アメリカのサンタクララで日系移民の子として生まれ、日本とアメリカを行き来し、自分の身辺や日常生活、市井の人々を温かなまなざしで描いた野田英夫は1939年30歳の若さで亡くなります。今回の遺作展では油彩、水彩、素描など21点を展示し、野田の創作の軌跡を辿ります。出品作品、価格については出品リストをご参照ください。
野田英夫の生涯と作品については、大谷省吾さんのエッセイ「野田英夫展によせて」をお読みください。