『少女と夏の終わり』に寄せて

石山友美


 私は、学生の頃から建築を志し勉強をしていました。そして、十年以上も前になりますが、磯崎新アトリエで働いていた頃に、ときの忘れものとの出会いがあり、そこからのご縁で、こうしてここに文章を書かせていただいております。
 建築を勉強していたはずの私は、多くの建築に触れるうち、その背景にある都市、そして社会というものに興味が移っていきました。そんななか、いつからか映画を作りたいと思うようになり、昨年『少女と夏の終わり』という映画を作りました。あまりに率直なタイトル同様、背伸びせずに作った映画です。『少女と夏の終わり』は一言で言ってしまえば女子中学生たちのある一夏の成長の物語です。しかし、主人公の女の子たちのことなどまったく気にしていない、大人たちの話だともいえます。いや、むしろ、私はいろんな人がひっきりなしに出てきて、それぞれ自分勝手に生きている、そんな群像劇を一番にやりたかったのです。
 勝手に生きている個、しかし、その個が集団となって社会というものの中に存在するとき、そこにはがんじがらめのいろいろ、不自由さばかりが感じられ生きにくい場所になってしまう。どんな社会にだって、この不自由さはつきもので、ユートピアはやはりユートピア、皆が善人であっても、そこには何かしらの不自由さがつきまとうもの。嫌な社会だ、皆全然わかっとらん!そうはいっても、しゃーないなあ、ここで生きていかないとダメなんだ。そう覚悟する、それが大人というものなんでしょう。
 私自身が、映画の中の少女たちの年齢だった頃、非常に呑気に暮らしておりました。学校では友達と笑い転げる毎日。なんだかもう楽しくって。何もなくても笑ってた。だけど、さあ、学校から帰れば、鬱々と、人間とは何か、なんてことをナマイキに考えちゃって、どんより暗かった。イワユル、自我の葛藤というもの。今から考えると笑えますが、その時は笑えるどころの話ではなく、抽象的な「死」の概念なるものが、自分の身体に覆っている始末。ああ、コワイ!そんな葛藤をいつ乗り越えたんだろうか。そこには、劇的な事件があったわけではないし、特定の誰かからのアドバイスがあったわけではありません。ただ、そこにあるのは、無数の出来事の積み重ね。友達と遊んだり喧嘩したり。学校の近くにあったジャイアンツ球場に選手を観に行ったり。親に怒られたり、図書室で本を読んだり、はたまた通学途中の電車の中であかの他人を垣間みたり。そんなことの積み重ねがあって、私は、この社会の中でいかに自分が小さく弱い存在であるかを知った。無力な個人。そう意識したとき、私は子供ではなくなった。私を大人にしたのは、直接交流のあった大人たち、親や学校の先生だけでなく、まして自分自身だけではありようがなく、しかし、無数の他者であり、社会そのものです。他者が肉体を伴って存在する、そういう想像力を子供が持ちえた時にこそ子供は大人になるんではないでしょうか。そんなことを考えながら、子供が目にする社会というものを描きたくて、この映画を作りました。
 世界がてんでばらばらで悪いわけはない!目指したのは自意識に籠ることのないオープンな映画。どうぞ劇場まで足をお運び下さい!
いしやま ともみ

少女と夏の終わり』  
ポレポレ東中野にて劇場公開
9月21日(土)~10月4日(金) 16:50
10月5日(土)~10月11日(金) 19:00
20130922-120130922-2

Last Days of Summer/2012
監督:石山友美
出演:菅原瑞貴 上村愛



東京国際映画祭
石山友美監督インタビュー

*画廊亭主敬白
亭主が磯崎新アトリエに通いだしてもう30数年になります。その間、多くの俊英たちがアトリエで働き巣立っていきました。中でも印象深かったのが石山友美さんでした。
クリスマスだったか、どこかの国のプリンスから磯崎先生が贈られた一本ン万円もする高級ワインをスタッフたちの前であけたことがありました。ただでさえボスの前では若いスタッフたちは直立不動、勧められてもそんな高いワイン飲めやしない、と石山さん、「これ美味しいわ!」とばかりクイクイ飲む、飲む。
そんな朗らかで、酒豪の石山さんがアメリカに留学した。
建築家として一本立ちするのかと思っていたら、映画の世界に向かったという。
早速『少女と夏の終わり』の試写会に行きました。
脚本がいい、俳優さんも知っている人は一人もいませんでしたが、群像劇として登場する一人ひとりがよく描かれています。初監督というのにテンポもよく、思い入れたっぷりなところや、もたっとしたところがない。
映像がまた素晴らしい。
ご本人もチラッと出てきます(注目)。
大監督出現の予感がします。
建築界にとっては才能の流出ですが、きっと世界に発信できる映画を作ってくれるに違いない。