3月15日から開催した「具体 Gコレクションより」展もいよいよ本日が最終日です。

昨日関西から上京されたUさん、「ときの忘れものさんは具体はやっていませんでしたよね」とおっしゃる。
その通りで、亭主も1974年に美術界に入ってから40年近く、まさかこの歳で「具体」作品を扱うことになろうとは夢にも思いませんでした。
それもこれも企画監修にあたった石山修武先生のおかげです。

縁がなかったとはいえ、元永定正先生は別で、1977年の現代版画センター主催「現代と声」企画において当時亭主の指南役だった関根伸夫先生の強力な推薦で、版画を制作していただきました。
以来、たくさんの元永エディションを発表しましたが、それは既に「具体時代の元永定正」ではなく、ニューモトナガの明るくユーモアのある作品群でした。
因みに「現代と声 '77」に選んだのは元永先生のほか、靉嘔磯崎新、一原有徳、加山又造、小野具定、オノサト・トシノブ関根伸夫野田哲也の9人。
実際に口説いたのは10人ですが、「つげ義春」さんには断られました(今でも残念)。

また話が横道にそれちゃいそうなので、この話は止めて、先週、大阪からいらしてくださったのは「よしもと芸人 おかけんた」さん。
おかけんた
ご自身のブログ~アート愛好家の芸人~ にときの忘れもの訪問記を書いてくださいました。
おかけんたさんが初めていらしたのは、ときの忘れものがまだ一軒家時代ですから10年にもなるでしょうか。
ART OSAKA」ではいつもたくさんのお客様をレクチャーしながら会場をまわっておられます。いわばアート応援団長。現代美術への該博な知識、愛情は並々ならぬものがあります。

さて、このブログでは、「具体 Gコレクションより」の出品作品を順次ご紹介してきましたが、本日は真打、吉原治良作品をご紹介します。
とはいえ、実はこの展覧会のもととなる「Gコレクション」からは残念ながら吉原治良作品は出品されていません。
具体といえば=吉原治良となるので、まったく展示しないのもへんなので、ときの忘れもののコレクションから3点を出品した次第です。
731_600吉原治良
「円」
1971年
シルクスクリーン
22.1x27.4cm
A.P.  サインあり

DSCF5547_600吉原治良
「赤に青丸」
1971年
シルクスクリーン
50.0x58.3cm
A.P.  サインあり

DSCF5541_600吉原治良
「黒に白丸」
銅版
25.7x18.0cm
Ed.50  サインあり

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1905年1月1日大阪の油問屋(後の吉原製油)の御曹司として生まれた吉原治良は、同世代の画家たちがフランス留学するなかで、家業を継ぐため留学は許されず悔しい思いをしたようです。後年、具体結成にあたり最初から世界を目指し、国際的な活動を視野に入れていたことは、若い頃の留学コンプレックスが根底にあったためといわれます。
魚などを題材に具象画を描いていましたが、敬愛する藤田嗣治に作品を見てもらい独自性のなさを指摘され、幾何学的な抽象絵画へと徐々に転換します。
戦後は吉原製油社長としての実業のかたわら絵画・デザインの制作にも精力的に取り組み、住んでいた芦屋市で若い美術家らを集めて画塾を開き、そこから1954年に前衛的な美術を志向する「具体美術協会」を結成しリーダーとなります。
発表の場に恵まれないメンバーのために1962年、中之島の土蔵を改造してギャラリー「グタイピナコテカ」を開き、会員たちの個展を開きます。
自身は黒地に大きく白い円を描くなど円形を題材にした多くの作品を描きますが、「人の真似をするな」という会員への呼びかけによって、参加した作家たちは従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術作品を生み出していきます。
機関誌「具体」の発行、芦屋川河畔での野外展、東京および関西での「具体展」、梅田のサンケイホールなど舞台での発表やデパートの屋上でのアドバルーン展など、型破りで新鮮な活動を展開して、フランスの批評家ミシェル・タピエらに注目されます。
大阪の「グタイピナコテカ」には、ジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシス、ジョルジュ・マチウ、ロバート・ラウシェンバーグ、イサム・ノグチ、ポール・ジェンキンス、ジョン・ケージ、ペギー・グッゲンハイムなどが訪問し、交流します。
1970年大阪万博では「お祭り広場」で大規模な舞台を光やパフォーマンスによってくりひろげます。
文字通り、吉原がつくり吉原のリーダシップで世界を視野に入れた活動を展開し、その死とともに「具体」は解散したわけですが、参加メンバーはそれぞれの道を歩みながら、吉原の「人の真似をするな」の言葉を指標に制作を続けます。
それから40年、世界的な注目と評価を獲得したことは画家冥利につきるのではないでしょうか。
お蔭様で、亭主のような無縁の輩にも思わぬ仕事が巡ってきた。
ありがたいことです。
本日は19時まで開廊しています、ぜひお出かけください。

吉原治良 Jiro YOSHIHARA(1905-1972)
大阪に生まれる。1928年関西学院高等商業部を卒業し、同年大阪朝日会館で初個展開催。1938年九室会結成に参加。1941年二科会会員となる。1948年芦屋市美術協会の創立に参加、代表となる。1952年現代美術懇談会の創立に参加、幹事となる。若い世代の前衛美術家の信望を集め、1954年具体美術協会を結成、代表となる。1962年大阪・中之島に具体美術協会の本拠となるギャラリー「グタイピナコテカ」を開館し、会員たちの個展を開く。1972年逝去により、具体美術協会解散。

■Jiro YOSHIHARA(1905-1972)
Born in Osaka. Graduated from Kwansei Gakuin Commercial College, and also held first solo exhibition at Asahi Hall in Osaka in 1928. Helped form Ninth Room Association in 1938. Became a member of Nika-kai in 1941. Helped form the Ashiya City Art Association in 1948 and became one of its leaders. Helped form the Contemporary Art Panel in 1952 and became one of its executive members. With young generation avant-garde artists’ trust in his hand, formed Gutai in 1954 and became its leader. Opened “Gutaipinakoteka”, the base gallery of Gutai in Nakanoshima, Osaka in 1962 and held solo exhibitions of Gutai members. Sudden death in 1972 lead to the dissolution of Gutai.

◆ときの忘れものは2013年3月15日[金]―3月30日[土]「具体 Gコレクションより」展を開催しています(※会期中無休)。
233_GUTAI
企画・監修=石山修武
出品:白髪一雄吉原治良松谷武判上前智祐堀尾貞治高﨑元尚鷲見康夫
田中敦子金山明山崎つる子森内敬子

●カタログのご案内
表紙『具体 Gコレクションより』展図録
2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高﨑元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
※お申し込みはコチラから。