鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第4回

和紙への挑戦


 1991年にモロッコの写真で初の個展の準備をしていたとき、百瀬は秘かにあることへの挑戦も始めていた。モノクロを既製の印画紙ではなく、“和紙”にプリントするという作品づくりだ。「人と違うことをやってみたいとはつねづね思っていた」 きっかけはちょうどその頃、フジフィルムから“アートエマルジョン”というモノクロ感光乳剤が発売されたことだった。印画紙の表面に塗ってある乳剤が製品として独立したもので、それを紙や布などいろいろな素材に塗って現像すれば、印画紙と同じで作品が作れる。支持体を和紙にしたのは、自分は日本人という意識があったからか。「いちばんの魅力は自分で印画紙が作れて自由に遊べることだけど、データなどなにもないから、とにかく一からやってみるしかなかった」 当然、和紙に感光乳剤を塗ることから始まる作業はフィルムや写真の現像と同じで、暗室の中で行わなければならず、そこでの光源は印画紙を感光させない薄暗い赤い電球のみ。未知の世界へ向かって、暗がりのなかでの文字通り手探りでの試行錯誤が始まった。
 まず、作品づくり以前に大きな問題として立ちはだかったのが、和紙と感光乳剤との相性を見極めることだった。数ある和紙のどれを選べばいいのか? とりあえず画材屋で適当に見つくろった日本画用の和紙を数種類購入し、暗室にこもって試してみることにしたのだが……、これが想像以上に厄介で、途中で和紙が融解してしまったり、乳剤が剥がれたり、終わって持ち上げたら水の重みで破れてしまったりと、失敗の連続。「とにかく予期できない、いろんなことがあった」 その間、仕事で会った作家の水上勉さんが竹で和紙を作っていて、試してみるようにともらったこともあったのだが、その和紙も見事にばらばらになってしまった。そうやって、何種類の和紙を試してみたことか。「なんせ暗室の中だから、うまくいったかどうかは最後に乾燥してみるまでわからない。一発勝負だったね」 
 暗中模索の日々が続いたある日、画材屋でたまたま礬水(どうさ)引きの和紙が目に入った。礬水とは明礬(みょうばん)を溶かした水に膠(にかわ)を混ぜた液で、日本画の支持体に墨や絵の具などが滲むのを防ぐために塗るものだ。もしかしたらと思い、さっそく一枚購入して試してみると、なんとかうまくいき、しかも「わりと思ったように表現できた」 ようやく「これ!」と思える和紙にいきついたのだが、それでも完全とは言い切れない。というのも、同じ和紙でも礬水の引き具合によって「むら」があり、いまだにうまくいったり、いかなかったりするからだ。「でも、僕にしたらそういうことは些細なことで、それより、和紙に乳剤を塗るときのタッチとか、写真で出したい部分と出したくない部分を考えて、いかに自分のものに持っていくかのほうに力を入れている」 こうして、同じネガでも、そのときどきの状況で仕上がりはまったく別物になる。その意味で和紙の作品は正真正銘の一点物、「写真というより絵のよう」と言う人も多いのだが、百瀬が暗室でどのように和紙と格闘して自分の世界を追求しているかは、一部企業秘密(?)だそうだ。和紙への挑戦に終わりはなく、これからもまだまだ、おそらくは一生……つづく。

01和紙にプリント 1
サイン入り


02和紙にプリント 2
サイン入り


03和紙にプリント 3
サイン入り

(とっとりきぬこ)

■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。