小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第11回ジェリー・N・ユルズマン

ジェリー・N・ユルズマン(Jerry N. UELSMANN)「Untitled」

Jerru Uelsman[Untitled 3](図1)ジェリー・N・ユルズマン
"Untitled"
1976
Gelatin Silver Print
33.5x24.3cm
signed

本棚と暖炉のあるビクトリア朝様式の瀟洒な部屋。書き物机の上には、地図が拡げられ、その地図の上に重ねられた本の上には、小さな人物があたかも物思い耽るかのように頭を下げて立っています。部屋の天井が抜き取られたような状態になっていて、広がる空には雲が立ちこめ、雲の隙間から差し込む光は、小さな人物の影法師を作り、また机の下に敷かれた豪華な絨毯の上にも影を落としています。
ジェリー・N・ユルズマン (Jerry N. Uelsmann, b.1934)の代表作として知られるこの作品は、「The Philosopher’s Study(哲学者の書斎)」と通称されてもいます。本や地図の中から立ち上がる人物の姿は、書斎の中に籠もって思索する哲学者を、頭上の空は無限に広がる思弁の世界を象徴的に表していると読み解き、解釈することもできるでしょう。
ジェリー・N・ユルズマンは、ロチェスター工科大学在学中の1950年代末から合成写真の作品制作を始め、以降大学で写真教育に携わりながら、制作を続けてきました。彼の制作手法は、複数枚のネガを元に、暗室作業を繰り返してプリントに焼き付けていくというもので、場合によっては、一枚のプリントを焼き付けるために10台近くもの引伸機が使われています(図2)。複数のネガを組み合わせることによって、頭の中で思い描いた超現実的で幻想的な光景を、暗室の中で印画紙の上に構築してゆくユルズマンは、まさしくイメージの錬金術師と呼ばれるに相応しいでしょう。

uelsmann-darkroom(図2)引伸機が並ぶジェリー・N・ユルズマンの暗室

1960年代以降、ユルズマンの作品は、ストレート写真が主流を占めていたアメリカの写真の潮流に革新的な表現として脚光を浴びました。デジタル技術が進歩し、コンピュータ上での画像合成が容易になった現在の視点から見ると、彼の作品は、アナログの技法による写真合成の卓越した技巧やその先駆性という側面に注目が集まりがちです。しかし、ユルズマンのウェブサイトのGALLERIESのページで、1950年代から現在にいたるまでの彼の作品を通覧してみると、彼が長年にわたる制作活動の中で、独特の世界観(人工と自然の対比、浮遊の感覚、神話の世界)を構築するために、モチーフを蒐集し、吟味し、選び出す作業を入念に続けてきたことが判ります。作品制作の過程でプリントした膨大なコンタクトシートを前に広げて佇むユルズマンのポートレート写真(図3)は、イメージのコレクターとしてのユルズマンの側面を端的に表していると言えるでしょう。

uelsmann-portrait(図3)ジェリー・N・ユルズマンとコンタクトシート

暗室作業と撮影を往復するように繰り返す中で、頻繁に登場するモチーフ(流れる水、樹木、空、書物、手、ヌード)は、彼の作品の語彙として定着し、作品によってその意味合いが、見る人によってさまざまな方法で解釈できるような世界が形作られています。ユルズマンの作品制作のプロセスに照らし合わせてみると、(図1)の作品に表されている室内空間は、暗室という空間にも近似したものにも映ります。頭上から差し込む光と書き物机は、引伸機の光源と台をあらわし、机の上に佇む人は、暗室作業に没頭し、印画紙の上に彼が思い描く世界を構築することに懸命になっているユルズマン自身の姿に重ね合わせてみることもできるのではないでしょうか。
(こばやしみか)

小林美香さんのエッセイは毎月10日と25日の更新です。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから