鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第7回
“ムッシュー・ショコラ”
今回は閑話休題――百瀬が世界的に有名なある女優を撮影したときのちょっと面白い裏話を、二部構成で。
第一部は1991年11月、フランスのシャンソン界の大御所、ジュリエット・グレコが10何回目かの来日公演をしたときだ。このときは私が絡む。長年、シャンソンの歌詞の対訳をしていた関係で、グレコを招聘するアンフィニの中村敬子さんとは仕事仲間であり、いわゆる同志。百瀬がグレコを個人的に撮影したいというので、無理を聞き入れてもらい、タイトなスケジュールのなか、東京・昭和女子大人見記念講堂でのリハーサルを撮影させてもらえることになった。もちろん、撮影は無事終了。さて、お礼はどうしようか?
百瀬が思いついたのが、当時、中目黒にあった事務所の近所にあるお洒落なチョコレート屋さんのバラの形をしたチョコレート。翌日の夜の公演には二人で行くことになっていたので、そのときにでも中村さんを介して渡してもらえばいい。と思っていたら、公演終了後「楽屋へどうぞ」と言われ、直接渡せることになった。楽屋でのグレコさんは、舞台で全身全霊を出し切ったのかさすがに疲れた顔をしていたのだが、百瀬が持って行ったチョコレートの箱を見てにっこり、「メルシィ、ムッシュー・ショコラ!」と、愛情あふれる言葉を返してくれたのだ。以来、百瀬はムッシュー・ショコラになった。
百瀬恒彦
「ジュリエット・グレコ」
1991年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り
百瀬恒彦
「ジュリエット・グレコ」
1991年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り
第二部は翌1992年の10月頃。やはりフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴが、アカデミー外国映画賞を取った主演作『インドシナ』の日本プロモーションのために来日する。そのとき百瀬は同じ日の午前と午後に、違う媒体の雑誌2誌から撮影を依頼されていた。事件が起きたのはその前日。ドヌーヴも出席したマスコミ向けの記者会見で、撮影は最初の10分間だけと言われていたのに撮り続けたカメラマンがいたことから、彼女が激怒! 席を立ってしまったのだ。この騒動は一部の新聞やテレビでも報道され、百瀬の耳にも入る。
案の定、翌日に指定された撮影現場(「確か帝国ホテルだったと思う」とは百瀬)に行くと、スタッフ全員がピリピリしている。その撮影が終わって「午後にまた来ます」と言ったらビックリされ、「いま撮った写真を流用してもらえないか」とまで言われる。そんなことが出来るはずもなく、しかし、同じ日に同じカメラマンに撮られることがドヌーヴの逆鱗に触れるのも困る。一計を案じなければと思った百瀬は「とにかく午後にまた来ます」と言って現場を去り、急遽、事務所へ戻って、自分用に撮影したモノクロを二時間余りで現像して紙焼きにし、それと、グレコに“ムッシュー・ショコラ”と言ってもらったのと同じバラの形のチョコレートを持っていくことにした。
さて午後になり、その日二度目の撮影現場に行くと、ドヌーヴは一瞬、やはり怪訝な顔をしたのだが、モノクロの写真を見せると喜んでくれ、二枚ぐらいにすらすら慣れた手つきでサインをしてくれた。次に、もっと喜んでもらえるつもりでチョコレートの箱を渡したところ、それまでフランス語で喋っていたドヌーヴが、なんと英語で「アイ・ドント・ライク・チョコレート!」とはっきり言ったのだ。まわりは唖然、呆然! どうなることかと思われたのだが、撮影は無事に終了。さすが大女優の振舞である。
百瀬恒彦
「カトリーヌ・ドヌーヴ」
1992年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り
あのときのバラのチョコレートはどうなったのだろう? と、百瀬は思っている。
(とっとりきぬこ)
■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。
■百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。
“ムッシュー・ショコラ”
今回は閑話休題――百瀬が世界的に有名なある女優を撮影したときのちょっと面白い裏話を、二部構成で。
第一部は1991年11月、フランスのシャンソン界の大御所、ジュリエット・グレコが10何回目かの来日公演をしたときだ。このときは私が絡む。長年、シャンソンの歌詞の対訳をしていた関係で、グレコを招聘するアンフィニの中村敬子さんとは仕事仲間であり、いわゆる同志。百瀬がグレコを個人的に撮影したいというので、無理を聞き入れてもらい、タイトなスケジュールのなか、東京・昭和女子大人見記念講堂でのリハーサルを撮影させてもらえることになった。もちろん、撮影は無事終了。さて、お礼はどうしようか?
百瀬が思いついたのが、当時、中目黒にあった事務所の近所にあるお洒落なチョコレート屋さんのバラの形をしたチョコレート。翌日の夜の公演には二人で行くことになっていたので、そのときにでも中村さんを介して渡してもらえばいい。と思っていたら、公演終了後「楽屋へどうぞ」と言われ、直接渡せることになった。楽屋でのグレコさんは、舞台で全身全霊を出し切ったのかさすがに疲れた顔をしていたのだが、百瀬が持って行ったチョコレートの箱を見てにっこり、「メルシィ、ムッシュー・ショコラ!」と、愛情あふれる言葉を返してくれたのだ。以来、百瀬はムッシュー・ショコラになった。
百瀬恒彦「ジュリエット・グレコ」
1991年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り
百瀬恒彦「ジュリエット・グレコ」
1991年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り
第二部は翌1992年の10月頃。やはりフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴが、アカデミー外国映画賞を取った主演作『インドシナ』の日本プロモーションのために来日する。そのとき百瀬は同じ日の午前と午後に、違う媒体の雑誌2誌から撮影を依頼されていた。事件が起きたのはその前日。ドヌーヴも出席したマスコミ向けの記者会見で、撮影は最初の10分間だけと言われていたのに撮り続けたカメラマンがいたことから、彼女が激怒! 席を立ってしまったのだ。この騒動は一部の新聞やテレビでも報道され、百瀬の耳にも入る。
案の定、翌日に指定された撮影現場(「確か帝国ホテルだったと思う」とは百瀬)に行くと、スタッフ全員がピリピリしている。その撮影が終わって「午後にまた来ます」と言ったらビックリされ、「いま撮った写真を流用してもらえないか」とまで言われる。そんなことが出来るはずもなく、しかし、同じ日に同じカメラマンに撮られることがドヌーヴの逆鱗に触れるのも困る。一計を案じなければと思った百瀬は「とにかく午後にまた来ます」と言って現場を去り、急遽、事務所へ戻って、自分用に撮影したモノクロを二時間余りで現像して紙焼きにし、それと、グレコに“ムッシュー・ショコラ”と言ってもらったのと同じバラの形のチョコレートを持っていくことにした。
さて午後になり、その日二度目の撮影現場に行くと、ドヌーヴは一瞬、やはり怪訝な顔をしたのだが、モノクロの写真を見せると喜んでくれ、二枚ぐらいにすらすら慣れた手つきでサインをしてくれた。次に、もっと喜んでもらえるつもりでチョコレートの箱を渡したところ、それまでフランス語で喋っていたドヌーヴが、なんと英語で「アイ・ドント・ライク・チョコレート!」とはっきり言ったのだ。まわりは唖然、呆然! どうなることかと思われたのだが、撮影は無事に終了。さすが大女優の振舞である。
百瀬恒彦「カトリーヌ・ドヌーヴ」
1992年撮影
RC paper
8x10inch
サイン入り
あのときのバラのチョコレートはどうなったのだろう? と、百瀬は思っている。
(とっとりきぬこ)
■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。
■百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。
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