「マイコレクション物語」第10回 荒井由泰
もう一つのマイコレクション:同時代を生きるアーティスト達
私のもう一つのコレクションテーマは私と同時代を生き、私のこころにしっかり響くアーティスト達のことを紹介したい。(すでに登場している作家達であるが)これらの作家・作品は意識をして集めたものでなく、縁があって、気になる作家・作品としてコレクションに加わったものである。気に入った作家については最低数点はコレクションしたいと考えていたこともあり、縁があって(このときの縁とは気に入った作品と購入可能なお金がやりくり可能な状態を言う)、一点一点購入した結果として、コレクションが構成されたものである。
作家・作品論については評論家でないのでうまく表現できないが、独断と偏見で自分なりの「惹かれる理由」を自分のなかで見つめてみたい。
メクセペル・モーリッツ・デマジエール
海外アーティストからはじめよう。最初はメクセペル(Friedrich Meckseper 1936~)だが正直なところあまりドイツの作家には興味がないが、彼の静物画にはなぜか惹かれる。アルファベット・筒・玉・分度器とかが、繰り返し作品に現れる。ドイツらしく強い存在感を感じる。背景となる空間にはなんとも言えない銅版画のマチエールがにじみ出ており、抑えた色彩とともに、私を魅了する。最近、かつては高嶺の花であった「四つの玉」(1968)を格安で手に入れた。市況が悪いのか、版画の人気がないのか、好みの変化なのか、為替の問題なのか、真なる原因は分からない。「四つの玉」を見ながら、「良いものは良い」「作品としての価値は変わらない」と勝手に納得している。次はモーリッツ(Phillipe Mohlitz 1941~ )、彼はビュラン(エングレービング)の名手である。ヨーロッパの伝統的な技術を受け継ぐ版画家の一人だ。彼もブレスダンやルドンと同じくボルドーの出身であり、幻想の世界に身をおいている点で彼らとつながっている。フィッチのところで作品に出会って以来、モーリッツの幻想的かつシニカルな世界に魅せられた。拡大鏡を片手に作品を見ると楽しい。図柄で好きなものを70年代中心に集めたが、モーリッツも最近はあまり人気がないようだ。作品を見る機会が減っていることも原因かもしれない。オークション等に初期の名品が手頃な価格で出ていることもあり、初期の好きな作品をコレクションに追加している。本年7月に福井のE&Cギャラリーで開催した「人物博覧会」に3点のモーリッツを出品したところ、若い人に人気があった。どうも劇画的な描き込みが心を捉えたようだ。人の心が変わるように、人の好みも時間とともに変化する。私自身も「ちょっと重すぎると感じはじめた」ことと、一時価格が異常に高かったこともあり、70年代の作品でコレクションを停止した。海外作家の最後がデマジエール(Erik Desmazières 1948~)だ。彼は私と同世代だ。彼を知ったにはフィッチが出版した「銅版画のルネッサンス」という5人の作家の版画集(1975 限定100部 浜口陽三、メクセペル、デマジエールほか)を購入したときが初めてだったように思う。この版画集のなかの作品は石の大きな構築物が崩壊する瞬間をエッチングで描いたもので、迫力満点の作品だ。彼の銅版画はヨーロッパの伝統技法を受け継いでおり、少し古風な雰囲気があるものの、銅版画の好きな方にはたまらない魅力がある。最近の作品では古書をテーマにした作品が好きだ。下総屋画廊で出版された「迷宮Ⅱ」は名品だと思っている。今後とも好きな作品をコレクションに加えようと思っている。
メクセペル
「4つの玉」
1968
モーリッツ
「L'eglise(教会)」
1975
デマジエール
「LabryinthⅡ(迷宮Ⅱ)」
2003
野田哲也・舟越桂・小野隆生・柄澤齊・北川健次
紙面も限られているので、日本人作家に移ろう。日本人作家についてはすでに紹介しているので、なるべく簡略にすすめたい。最初に野田哲也(のだてつや1940~):写真、シルク、木版の組み合わせと日記シリーズという物語性に彼の才能が加わり、魅力的な野田ワールドをつくり出している。奥様も含め、何度かお会いしているがその気さくで優しい人間性にも惹かれる。日記シリーズに本人、奥様、娘さんも登場しているので、なぜか家族ぐるみのお付き合いが続いている感じがするから不思議である。コレクションは50点近くになった。お気に入りは日記:1970年4月27日でニューヨークで池田満寿夫、リラン、川島猛が登場する作品だ。空の色は池田のブルーで当時の熱気が伝わってくる。次は舟越桂(ふなこしかつら1951~)。今や人気の彫刻家・アーティストだ。彫刻のみならず、版画の様々な技法にチャレンジしてくれるのはうれしい。もう少し好みの作品を集めたいところだが、値段が高くて苦しい。一番最近のコレクション作品は「戦争を視るスフィンクス」(2005 銅版画)だ。殺し合いをする愚かな人間達を悲しみの心で見つめるスフィンクスが描かれている。赤い色は戦火を表現しているのだろうか。好きな作品だ。次は小野隆生(おのたかお1950~)。アートフル主催の企画展は4回を数えた。肖像が好きで、私としては珍しく版画でなく、テンペラ作品もコレクションさせてもらった。強く・主張する女性から少しずつマイルドになっているのが気にはなるが、変化も含めてコレクションするのは楽しい。彼の肖像にはモデルがいないとのことだが、どこからイメージが沸いてくるのか、いつも不思議に感じている。次は柄澤斉(からさわひとし1950~)。一番長いつきあいの作家だ。版画作品のみならず、挿画本にこだわったり、自分で「SHIP」という版画入り雑誌を発刊したりで、作品のテーマも含め、共感できることの多い作家だ。そんなことで「肖像シリーズ」をはじめ、コレクション数が一番多い。やっぱり「肖像シリーズ」が一番お気に入りである。アートフルの展覧会で購入した「岸田劉生」(2007 木口木版・手彩色)は秀作だ。版画のみならず、表現領域を広げており、今後の活躍が楽しみだ。出来る限り応援を続けたいと思っている。しんがりは北川健次(きたがわけんじ1952~)。彼は福井出身だが、お付き合いの面では一番最近のアーティストだ。少しばかり古風でノスタルジックなイメージの中に彼の鋭い感性・美意識が走る。ちょっと重い感じがしないでもないが、軽いものが蔓延しているなかでは光っている。とにかく彼の感性とかこだわり、さらには自信を持って自分自身をアピールする姿勢には敬服している。また、アートにとって厳しい世の中にもかかわらず、版画集、オブジェ作品、コラージュ、ミクストメディア作品を積極的に発表しつづける姿勢にも大いに評価したい。今のところ、私のコレクションは版画集が中心だが、彼の発表する写真作品にも興味を抱き、コレクションに加えている。彼のこれからの活躍に期待して、微力ながら応援したいと思っている。
野田哲也
「池田満寿夫と仲間たち」
1970日記:1970年4月17日
舟越桂
「戦争を視るスフィンクス」
2005
小野隆生
「少女像」
1980
テンペラ
小野隆生
「アイマスクの女」
肖像図98-13
1998
テンペラ
柄澤斉
「肖像Ⅳ A.ランボー」
1982
柄澤斉
「肖像XLVⅢ 岸田劉生」
2007
北川健次
「回廊にて」
2007
同時代を生きたアーティスト達とは異なるが、気になる作家で、何点か作品をコレクションしている作家を挙げてみたい。谷中安規、難波田龍起、オノサトトシノブ、藤森静雄、戸村茂樹、若手で気になる作家は青木野枝、小林孝亘、光嶋裕介らである。
改めて自分のコレクションを見つめると様々な技法・表現の作品があり、果たして脈絡のしっかりしたコレクションと言えるのかと不安になるが、私が生きてきた時代のなかで心にひっかかり、所有したいと願った作品群であることは確かだ。
次回が最終回となるが、コレクションとは何か、コレクションの公開についてなど、まとめの形で述べてみたい。
(あらいよしやす)
*画廊亭主敬白
荒井さんのエッセイ、亭主としてはもっともっと聞きたいところですが、次回が最終回となります。
いま開催中の松本竣介展(後期)初日に、偶然野田哲也先生と土渕信彦さんがいらっしゃいました。
野田哲也先生(右)
2013年1月9日
土渕さん撮影
もう一つのマイコレクション:同時代を生きるアーティスト達
私のもう一つのコレクションテーマは私と同時代を生き、私のこころにしっかり響くアーティスト達のことを紹介したい。(すでに登場している作家達であるが)これらの作家・作品は意識をして集めたものでなく、縁があって、気になる作家・作品としてコレクションに加わったものである。気に入った作家については最低数点はコレクションしたいと考えていたこともあり、縁があって(このときの縁とは気に入った作品と購入可能なお金がやりくり可能な状態を言う)、一点一点購入した結果として、コレクションが構成されたものである。
作家・作品論については評論家でないのでうまく表現できないが、独断と偏見で自分なりの「惹かれる理由」を自分のなかで見つめてみたい。
メクセペル・モーリッツ・デマジエール
海外アーティストからはじめよう。最初はメクセペル(Friedrich Meckseper 1936~)だが正直なところあまりドイツの作家には興味がないが、彼の静物画にはなぜか惹かれる。アルファベット・筒・玉・分度器とかが、繰り返し作品に現れる。ドイツらしく強い存在感を感じる。背景となる空間にはなんとも言えない銅版画のマチエールがにじみ出ており、抑えた色彩とともに、私を魅了する。最近、かつては高嶺の花であった「四つの玉」(1968)を格安で手に入れた。市況が悪いのか、版画の人気がないのか、好みの変化なのか、為替の問題なのか、真なる原因は分からない。「四つの玉」を見ながら、「良いものは良い」「作品としての価値は変わらない」と勝手に納得している。次はモーリッツ(Phillipe Mohlitz 1941~ )、彼はビュラン(エングレービング)の名手である。ヨーロッパの伝統的な技術を受け継ぐ版画家の一人だ。彼もブレスダンやルドンと同じくボルドーの出身であり、幻想の世界に身をおいている点で彼らとつながっている。フィッチのところで作品に出会って以来、モーリッツの幻想的かつシニカルな世界に魅せられた。拡大鏡を片手に作品を見ると楽しい。図柄で好きなものを70年代中心に集めたが、モーリッツも最近はあまり人気がないようだ。作品を見る機会が減っていることも原因かもしれない。オークション等に初期の名品が手頃な価格で出ていることもあり、初期の好きな作品をコレクションに追加している。本年7月に福井のE&Cギャラリーで開催した「人物博覧会」に3点のモーリッツを出品したところ、若い人に人気があった。どうも劇画的な描き込みが心を捉えたようだ。人の心が変わるように、人の好みも時間とともに変化する。私自身も「ちょっと重すぎると感じはじめた」ことと、一時価格が異常に高かったこともあり、70年代の作品でコレクションを停止した。海外作家の最後がデマジエール(Erik Desmazières 1948~)だ。彼は私と同世代だ。彼を知ったにはフィッチが出版した「銅版画のルネッサンス」という5人の作家の版画集(1975 限定100部 浜口陽三、メクセペル、デマジエールほか)を購入したときが初めてだったように思う。この版画集のなかの作品は石の大きな構築物が崩壊する瞬間をエッチングで描いたもので、迫力満点の作品だ。彼の銅版画はヨーロッパの伝統技法を受け継いでおり、少し古風な雰囲気があるものの、銅版画の好きな方にはたまらない魅力がある。最近の作品では古書をテーマにした作品が好きだ。下総屋画廊で出版された「迷宮Ⅱ」は名品だと思っている。今後とも好きな作品をコレクションに加えようと思っている。
メクセペル「4つの玉」
1968
モーリッツ 「L'eglise(教会)」
1975
デマジエール 「LabryinthⅡ(迷宮Ⅱ)」
2003
野田哲也・舟越桂・小野隆生・柄澤齊・北川健次
紙面も限られているので、日本人作家に移ろう。日本人作家についてはすでに紹介しているので、なるべく簡略にすすめたい。最初に野田哲也(のだてつや1940~):写真、シルク、木版の組み合わせと日記シリーズという物語性に彼の才能が加わり、魅力的な野田ワールドをつくり出している。奥様も含め、何度かお会いしているがその気さくで優しい人間性にも惹かれる。日記シリーズに本人、奥様、娘さんも登場しているので、なぜか家族ぐるみのお付き合いが続いている感じがするから不思議である。コレクションは50点近くになった。お気に入りは日記:1970年4月27日でニューヨークで池田満寿夫、リラン、川島猛が登場する作品だ。空の色は池田のブルーで当時の熱気が伝わってくる。次は舟越桂(ふなこしかつら1951~)。今や人気の彫刻家・アーティストだ。彫刻のみならず、版画の様々な技法にチャレンジしてくれるのはうれしい。もう少し好みの作品を集めたいところだが、値段が高くて苦しい。一番最近のコレクション作品は「戦争を視るスフィンクス」(2005 銅版画)だ。殺し合いをする愚かな人間達を悲しみの心で見つめるスフィンクスが描かれている。赤い色は戦火を表現しているのだろうか。好きな作品だ。次は小野隆生(おのたかお1950~)。アートフル主催の企画展は4回を数えた。肖像が好きで、私としては珍しく版画でなく、テンペラ作品もコレクションさせてもらった。強く・主張する女性から少しずつマイルドになっているのが気にはなるが、変化も含めてコレクションするのは楽しい。彼の肖像にはモデルがいないとのことだが、どこからイメージが沸いてくるのか、いつも不思議に感じている。次は柄澤斉(からさわひとし1950~)。一番長いつきあいの作家だ。版画作品のみならず、挿画本にこだわったり、自分で「SHIP」という版画入り雑誌を発刊したりで、作品のテーマも含め、共感できることの多い作家だ。そんなことで「肖像シリーズ」をはじめ、コレクション数が一番多い。やっぱり「肖像シリーズ」が一番お気に入りである。アートフルの展覧会で購入した「岸田劉生」(2007 木口木版・手彩色)は秀作だ。版画のみならず、表現領域を広げており、今後の活躍が楽しみだ。出来る限り応援を続けたいと思っている。しんがりは北川健次(きたがわけんじ1952~)。彼は福井出身だが、お付き合いの面では一番最近のアーティストだ。少しばかり古風でノスタルジックなイメージの中に彼の鋭い感性・美意識が走る。ちょっと重い感じがしないでもないが、軽いものが蔓延しているなかでは光っている。とにかく彼の感性とかこだわり、さらには自信を持って自分自身をアピールする姿勢には敬服している。また、アートにとって厳しい世の中にもかかわらず、版画集、オブジェ作品、コラージュ、ミクストメディア作品を積極的に発表しつづける姿勢にも大いに評価したい。今のところ、私のコレクションは版画集が中心だが、彼の発表する写真作品にも興味を抱き、コレクションに加えている。彼のこれからの活躍に期待して、微力ながら応援したいと思っている。
野田哲也「池田満寿夫と仲間たち」
1970日記:1970年4月17日
舟越桂 「戦争を視るスフィンクス」
2005
小野隆生 「少女像」
1980
テンペラ
小野隆生「アイマスクの女」
肖像図98-13
1998
テンペラ
柄澤斉「肖像Ⅳ A.ランボー」
1982
柄澤斉 「肖像XLVⅢ 岸田劉生」
2007
北川健次「回廊にて」
2007
同時代を生きたアーティスト達とは異なるが、気になる作家で、何点か作品をコレクションしている作家を挙げてみたい。谷中安規、難波田龍起、オノサトトシノブ、藤森静雄、戸村茂樹、若手で気になる作家は青木野枝、小林孝亘、光嶋裕介らである。
改めて自分のコレクションを見つめると様々な技法・表現の作品があり、果たして脈絡のしっかりしたコレクションと言えるのかと不安になるが、私が生きてきた時代のなかで心にひっかかり、所有したいと願った作品群であることは確かだ。
次回が最終回となるが、コレクションとは何か、コレクションの公開についてなど、まとめの形で述べてみたい。
(あらいよしやす)
*画廊亭主敬白
荒井さんのエッセイ、亭主としてはもっともっと聞きたいところですが、次回が最終回となります。
いま開催中の松本竣介展(後期)初日に、偶然野田哲也先生と土渕信彦さんがいらっしゃいました。

野田哲也先生(右)
2013年1月9日
土渕さん撮影
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