生きているTATEMONO 松本竣介を読む 14(最終回)

とりあえず一区切り
植田実


 昨年4月、画家の誕生月にあわせて始まった「生誕100年 松本竣介展」の巡回第1会場・岩手県立美術館に、綿貫不二夫さんに襟首をつかまえられるように連れて行かれた日の、それ以前は私はこの画家についてどれほど知っていたのか、まったく思い出せない。
 その名前と、せいぜい10点前後ぐらいの作品が記憶にあったのか。いや、そんな知識以上に、すでに評価の定まった、完成した正統派の画家だから関心の手がかりが見つからない、同世代ならむしろ鶴岡政男や寺田政明や桂ゆきみたいなヘンな画家にならまだ私が言いたい余地は残っているかも、みたいな気持ちだったのではないか。
 ただ綿貫さんからは「竣介の歩いた都市(街)について」というテーマをもらったのでその範囲内でなら何か書けるかも知れないと思った。思ったがその前段階として作品を見ていかなければならない。結局、時代を追って主に建築と都市(街)を描いた作品を自分なりに読み解いてみるのが精一杯だったが、多くの作品にはすでに定説ともいうべき、ちゃんとした解読がなされており、時代との関係における画家像も形成されているようで、そのあたりはとりあえず避けて進みながら最晩年の作品まで辿りついたものの、彼の営為全体から端的に感じられる若々しさと豊かさとをうまく表現することはできなかった。だが時代ごとの作品に、松本竣介という人の思いがけない奥行きが次々と見えてきた驚きは少しは書きとめておいたつもりだ。
 また、岩手をはじめ、神奈川、宮城、島根、東京の各美術館における巡回展の追っかけのなかで、同じ作品がそれぞれの展示空間とその構成次第でいかに多様な変化を見せるものかを初めて知ったのは幸か不幸か。もう二度とない体験だろう。
 最晩年の作品にまで言及してしまったし、そのあと竣介の書いたもの、編集したものについてもひと通り紹介してしまったので、もう終るしかない。このあとは資料を読んだり関係者の方々のお話をきく機会を得たいと思っているが、それは少し先のことになるだろうし、その前にこれまで書いた分を読み返して何らかの始末をつけねばならぬ。私にとっては画家はもちろん建築家でさえ、ひとりの作家について1年以上書き続けたのは初めてのことで、しかも自分は研究者じゃないんだからという自覚での文体維持はまるでうまくいかなかった。あらためて綿貫さんからもらった、画家の歩いた都市(街)についてというテーマを思い浮かべながら、松本竣介を再トレースしてみたい。ということで、この未完の連載を読んで下さった方々にお礼を申し上げ、一区切りとさせていただきます。
(2013.7.10 うえだまこと)

◆植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
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◆ときの忘れものは、2013年7月10日(水)~7月18日(木)「7月の画廊コレクション~ドローイング展」を開催します(*日曜・月曜・祝日休廊
短い会期で、7月14日・15日は休廊ですのでご注意ください。
ドローイング展魔方陣
若林奮、大宮政郎、小野隆生、松本竣介、蛯名優子、O Jun、舟越直木、二木直巳、辰野登恵子