君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」 第3回
「弥勒菩薩半跏思惟像」
「ART ROAD 77」の展示のため数日間、韓国へ滞在していた。自分の展示作品については、他のエッセイで詳しく書かせていただいたので割愛させていただく。
今回も昨年のKIAFに続いて、多くの韓国現代美術を見る機会に恵まれ、改めて日本と韓国のアートシーンの相違点について考えた。
全体的な印象として、韓国では平面、立体ともに具象的な表現が多く、抽象的な表現の中にも具体的なイメージが混入していることが多い。そして原色など鮮明な色の作品が多く、モノクロームの表現はほとんど見かけることはなっかった。
韓国では1960年代後半からモノクローム・アートが流行したとされるが、現在は逆にモノクロームの表現は古いと感じられるのかもしない。
また過去の美術作品に対する再構築的な表現が多いのも韓国アートシーンのひとつの特徴ではないかと思った。
たとえば昨年、ときの忘れもので展示を行ったハ・ミョンウンは、20世紀の美術作品の再解釈・再構築を行っている。ハの作品は単純なアプロプリエーションというよりも、現代美術というシステム自体の脱構築しているのだと感じる。その根底にあるのは、鑑賞者に制作段階の技巧を感じさせ、ポップアートとは正反対の印象を与えることかもしれない。それはオマージュというよりは批判的な視点に近いであろう。
勿論、再構築的、アプロプリエーション的な表現も玉石混淆であり、すべてを一括りにして語ることは出来ない。しかし今回のART ROAD 77で見た作品以外にもそのような作品が韓国アートシーンに多く、1980年代後半に流行したシミュレーショニズムとはまた違う形へと発展していくのかもしれないと思った。
私が以前より気になっていた作品に、韓国人のアーティスト、チョン・ジュンホが仏像を再構築した「彌勒菩薩半跏思惟像」がある。一昨年の横浜トリエンナーレで展示されたのでご覧になった方も多いのではないだろうか。この木彫作品は弥勒菩薩の仏像をモデルにしながら、弥勒菩薩の身体は骨格だけで表されている。
この像のオリジナルイメージとなったのは、ソウル国立中央博物館の「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」、京都広隆寺の「木造弥勒菩薩半跏像」のどちらか、または両者であると思われる。この2体は造形が似ていることはよく指摘されており、歴史の教科書にも2躯の写真が並べて掲載されている。特に新羅的とも言われる宝冠の形状は酷似している。チョンの作品においても同型の宝冠を頭蓋骨の上に表しており、この両者をオリジナルイメージとしたと考えて良いであろう。

弥勒菩薩は釈迦の次にブッダとなることが約束された菩薩で、釈迦の入滅後56億7千万年後の未来に姿を現して、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行しているといわれ、その姿は半跏思惟像で表されることが多い。半跏思惟像は片足を他の片足の股の上に組んで座り、指を頬に当てて物思いにふけている姿が表現されたもので、これは人間の生老病死について悩み、瞑想にふける出家前の釈迦の姿に由来するとされる。56億7千万年後という気の遠くなるような時間を、弥勒菩薩は足を組み思考し続けるのである。
このような弥勒菩薩に対する基本的な知識があるものであれば、チョンの作品がなぜ骨格だけで表現されているのか、容易に想像がつくはずである。つまり釈迦が入滅してまだ2千数百年しか経っていないにも関わらず、すでに弥勒菩薩は白骨化してしまったのだとアイロニカルに捉えることが可能である。もしくは、既に釈迦の教えが伝わらなくなってしまったという宗教批判的なメッセージが込められているのかもしれない。
しかし、チョンの作品の造形的な美しさはオリジナルイメージである「弥勒菩薩半跏思惟像」による部分も大きい。もちろん衣や蓮華座の表現などオリジナルをそのまま模倣している部分も多いが、足を組み、右手を頬にあてて思考する全体像によって、もたらされる崇高な姿勢は決してアイロニカルに笑いを誘うだけのものではない。そしてチョンの作品を見て私は、改めてオリジナルである「弥勒菩薩半跏思惟像」のもつ造形的な素晴らしさを感じたのである。
国立中央博物館の「弥勒菩薩半跏思惟像」は、もともと李王朝のコレクションであるが、それ以前の来歴は不明である。三国時代の制作とされるが、制作地についても新羅か百済、またはその他の地域であるかはっきりしていない。そして、同時期の朝鮮の木造仏で同型のものは残っていないこともあり、広隆寺の「弥勒菩薩半跏像」も朝鮮半島で制作されたものなのか、日本で制作されたものなのか、さらには朝鮮半島の木を用いて日本で制作されたものなのか、はっきりしていない為、現在も多くの論争がなされている。
しかし、文化財の調査において、制作地の特定における論争ばかりが取り沙汰されると、近代国家という政治的背景によって仏像が語られてしまっているのではないかと思う。そして本来仏像のもつ意味すら薄めてしまうのではないかという不安も感じる。
本来は仏教という文脈の中から作られた仏像であるが、現在は国という地域性に分類されてしまい仏教と別の次元で語られている。このような状態は、チョンの表した骨格のみの弥勒菩薩に通じるものなのかもしれない。
(きみじまあやこ)
■君島彩子 Ayako KIMIJIMA(1980-)
1980年生まれ。2004年和光大学表現学部芸術学科卒業。現在、大正大学大学院文学研究科在学。
主な個展:2012年ときの忘れもの、2009年タチカワ銀座スペース Åtte、2008年羽田空港 ANAラウンジ、2007年新宿プロムナードギャラリー、2006年UPLINK GALLERY、現代Heigths/Gallery Den、2003年みずほ銀行数寄屋橋支店ストリートギャラリー、1997年Lieu-Place。主なグループ展:2007年8th SICF 招待作家、2006年7th SICF、浅井隆賞、第9回岡本太郎記念現代芸術大賞展。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
・君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
・植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。
・井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
バックナンバーはコチラです。
・小林美香さんのエッセイ「写真のバックストーリー」は第33回で終了しました。
6月25日からは新たなテーマでの新連載が始まります。どうぞお楽しみに。
・浜田宏司さんのエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・荒井由泰さんのエッセイ「マイコレクション物語」は終了しました。
今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。
「弥勒菩薩半跏思惟像」
「ART ROAD 77」の展示のため数日間、韓国へ滞在していた。自分の展示作品については、他のエッセイで詳しく書かせていただいたので割愛させていただく。
今回も昨年のKIAFに続いて、多くの韓国現代美術を見る機会に恵まれ、改めて日本と韓国のアートシーンの相違点について考えた。
全体的な印象として、韓国では平面、立体ともに具象的な表現が多く、抽象的な表現の中にも具体的なイメージが混入していることが多い。そして原色など鮮明な色の作品が多く、モノクロームの表現はほとんど見かけることはなっかった。
韓国では1960年代後半からモノクローム・アートが流行したとされるが、現在は逆にモノクロームの表現は古いと感じられるのかもしない。
また過去の美術作品に対する再構築的な表現が多いのも韓国アートシーンのひとつの特徴ではないかと思った。
たとえば昨年、ときの忘れもので展示を行ったハ・ミョンウンは、20世紀の美術作品の再解釈・再構築を行っている。ハの作品は単純なアプロプリエーションというよりも、現代美術というシステム自体の脱構築しているのだと感じる。その根底にあるのは、鑑賞者に制作段階の技巧を感じさせ、ポップアートとは正反対の印象を与えることかもしれない。それはオマージュというよりは批判的な視点に近いであろう。
勿論、再構築的、アプロプリエーション的な表現も玉石混淆であり、すべてを一括りにして語ることは出来ない。しかし今回のART ROAD 77で見た作品以外にもそのような作品が韓国アートシーンに多く、1980年代後半に流行したシミュレーショニズムとはまた違う形へと発展していくのかもしれないと思った。
私が以前より気になっていた作品に、韓国人のアーティスト、チョン・ジュンホが仏像を再構築した「彌勒菩薩半跏思惟像」がある。一昨年の横浜トリエンナーレで展示されたのでご覧になった方も多いのではないだろうか。この木彫作品は弥勒菩薩の仏像をモデルにしながら、弥勒菩薩の身体は骨格だけで表されている。
この像のオリジナルイメージとなったのは、ソウル国立中央博物館の「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」、京都広隆寺の「木造弥勒菩薩半跏像」のどちらか、または両者であると思われる。この2体は造形が似ていることはよく指摘されており、歴史の教科書にも2躯の写真が並べて掲載されている。特に新羅的とも言われる宝冠の形状は酷似している。チョンの作品においても同型の宝冠を頭蓋骨の上に表しており、この両者をオリジナルイメージとしたと考えて良いであろう。

弥勒菩薩は釈迦の次にブッダとなることが約束された菩薩で、釈迦の入滅後56億7千万年後の未来に姿を現して、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行しているといわれ、その姿は半跏思惟像で表されることが多い。半跏思惟像は片足を他の片足の股の上に組んで座り、指を頬に当てて物思いにふけている姿が表現されたもので、これは人間の生老病死について悩み、瞑想にふける出家前の釈迦の姿に由来するとされる。56億7千万年後という気の遠くなるような時間を、弥勒菩薩は足を組み思考し続けるのである。
このような弥勒菩薩に対する基本的な知識があるものであれば、チョンの作品がなぜ骨格だけで表現されているのか、容易に想像がつくはずである。つまり釈迦が入滅してまだ2千数百年しか経っていないにも関わらず、すでに弥勒菩薩は白骨化してしまったのだとアイロニカルに捉えることが可能である。もしくは、既に釈迦の教えが伝わらなくなってしまったという宗教批判的なメッセージが込められているのかもしれない。
しかし、チョンの作品の造形的な美しさはオリジナルイメージである「弥勒菩薩半跏思惟像」による部分も大きい。もちろん衣や蓮華座の表現などオリジナルをそのまま模倣している部分も多いが、足を組み、右手を頬にあてて思考する全体像によって、もたらされる崇高な姿勢は決してアイロニカルに笑いを誘うだけのものではない。そしてチョンの作品を見て私は、改めてオリジナルである「弥勒菩薩半跏思惟像」のもつ造形的な素晴らしさを感じたのである。
国立中央博物館の「弥勒菩薩半跏思惟像」は、もともと李王朝のコレクションであるが、それ以前の来歴は不明である。三国時代の制作とされるが、制作地についても新羅か百済、またはその他の地域であるかはっきりしていない。そして、同時期の朝鮮の木造仏で同型のものは残っていないこともあり、広隆寺の「弥勒菩薩半跏像」も朝鮮半島で制作されたものなのか、日本で制作されたものなのか、さらには朝鮮半島の木を用いて日本で制作されたものなのか、はっきりしていない為、現在も多くの論争がなされている。
しかし、文化財の調査において、制作地の特定における論争ばかりが取り沙汰されると、近代国家という政治的背景によって仏像が語られてしまっているのではないかと思う。そして本来仏像のもつ意味すら薄めてしまうのではないかという不安も感じる。
本来は仏教という文脈の中から作られた仏像であるが、現在は国という地域性に分類されてしまい仏教と別の次元で語られている。このような状態は、チョンの表した骨格のみの弥勒菩薩に通じるものなのかもしれない。
(きみじまあやこ)
■君島彩子 Ayako KIMIJIMA(1980-)
1980年生まれ。2004年和光大学表現学部芸術学科卒業。現在、大正大学大学院文学研究科在学。
主な個展:2012年ときの忘れもの、2009年タチカワ銀座スペース Åtte、2008年羽田空港 ANAラウンジ、2007年新宿プロムナードギャラリー、2006年UPLINK GALLERY、現代Heigths/Gallery Den、2003年みずほ銀行数寄屋橋支店ストリートギャラリー、1997年Lieu-Place。主なグループ展:2007年8th SICF 招待作家、2006年7th SICF、浅井隆賞、第9回岡本太郎記念現代芸術大賞展。
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・大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
・君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
・植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
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・井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
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6月25日からは新たなテーマでの新連載が始まります。どうぞお楽しみに。
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