5月13日(日)14時より、改装後の初めての五味彬によるトーク「ウサギのことはウサギに聞け、写真のことは写真家に聞け」を開催しました。

二時間近くご自身の制作方法やコンセプトから、世界の写真市場にまで話が及び、実に濃密な内容でした。
入社間もない新人・新澤に「レポートではなく」感想を書かせました。
少し乱暴ではありますが、スタッフ育成のステップとしてご寛恕ください。
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五味彬のトークを聞いて/新澤悠
美術業界に足を踏み入れて半年に満たない自分にとって、作家先生の考え方ほど理解の及ばないものもそうありません。今回のトークで語られた五味先生の作家観も、デザイン業界出身の自分にとって分かりやすいものではありましたが、いささか意外なものでもありました。

作品"8P_UP・AC"について説明する五味先生。モデルを最大限見栄え良く撮影するために、髪のほつれまでミリ単位で指定しての撮影だったという。
最初にビジネスマンを名乗り、写真非芸術論を語った五味先生が、作品を作る時に考えるのは「どうすれば売れるか」。まさに商業クリエーターの考え方です。値段を付けて販売されるものはあくまでも「商品」であり、今回の「AKIRA GOMi 1972-2012 / 倉俣史朗&村上麗奈」でも「作品」は2点のみ、残りは全て「商品」であり、その製作意図は「いかにして売るか」だそうです。当然「作品」と「商品」では愛着が違う道理で、初日のレセプションで「作品」の一つ、イエローズの大作である"25P_AC・ACB 1991年"が売れたのですが、五味先生は「作品」が売れて嬉しいどころか、娘を嫁に出したみたいな気分で一日落ち込んでいらしたとか。

五味彬
"25P_AC・ACB 1991年"
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
107.5×170.0cm サインあり

五味彬
"8P_UP・AC"1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
86.0×68.0cm サインあり
その「作品」にしても、どうにも他の作家先生とはスタンスが違う印象がありました。代表作であるイエローズも、その制作動機はヌードの美を云々、という話ではなく、生まれてくる娘に親として残せるものを考えた結果、「20世紀の女性像」という「記録」を残すためであり、本人からしてみるとコミュニケーションツールとしての側面に重きを置いているように自分には感じられました。ご自分でもイエローズ2.0やアメリカンズを作られていますが、他の作家による男性版の作成にも協力されているそうで、伝えることこそが大事であり、作風などについて助言こそしているものの、必ずしも自分がそれを成す必要はないと考えられているようです。
商業作家としては、作った商品は買って欲しいし使って欲しいもの。そう考えた五味先生の結論というのがまた興味深いものでした。日本で一般の方が写真を買われた場合、それを飾るのは空間の余地的に考えてトイレしかない、というのです。結論の是非はともかくとして、それを前提として作品のサイズを割り出し、写真の劣化を防ぐために防臭シートや洗剤などが使われた際に出るガスからの防護手段を模索し、最大公約数に受け入れられる被写体を受け入れやすい作風で撮影するなど、プロダクトデザインにも通じる話を聞き、いやはや作家先生とはやはり千差万別なのだなぁ、と、大した数も知らないくせに知った気になった午後でありました。
(しんざわ ゆう)

トーク終了後、参加者の一人Kさんが持参した写真コレクション(中川正昭)を鑑賞。
五味先生のYELLOWSに先立つこと10数年、1977年にYELLOWSと全く同じスタイルで52人の女性(うち一人はダッチワイフ)を撮影した連作です。
中川正昭は、実験的な技法を試みていた人で、8×10のポラロイド(白黒・カラー)の作品や、同じく8×10のネガを加工してオブジェの様な作品を作ったりそれに光ファイバーを絡ませレーザー光で光を当てり作品や、蓄光材を塗ってブラックライトを当てる作品等を作っていました。
トーク後、来廊者の方たちと、ときの忘れもの玄関で
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは2012年5月11日[金]―5月19日[土] 「AKIRA GOMi 1972-2012 / 倉俣史朗&村上麗奈」を開催しています。(*会期中無休)

◆「美術展のおこぼれ」を執筆している植田実さんが、新たなエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」の連載を開始します。
生誕100年を迎えた画家・松本竣介が歩いた街を歩きながら、慧眼の建築評論家ならではの視点で竣介を語ります。
第一回は明日掲載します。
「美術展のおこぼれ」も続行しますので、あわせてご愛読ください。

二時間近くご自身の制作方法やコンセプトから、世界の写真市場にまで話が及び、実に濃密な内容でした。
入社間もない新人・新澤に「レポートではなく」感想を書かせました。
少し乱暴ではありますが、スタッフ育成のステップとしてご寛恕ください。
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五味彬のトークを聞いて/新澤悠
美術業界に足を踏み入れて半年に満たない自分にとって、作家先生の考え方ほど理解の及ばないものもそうありません。今回のトークで語られた五味先生の作家観も、デザイン業界出身の自分にとって分かりやすいものではありましたが、いささか意外なものでもありました。

作品"8P_UP・AC"について説明する五味先生。モデルを最大限見栄え良く撮影するために、髪のほつれまでミリ単位で指定しての撮影だったという。
最初にビジネスマンを名乗り、写真非芸術論を語った五味先生が、作品を作る時に考えるのは「どうすれば売れるか」。まさに商業クリエーターの考え方です。値段を付けて販売されるものはあくまでも「商品」であり、今回の「AKIRA GOMi 1972-2012 / 倉俣史朗&村上麗奈」でも「作品」は2点のみ、残りは全て「商品」であり、その製作意図は「いかにして売るか」だそうです。当然「作品」と「商品」では愛着が違う道理で、初日のレセプションで「作品」の一つ、イエローズの大作である"25P_AC・ACB 1991年"が売れたのですが、五味先生は「作品」が売れて嬉しいどころか、娘を嫁に出したみたいな気分で一日落ち込んでいらしたとか。

五味彬
"25P_AC・ACB 1991年"
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
107.5×170.0cm サインあり

五味彬
"8P_UP・AC"1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
86.0×68.0cm サインあり
その「作品」にしても、どうにも他の作家先生とはスタンスが違う印象がありました。代表作であるイエローズも、その制作動機はヌードの美を云々、という話ではなく、生まれてくる娘に親として残せるものを考えた結果、「20世紀の女性像」という「記録」を残すためであり、本人からしてみるとコミュニケーションツールとしての側面に重きを置いているように自分には感じられました。ご自分でもイエローズ2.0やアメリカンズを作られていますが、他の作家による男性版の作成にも協力されているそうで、伝えることこそが大事であり、作風などについて助言こそしているものの、必ずしも自分がそれを成す必要はないと考えられているようです。
商業作家としては、作った商品は買って欲しいし使って欲しいもの。そう考えた五味先生の結論というのがまた興味深いものでした。日本で一般の方が写真を買われた場合、それを飾るのは空間の余地的に考えてトイレしかない、というのです。結論の是非はともかくとして、それを前提として作品のサイズを割り出し、写真の劣化を防ぐために防臭シートや洗剤などが使われた際に出るガスからの防護手段を模索し、最大公約数に受け入れられる被写体を受け入れやすい作風で撮影するなど、プロダクトデザインにも通じる話を聞き、いやはや作家先生とはやはり千差万別なのだなぁ、と、大した数も知らないくせに知った気になった午後でありました。
(しんざわ ゆう)

トーク終了後、参加者の一人Kさんが持参した写真コレクション(中川正昭)を鑑賞。
五味先生のYELLOWSに先立つこと10数年、1977年にYELLOWSと全く同じスタイルで52人の女性(うち一人はダッチワイフ)を撮影した連作です。
中川正昭は、実験的な技法を試みていた人で、8×10のポラロイド(白黒・カラー)の作品や、同じく8×10のネガを加工してオブジェの様な作品を作ったりそれに光ファイバーを絡ませレーザー光で光を当てり作品や、蓄光材を塗ってブラックライトを当てる作品等を作っていました。
トーク後、来廊者の方たちと、ときの忘れもの玄関でこちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは2012年5月11日[金]―5月19日[土] 「AKIRA GOMi 1972-2012 / 倉俣史朗&村上麗奈」を開催しています。(*会期中無休)

◆「美術展のおこぼれ」を執筆している植田実さんが、新たなエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」の連載を開始します。
生誕100年を迎えた画家・松本竣介が歩いた街を歩きながら、慧眼の建築評論家ならではの視点で竣介を語ります。
第一回は明日掲載します。
「美術展のおこぼれ」も続行しますので、あわせてご愛読ください。
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