浴名湯鑑大江
長岡、新潟、ついでに咲花温泉(ン? 逆か)で名湯に浸かり帰京しました。
酒井実通男さん、料治幸子さん、そして新潟絵屋の大倉宏さんはじめお世話になった皆さん、ありがとうございました。旅のご報告はいずれブログに書きましょう。
留守中、何事もなかったかと思いきや、ホームページやブログへのアクセスが急増しており驚きました。
そういえば、京都の野口琢郎さんがフェイスブックでABC朝日放送の番組「LIFE〜夢のカタチ」に出演するという話は読んでいたのですが、亭主の家にテレビが無いのと、その番組は関西地区だけの放映とのことだったのでうっかりしていました(すいません)。
テレビの反響は凄いですねえ。
おかげでスタッフは野口作品の問合せにてんてこ舞いだったようです。
先週末で「五月の画廊コレクション~ベン・ニコルソン他」は終了しましたが、全てを紹介していないので、都合のつく限りコレクションを紹介しましょう。
今日は「具体」に参加した鷲見康夫の作品です。
鷲見康夫
「作品」
アクリル、キャンバス
33.5x24.3cm
右下にサインあり、裏にもサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
1954年に関西在住の若手作家を中心に結成された「具体」。
1950年代にはまだパフォーマンスやインスタレーションといった表現が新奇の眼で見られるだけで、美術作品としての評価はなかなかされにくい時代でした。
しかし近年では国際的にも注目をあび、1950~70年代の日本のアートを再評価し検証する動きが活発です。2013年2月からはニューヨークのグッゲンハイム美術館で「GUTAI」展も開催され、3月にはときの忘れものでも「GUTAI 具体 Gコレクションより」を開催しました。
具体のリーダーであった吉原治良の「人の真似をするな」という言葉に象徴されるように、具体美術協会に参加した作家たちは従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術表現を旺盛に展開していきました。
上掲の鷲見康夫作品がどのようにして生まれたのか。
2000年に刊行された鷲見先生の自伝から少し引用させていただきます。
~~~~
出来上がった五十枚ほどを嶋本昭三さんに見せるために学校へ持って行った。見せたところ、彼は「ほう君なかなかうまいな」「なかなかやるやないか」とほめてくれた。
私には何がなんだかさっぱりわけがわからないけれど、ほめてもらったことで、もっと描こうという気持ちになり、アパートの自分の部屋に帰っては毎日毎日描いていた。その頃四時半頃に家に帰っても、誰も相手にしてもらえない私にとっては、充分楽しめるひと時であった。また、勤務先へも喜び楽しんで出勤出来た。そのうちに、テスト問題や教材の裏を利用して毎日百枚ほど描いていた。ところがある日のこと、わら半紙の上に、インクがびんからこぼれるように流れてしまった。さてどうしようかとふっと横を見ると、そろばんがおいてあった。そのそろばんで、流れたインクをかきまわしたのである。
すると、今まで見たことのないような形、すなわち人間の力では描くことのできないようなパワーのある線が、何条も一度に描くことが出来たのである。計算機のない時代、そろばんといえば必ず各家庭の机の上などにのっているものだった。そろばんで描いた作品が、たちまちのうちに百枚くらい出来た。インクや墨汁を紙の上にこぼして、そろばんの玉をころがしながらかきまわすという、何も考えない動作は自然のパワーの表現か、または喜びの表現ともなった。
その作品を早速嶋本昭三さんに見てもらおうと、学校に持って行った。嶋本さんは「うまいことやったなぁ。これどうして描いた? どうしたらこんなもの出来るのか?」と聞く。私は「これは息を止めて描いた」と。すると嶋本さんは本気にして「へえー、お前体大丈夫か」と。「実はそろばんで描いた」といって、嶋本さんの目の前で、わら半紙の上に机上にあったインクを流し、いきなりそろばんでインクをかきまわし、不思議な線を一度に何本も描いて見せた。そうすると嶋本さんは「うーん」とうなって、「よいことをやったな」と大へんほめてくれた。私は嬉しくて仕方がなかった。
(後略)
鷲見康夫著『やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん』(文芸社)より
~~~~
作品には描いたときの線の勢い、力の痕跡が残っており、画面からはエネルギーが溢れています。
そろばんによって描くことを「発見」したときの喜びと感動が、今でも感じられるのです。
■鷲見康夫 Yasuo SUMI(1925-)
大阪に生まれる。関西大学、立命館大学卒業。1954年嶋本昭三に勧められ第7回芦屋市展に出品。その際、吉原治良を知り、指導を受ける。1955年具体美術協会会員となり、その後、岡本太郎が代表を務めるアートクラブの会員となる。両方とも解散まで参加。1975年アーティストユニオン結成に参加。アクションペインターとして活動を続ける。
長岡、新潟、ついでに咲花温泉(ン? 逆か)で名湯に浸かり帰京しました。
酒井実通男さん、料治幸子さん、そして新潟絵屋の大倉宏さんはじめお世話になった皆さん、ありがとうございました。旅のご報告はいずれブログに書きましょう。
留守中、何事もなかったかと思いきや、ホームページやブログへのアクセスが急増しており驚きました。
そういえば、京都の野口琢郎さんがフェイスブックでABC朝日放送の番組「LIFE〜夢のカタチ」に出演するという話は読んでいたのですが、亭主の家にテレビが無いのと、その番組は関西地区だけの放映とのことだったのでうっかりしていました(すいません)。
テレビの反響は凄いですねえ。
おかげでスタッフは野口作品の問合せにてんてこ舞いだったようです。
先週末で「五月の画廊コレクション~ベン・ニコルソン他」は終了しましたが、全てを紹介していないので、都合のつく限りコレクションを紹介しましょう。
今日は「具体」に参加した鷲見康夫の作品です。
鷲見康夫「作品」
アクリル、キャンバス
33.5x24.3cm
右下にサインあり、裏にもサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
1954年に関西在住の若手作家を中心に結成された「具体」。
1950年代にはまだパフォーマンスやインスタレーションといった表現が新奇の眼で見られるだけで、美術作品としての評価はなかなかされにくい時代でした。
しかし近年では国際的にも注目をあび、1950~70年代の日本のアートを再評価し検証する動きが活発です。2013年2月からはニューヨークのグッゲンハイム美術館で「GUTAI」展も開催され、3月にはときの忘れものでも「GUTAI 具体 Gコレクションより」を開催しました。
具体のリーダーであった吉原治良の「人の真似をするな」という言葉に象徴されるように、具体美術協会に参加した作家たちは従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術表現を旺盛に展開していきました。
上掲の鷲見康夫作品がどのようにして生まれたのか。
2000年に刊行された鷲見先生の自伝から少し引用させていただきます。
~~~~
出来上がった五十枚ほどを嶋本昭三さんに見せるために学校へ持って行った。見せたところ、彼は「ほう君なかなかうまいな」「なかなかやるやないか」とほめてくれた。
私には何がなんだかさっぱりわけがわからないけれど、ほめてもらったことで、もっと描こうという気持ちになり、アパートの自分の部屋に帰っては毎日毎日描いていた。その頃四時半頃に家に帰っても、誰も相手にしてもらえない私にとっては、充分楽しめるひと時であった。また、勤務先へも喜び楽しんで出勤出来た。そのうちに、テスト問題や教材の裏を利用して毎日百枚ほど描いていた。ところがある日のこと、わら半紙の上に、インクがびんからこぼれるように流れてしまった。さてどうしようかとふっと横を見ると、そろばんがおいてあった。そのそろばんで、流れたインクをかきまわしたのである。
すると、今まで見たことのないような形、すなわち人間の力では描くことのできないようなパワーのある線が、何条も一度に描くことが出来たのである。計算機のない時代、そろばんといえば必ず各家庭の机の上などにのっているものだった。そろばんで描いた作品が、たちまちのうちに百枚くらい出来た。インクや墨汁を紙の上にこぼして、そろばんの玉をころがしながらかきまわすという、何も考えない動作は自然のパワーの表現か、または喜びの表現ともなった。
その作品を早速嶋本昭三さんに見てもらおうと、学校に持って行った。嶋本さんは「うまいことやったなぁ。これどうして描いた? どうしたらこんなもの出来るのか?」と聞く。私は「これは息を止めて描いた」と。すると嶋本さんは本気にして「へえー、お前体大丈夫か」と。「実はそろばんで描いた」といって、嶋本さんの目の前で、わら半紙の上に机上にあったインクを流し、いきなりそろばんでインクをかきまわし、不思議な線を一度に何本も描いて見せた。そうすると嶋本さんは「うーん」とうなって、「よいことをやったな」と大へんほめてくれた。私は嬉しくて仕方がなかった。
(後略)
鷲見康夫著『やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん』(文芸社)より
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作品には描いたときの線の勢い、力の痕跡が残っており、画面からはエネルギーが溢れています。
そろばんによって描くことを「発見」したときの喜びと感動が、今でも感じられるのです。
■鷲見康夫 Yasuo SUMI(1925-)
大阪に生まれる。関西大学、立命館大学卒業。1954年嶋本昭三に勧められ第7回芦屋市展に出品。その際、吉原治良を知り、指導を受ける。1955年具体美術協会会員となり、その後、岡本太郎が代表を務めるアートクラブの会員となる。両方とも解散まで参加。1975年アーティストユニオン結成に参加。アクションペインターとして活動を続ける。
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