ときの忘れものでは、お蕎麦、温泉、建築、美術などをたらふく堪能するツアーをときどき企画してきましたが、今年は7月中旬に3.11の被災地東北を巡り、個人美術館を訪ねるツアーを計画しています。
詳しくは後日発表しますが、乞うご期待!
個人美術館の名作は何といっても今井兼次設計の「碌山美術館」と谷口吉生設計の「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」。

2009年6月
ときの忘れものでは「香川の建築とうどんを楽しむツアー」を企画し(ナビゲーターは植田実さん)、お客様たちと讃岐うどんと建築を堪能してきましたが、なかでも丸亀駅前にたつ猪熊弦一郎美術館は外観のスケール感といい、内部の展示空間といい実に見事な建築でした。
このとき見学した丹下健三設計の香川県庁舎の壁画も猪熊弦一郎作でした。
同館では香川県立ミュージアム所蔵作品を中心に、猪熊弦一郎展が開催されています。
「猪熊弦一郎展 変化と不変」
会期:2013年1月13日(日)-4月4日(木)
会期中無休
主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団
特別協力:香川県立ミュージアム
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画廊コレクションから猪熊弦一郎の水彩作品をご紹介します。

猪熊弦一郎
"Red circle and blue circle"
1961年 水彩
イメージサイズ 70.8x55.7cm
額サイズ 79.5x62.4cm
Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう)
1902年12月14日高松市に生まれ、丸亀市に転居。旧制丸亀中学校(現香川県立丸亀高等学校)卒業。1922年東京美術学校(現東京芸術大学)洋画科に入学、藤島武二に師事。
1926年「婦人像」で帝展初入選。その後「座像」で特選に選ばれるなどし、帝展無鑑査となるが、1936年帝展改組をきっかけに小磯良平、脇田和らと新制作派協会を創立する。
1938年フランスに渡り、アンリ・マティスに師事。1940年第二次世界大戦が勃発し、最後の避難船となった白山丸で帰国。1951年上野駅の壁画「自由」を制作。慶應義塾大学大学ホールの壁画「デモクラシー」と名古屋丸栄ホテルホール壁画「愛の誕生」で第2回毎日芸術賞を受賞。
白地に赤で有名な三越の包装紙「華ひらく」のデザインも猪熊である。
1955年ニューヨークに渡り、画風は抽象に一転する。マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、ジョン・ケージ、ジャスパー・ジョーンズなどと交友する。1973年脳血栓で倒れてニューヨークを離れ、1975年からは温暖なハワイで毎年冬をすごしながら創作活動を続けた。
1993年5月17日死去。享年90。
詳しくは後日発表しますが、乞うご期待!
個人美術館の名作は何といっても今井兼次設計の「碌山美術館」と谷口吉生設計の「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」。

2009年6月
ときの忘れものでは「香川の建築とうどんを楽しむツアー」を企画し(ナビゲーターは植田実さん)、お客様たちと讃岐うどんと建築を堪能してきましたが、なかでも丸亀駅前にたつ猪熊弦一郎美術館は外観のスケール感といい、内部の展示空間といい実に見事な建築でした。
このとき見学した丹下健三設計の香川県庁舎の壁画も猪熊弦一郎作でした。
同館では香川県立ミュージアム所蔵作品を中心に、猪熊弦一郎展が開催されています。
「猪熊弦一郎展 変化と不変」
会期:2013年1月13日(日)-4月4日(木)
会期中無休
主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団
特別協力:香川県立ミュージアム
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画廊コレクションから猪熊弦一郎の水彩作品をご紹介します。

猪熊弦一郎
"Red circle and blue circle"
1961年 水彩
イメージサイズ 70.8x55.7cm
額サイズ 79.5x62.4cm
Signed
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■猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう)
1902年12月14日高松市に生まれ、丸亀市に転居。旧制丸亀中学校(現香川県立丸亀高等学校)卒業。1922年東京美術学校(現東京芸術大学)洋画科に入学、藤島武二に師事。
1926年「婦人像」で帝展初入選。その後「座像」で特選に選ばれるなどし、帝展無鑑査となるが、1936年帝展改組をきっかけに小磯良平、脇田和らと新制作派協会を創立する。
1938年フランスに渡り、アンリ・マティスに師事。1940年第二次世界大戦が勃発し、最後の避難船となった白山丸で帰国。1951年上野駅の壁画「自由」を制作。慶應義塾大学大学ホールの壁画「デモクラシー」と名古屋丸栄ホテルホール壁画「愛の誕生」で第2回毎日芸術賞を受賞。
白地に赤で有名な三越の包装紙「華ひらく」のデザインも猪熊である。
1955年ニューヨークに渡り、画風は抽象に一転する。マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、ジョン・ケージ、ジャスパー・ジョーンズなどと交友する。1973年脳血栓で倒れてニューヨークを離れ、1975年からは温暖なハワイで毎年冬をすごしながら創作活動を続けた。
1993年5月17日死去。享年90。
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