某アートフェアの事務局から電話がありました。
「今回は、参加画廊のブースだけでなく、VIPルームをつくり、世界に誇る日本の現代美術の名品を展示したい、もちろん販売可能な作品で。ついては瑛九をぜひ入れたいのでご出品いただけないでしょうか。」

当初、日程の都合(既に決まっている企画と会期が重複する)もあり、出展はしない方向だったのですが、~ん、痛いところをつかれましたね。
瑛九は売るほどあるので、出品自体は問題ないのですが、値段をつけて展示していただきながら、売主がいない(出展しない)というのもなあ・・・

それにちょうどその頃、最強スタッフが休暇に入ることもあり、思案投げ首。
ああどうしよう。

さて、ときの忘れものでは「第22回 瑛九展」を開催していますが、おかげさまで好評です。
このところ、売上げゼロに近い惨状が続いていたので、社長はほっと一息。
回を重ねて22回、瑛九はやってもやっても飽きることがない、いつ見ても新たな感動が寄せてくる。だから売り込み言葉にもリキが入ります。
それに、これが一番嬉しいことですが、やるたびに新しいお客様が増えることです。
まだ会期は4日過ぎただけですが、買われたお客様は海外、四国、愛知、栃木、神奈川、埼玉、東京と幅広い地域と年齢層です。

出品作品からいくつかを順次ご紹介しましょう。
先ずは、太平洋を往復した珍しいフォトデッサン「Kiss」。
瑛九キス
瑛九「kiss
フォトデッサン
28.0x22.5cm サインあり

瑛九KISS裏面
同作品の裏、スタンプが捺され、シールが添付されている。

作品の画面中央下にペンによるサインがされ、裏面にはご覧のようにスタンプが捺され、シールが添付されています。

P.I.P. PHOTO BY
PLEASE CREDIT
ORION

QE-63 Kiss, Photo Dessin, by Kyu Ei (1950 )

THIS PHOTO IS SOLD WITH
ONE TIME PUBLICATION RIGHTS ONLY
P.I.P. 173 WEST 81 ST. NEW YORK 24. N.Y.


これらの英文は何を意味するのでしょうか。
宮崎で生まれ育ち、浦和で亡くなった(死んだのは東京の病院で)瑛九は生涯ただの一度も日本を出たことはありませんでした。
中学校すら出ていない(つまり小学校卒)瑛九はしかしエスペラント語を学び、海外の雑誌や画集を取り寄せ、海外の動向にも敏感でした。
思考は常に世界的な視野を失いませんでした。

その瑛九の夢は自分の作品(ことにフォトデッサン)が世界の舞台で評価されることでした。
海外での作品発表の機会がただ一度ありました。

1953年1月、PIP(Photographic International Publicity)という雑誌から、オリオン商事という版権の専門会社を通じてニューヨークで個展を開催しないかという話が持ち込まれ、瑛九は自分のフォトデッサンが国際的なレベルでも評価されることを確信して、小判15点、大判25点の計40点のフォトデッサンをアメリカに送りました。
結局、個展は実現せず、同年3月にアメリカの有力写真展「トップス・イン・フォトグラフィー展」5点が出品されただけで、のちに(3年も経ってから)二つの写真雑誌「フォトグラフィ」と「アート・フォトグラフィ」に紹介されただけで終わりました。
送った40点はそのまま日本に戻されました。

今回の「第22回瑛九展」に出品した上掲の「Kiss」は、一度はアメリカに渡り、返送されてきた40点のうちの1点です。このときの40点は瑛九が満を持してニューヨークに送った自選作品であり、文字通り代表作とみなしてよいでしょう。

それらの40点には、裏にPIPとORIONの二つのスタンプが捺してあり、さらにシール(紙)がはってあるので直ぐにわかります。

瑛九の海外での個展の計画はこのあとも試みられたのですが、これについては後日またご説明しましょう。
瑛九生前の海外展は実現しませんでしたが、没後少なからぬ数の瑛九作品が海を越えて旅しています。
つい昨秋もパリフォトに瑛九のフォトデッサンが出品され反響を呼んだようです。
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◆ときの忘れものは2012年1月13日[金]―1月21日[土]「第22回 瑛九展」を開催しています。
魔方陣瑛九展油彩、水彩、フォトデッサンの他に、久しぶりに版画(銅版、リトグラフ)も展示します。
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