記憶力がいいのだけが自慢でした。
展覧会の会期など、メモなしでも間違えることなどなかった。
それは大昔の話です。
亭主の机は社長よりも大きい。
他のスタッフの誰よりも大きい。
なのに、作業可能スペースは誰よりも狭く、手紙ひとつ書くのにも往生する。
日々届く手紙や展覧会の案内状や、密かに注文した本などがうず高く積まれ、あっという間に高さン十センチの山となる。
書類一枚探すのに大騒ぎである。
先日、ヒマにあかせてようやく書類の山と格闘し、少しだけ山の高さが低くなった。
なったはいいが、届いていた会期を過ぎてしまった案内状がいくつも発掘された。
東京を去って故郷に戻り新たな出発をした旧友からの案内状・・・
お世話になった恩人からの「知り合いの展覧会です、ぜひ見てください」という手紙付の案内状・・・
いや参りました。
皆さん、不義理ばかりですいません。
この春、亭主は社長に隠れてやたら作品を買いまくった(ようだ)。
いつまで隠しておくわけにもいかないので、順次ご紹介していきましょう。
先ずは、その生涯が謎に包まれ、生前はまったく知られること無く、遺された娼婦の写真が没後にフリードランダーによって再発見されたE.J.ベロックの作品をご紹介します。
E.J.ベロック
「Untitled」
ゼラチンシルバープリント
25.2x20.2cm
裏面にサインあり
この写真を撮影したのはベロックですが、モデルである笑みを浮かべた女性の視線の先には別のカメラマンが居たのではないか、と想像してしまいます。
画面の右下に写り込んでいるのはおそらく人の肩でしょう。
この肩と左上にある何かの影は同じような形で画面を切り取っていて、この写真がどのような状況で撮影されたのか判然としないまま、ミステリアスな印象を残しています。
ベロックについては、小林美香さんのエッセイ「写真のバックストーリー」第33回で取りあげていただきました。
下に再録させていただきます。
~~~~
E.J.ベロック(Ernest James Bellocq 1873-1949)の死後、20年以上を経て開催された展覧会(1970年にニューヨーク近代美術館で開催された「E. J. Bellocq Storyville Portrait:Photographs from the New Orleans Red-Light District, Circa 1912(ストーリーヴィル・ポートレート ニューオーリンズの赤線地区の写真 1912年頃)」は、ベロックの写真を世に広く知らしめましたが、これらの写真は元来、彼自身が「作品」として発表することを意図していたものではありませんでした。写真家リー・フリードランダー(Lee Friedlander b.1934-)が1959年にジャズのミュージシャンたちを撮影するためにルイジアナ州ニューオーリンズを訪れた際に、地元の地主でありアート・ディーラーだったラリー・ボーレンスタイン(Larry Borenstein (1919–1981))から、ベロックが撮影したガラス乾板(彼の死後、机の引き出しの中にしまい込まれていたものでした)を見せてもらい、写真に強く惹かれたフリードランダーは後にその乾板を買い受けました。フリードランダーは、19世紀末から20世紀初頭にかけて広く使用されていた焼出印画紙(P.O.P. :Printing Out Paper)という印画紙を用いて、ガラス乾板をもとに日光で密着焼きをして、プリントを制作しました。フリードランダーは、ベロック自身が実際に制作したプリントを見たことはないので、ベロックの写真を「再現」したというよりも、彼自身がネガを「解釈」して写真を制作した、ということに近いと言えます。
展覧会のカタログには、当時のベロックを知っていたという地元の人たちの言葉により、ベロックの身長が5フィートぐらい(150㌢程度)の小柄な風変わりな風貌の人物だったことなど、断片的に語られています。しかし、その生涯の多くは謎に包まれていますし、写真に捉えられた娼婦たちについても、人物を特定する手がかりはほとんど残されていません。フリードランダーは、謎に包まれたベロックや娼婦の人生に惹かれ、その姿を写真という形で蘇らせるためにプリント作業を行ったのでしょう。
(こばやしみか)
~~~~
■E.J.ベロック Ernest James BELLOCQ(1873-1949)
1873年生まれ。1949年、歿。写真家。ベロックの手によるものとして知られる現存の写真は、すべてニューオリンズの紅燈街「ストーリーヴィル」の娼館で撮られており、そこで働く女性たちが被写体として登場している。おおむねの女性たちは、やわらかな太陽光の差しこむ場所にいて、着衣でもヌードでも、こわばりを解いたゆったりとした時間のなかにあるように見える。こうした、男性が撮したように思えない極めてニュートラルなエロスが現在でも人々を魅了している。
ベロックの存在が写真史に登録されることになったのは、1958年ニューヨークからやってきた写真家リー・フリードランダーがあるギャラリーを訪れ、ベロック撮影の乾板を見出し関心を抱いたことをきっかけとする。1966年フリードランダーは、ベロックの乾板89点を買い取り、焼付け作業を行う。こうして1970年にニューヨーク近代美術館で公開されるなど、ベロックの女性たちは再出現した。
展覧会の会期など、メモなしでも間違えることなどなかった。
それは大昔の話です。
亭主の机は社長よりも大きい。
他のスタッフの誰よりも大きい。
なのに、作業可能スペースは誰よりも狭く、手紙ひとつ書くのにも往生する。
日々届く手紙や展覧会の案内状や、密かに注文した本などがうず高く積まれ、あっという間に高さン十センチの山となる。
書類一枚探すのに大騒ぎである。
先日、ヒマにあかせてようやく書類の山と格闘し、少しだけ山の高さが低くなった。
なったはいいが、届いていた会期を過ぎてしまった案内状がいくつも発掘された。
東京を去って故郷に戻り新たな出発をした旧友からの案内状・・・
お世話になった恩人からの「知り合いの展覧会です、ぜひ見てください」という手紙付の案内状・・・
いや参りました。
皆さん、不義理ばかりですいません。
この春、亭主は社長に隠れてやたら作品を買いまくった(ようだ)。
いつまで隠しておくわけにもいかないので、順次ご紹介していきましょう。
先ずは、その生涯が謎に包まれ、生前はまったく知られること無く、遺された娼婦の写真が没後にフリードランダーによって再発見されたE.J.ベロックの作品をご紹介します。
E.J.ベロック「Untitled」
ゼラチンシルバープリント
25.2x20.2cm
裏面にサインあり
この写真を撮影したのはベロックですが、モデルである笑みを浮かべた女性の視線の先には別のカメラマンが居たのではないか、と想像してしまいます。
画面の右下に写り込んでいるのはおそらく人の肩でしょう。
この肩と左上にある何かの影は同じような形で画面を切り取っていて、この写真がどのような状況で撮影されたのか判然としないまま、ミステリアスな印象を残しています。
ベロックについては、小林美香さんのエッセイ「写真のバックストーリー」第33回で取りあげていただきました。
下に再録させていただきます。
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E.J.ベロック(Ernest James Bellocq 1873-1949)の死後、20年以上を経て開催された展覧会(1970年にニューヨーク近代美術館で開催された「E. J. Bellocq Storyville Portrait:Photographs from the New Orleans Red-Light District, Circa 1912(ストーリーヴィル・ポートレート ニューオーリンズの赤線地区の写真 1912年頃)」は、ベロックの写真を世に広く知らしめましたが、これらの写真は元来、彼自身が「作品」として発表することを意図していたものではありませんでした。写真家リー・フリードランダー(Lee Friedlander b.1934-)が1959年にジャズのミュージシャンたちを撮影するためにルイジアナ州ニューオーリンズを訪れた際に、地元の地主でありアート・ディーラーだったラリー・ボーレンスタイン(Larry Borenstein (1919–1981))から、ベロックが撮影したガラス乾板(彼の死後、机の引き出しの中にしまい込まれていたものでした)を見せてもらい、写真に強く惹かれたフリードランダーは後にその乾板を買い受けました。フリードランダーは、19世紀末から20世紀初頭にかけて広く使用されていた焼出印画紙(P.O.P. :Printing Out Paper)という印画紙を用いて、ガラス乾板をもとに日光で密着焼きをして、プリントを制作しました。フリードランダーは、ベロック自身が実際に制作したプリントを見たことはないので、ベロックの写真を「再現」したというよりも、彼自身がネガを「解釈」して写真を制作した、ということに近いと言えます。
展覧会のカタログには、当時のベロックを知っていたという地元の人たちの言葉により、ベロックの身長が5フィートぐらい(150㌢程度)の小柄な風変わりな風貌の人物だったことなど、断片的に語られています。しかし、その生涯の多くは謎に包まれていますし、写真に捉えられた娼婦たちについても、人物を特定する手がかりはほとんど残されていません。フリードランダーは、謎に包まれたベロックや娼婦の人生に惹かれ、その姿を写真という形で蘇らせるためにプリント作業を行ったのでしょう。
(こばやしみか)
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■E.J.ベロック Ernest James BELLOCQ(1873-1949)
1873年生まれ。1949年、歿。写真家。ベロックの手によるものとして知られる現存の写真は、すべてニューオリンズの紅燈街「ストーリーヴィル」の娼館で撮られており、そこで働く女性たちが被写体として登場している。おおむねの女性たちは、やわらかな太陽光の差しこむ場所にいて、着衣でもヌードでも、こわばりを解いたゆったりとした時間のなかにあるように見える。こうした、男性が撮したように思えない極めてニュートラルなエロスが現在でも人々を魅了している。
ベロックの存在が写真史に登録されることになったのは、1958年ニューヨークからやってきた写真家リー・フリードランダーがあるギャラリーを訪れ、ベロック撮影の乾板を見出し関心を抱いたことをきっかけとする。1966年フリードランダーは、ベロックの乾板89点を買い取り、焼付け作業を行う。こうして1970年にニューヨーク近代美術館で公開されるなど、ベロックの女性たちは再出現した。
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