菅原一剛の写真 その3
「Blue」の話 第3回
そんな風にして撮影された、サンマルコ広場の柱の写真が、あの会場にあってくれたおかげで、ぼくはその時のインタビューでも「これまでがデッサンのようなものだとしたら、これからは、カメラがある、そして被写体がある。そして、それを撮影する。というような写真的にはもっとも単純なかたちで、向かい合っていきたいと思っています。」と答えていました。
そしてぼくは、その言葉通りに、8X10の大型カメラを持って、奈良に出かけました。
なぜ奈良だったかというと、ぼくは大阪芸術大学の写真学科を卒業しているのですが、その時に初めて奈良という場所に出会いました。仏像が好きだったこともあって、奈良というと、ぼくにとってはアイドルのような仏像がある場所でもあったので、入学当初より、どちらかというと、仏像を観によく行っていました。やがて、そのお寺はもちろんのこと、その街並みにしても、どこかアジア的な大きさがあって、そのスケール感に魅かれながら興味を持ち、その場所には、ぼくにとっても大切ななにかがあるのではないかと思うようになっていました。
しかし、学生時代の4年間では、他にもたくさんやりたいことがあったこともあって、そんな奈良とはまるで向かい合うことも出来ないまま卒業してしまったので、どこかでそのことがずっと気になっていました。
そして、満を持して奈良に向かったのです。毎日々、大きなカメラを担いで、まるで修行僧のように、夜明けの山の辺の道を歩き、撮影を繰り返しました。すると、今では国道沿いはどこにでもあるような景色に変わってしまっていますが、朝だけは、自然と心の中に“まほろば”などという言葉が浮かんできてしまうように、完全に時代感覚を失ってしまうのです。そして、そこはとにかく静かでした。そして、特別な時間でした。
大好きなエリック・ロメールの映画に「レネットとミラベルの4つの冒険」という短編集があるのですが、その1編に「青い時間」という短編映画があります。この映画は、レネットという田舎育ちの少女と、ミラベルというパリジェンヌの少女という対照的なふたりの物語。「夜と朝の間には完全な沈黙が存在するのよ」と言い張るレネットに、それならと、いっしょに朝を迎えることを約束するミラベル。そしてある朝、その完全な沈黙が生まれます。
話だけ聞くと、どうってことないのですが、劇場の中でも、その1分間の静寂の青い時間は、何度観ても心が大きく揺さぶられるほどに、大きな衝動があります。
ぼくはもしかしたら“静寂”というのは、どんな大きな音よりも、大きな衝動を与えることが出来る音なのではないかと思うほどです。そんな静寂の音が、あの時の奈良にはありました。そして、何よりも不思議だったのは、早朝の古墳群の中にカメラを立てて、日の出を待っているわけですから、ふつうに考えたらおそろしいほどの不安と恐怖を感じるはずなのですが、その時はそんな風に感じたことがなかったのです。それよりもむしろ、やがてゆっくりと明けてくる朝の光の温度であったりと、むしろどこかあたたかいものを感じていました。そして、そこには多くの水の光景がありました。そんな静かな水の光景を見つめれば見つめるほど、ぼくはその源のすがたを観てみたいと思うようになりました。きっと、この山(三輪山)の向こうには川が流れていて、もしかしたらきれいな滝があるかもしれない、などと思いを巡らしながら、次なる撮影行を計画していました。
そんな折に、撮影の仕事でノルウェーに行くことになりました。仕事ではあるのですが、ぼくは、まだその時は奈良のことで頭がいっぱいでした。ですので、ノルウェーに行くというのに、ノルウェーのことよりも奈良のことがもっと知りたくて、そんな本を読み漁っていました。ノルウェーの古都・ベルゲンより、フィヨルドを経て、山の上にある「スタルハイム」という土地でのこと。その土地の名は、ある詩人の名前に由来しているとのこと。その地にある石碑に、「すべての水はめぐる、そして、すべての命はめぐる」みたいなことが、彼の詩として書いてありました。なるほどなあと思いながら、ぼくは相変わらず、あの奈良での静寂の水の光景でいっぱいでした。すると、やがて目の前にはおよそ50メートルはあろうかという大きな滝が現れました。その白濁する水しぶきが光を受けて、とてもきれいでした。
その時に気付いたのですが、水しぶきというのは大気に押し戻されて、白く見えているのだということを知りました。ですので、表面の動きは完全に上に向かっています。そのことも手伝ってか、いざカメラを向けてみると、それはまるで光の化身のように、ぼくの目には映りました。しかも、ふつうであれば視覚認識することが出来ない“光そのもの”のすがたがそこにあるようで、とても神々しく感じました。そして、それは、動きで言えば圧倒的な“動の世界”です。音だって、「ゴー」とものすごい大きな音が聞こえています。しかし、印象としてはけっしてうるさくはありません。そして、それらの水は雪解け水なのですから、ものすごく冷たい水なのです。それでも、そこに写し出されている光景は、けっして冷たいものではありませんでした。ぼくにはなんとなく、そのことがすごくうれしくて、しかも、あの奈良の静寂の光景の源が、このような美しい世界でもあったことがうれしかったのでした。ぼくは、その光の化身のようにも見えた水しぶきを、カメラをずぶぬれにしながら、必死で撮影を繰り返しました。
そして、帰国後すぐに、当初は奈良のあの山の向こうに行くはずだったのですが、ぼくは再び、ノルウェーのこの「スタルハイムの滝」に向かいました。そして、同じように滝に向かってカメラを向けてみたのですが、その時、あのヴェネチアでの柱に当たっていた光と、今目の前にある滝の水しぶきと共にある光が、確実に同じものであることを知ることが出来たような気がしました。そして、改めてぼくは、そんな光のあたたかさを追いかけていることを知りました。しかし、とはいうものの、その印象はまだまだ、ただのはじまりのような、それでいてとても純粋な“青い世界”でした。
(すがわらいちごう)
"Stelheim #9,Norway"
1992
Gelatin Silver Print
イメージサイズ50.8x40.6cm
シートサイズ61.0x50.8cm
Ed.25
Signed
"Stelheim #15,Norway"
1992
Gelatin Silver Print
イメージサイズ50.8x40.6cm
シートサイズ61.0x50.8cm
Ed.25
Signed
◆ときの忘れものは2013年10月16日[水]―10月23日[水]「菅原一剛写真展―Blue」を開催しています(※会期中無休)。

菅原一剛の写真集「Daylight|Blue」(2冊セット)の出版を記念して、ときの忘れものとギャラリー360°の二会場で同時開催します。
ゲストキュレター:仲世古佳伸


『Daylight|Blue』
価格:6,300円
2冊1組 各68P 320Hx257Wmm
本日10月19日(土)午後3時より、菅原一剛さんと仲世古佳伸さんと一緒に、2会場を周るギャラリーツアーを開催します(ときの忘れものスタート)。
ツアー終了後、18時よりギャラリー360°にてオープニングレセプションを行います。是非、ご参加ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
「Blue」の話 第3回
そんな風にして撮影された、サンマルコ広場の柱の写真が、あの会場にあってくれたおかげで、ぼくはその時のインタビューでも「これまでがデッサンのようなものだとしたら、これからは、カメラがある、そして被写体がある。そして、それを撮影する。というような写真的にはもっとも単純なかたちで、向かい合っていきたいと思っています。」と答えていました。
そしてぼくは、その言葉通りに、8X10の大型カメラを持って、奈良に出かけました。
なぜ奈良だったかというと、ぼくは大阪芸術大学の写真学科を卒業しているのですが、その時に初めて奈良という場所に出会いました。仏像が好きだったこともあって、奈良というと、ぼくにとってはアイドルのような仏像がある場所でもあったので、入学当初より、どちらかというと、仏像を観によく行っていました。やがて、そのお寺はもちろんのこと、その街並みにしても、どこかアジア的な大きさがあって、そのスケール感に魅かれながら興味を持ち、その場所には、ぼくにとっても大切ななにかがあるのではないかと思うようになっていました。
しかし、学生時代の4年間では、他にもたくさんやりたいことがあったこともあって、そんな奈良とはまるで向かい合うことも出来ないまま卒業してしまったので、どこかでそのことがずっと気になっていました。
そして、満を持して奈良に向かったのです。毎日々、大きなカメラを担いで、まるで修行僧のように、夜明けの山の辺の道を歩き、撮影を繰り返しました。すると、今では国道沿いはどこにでもあるような景色に変わってしまっていますが、朝だけは、自然と心の中に“まほろば”などという言葉が浮かんできてしまうように、完全に時代感覚を失ってしまうのです。そして、そこはとにかく静かでした。そして、特別な時間でした。
大好きなエリック・ロメールの映画に「レネットとミラベルの4つの冒険」という短編集があるのですが、その1編に「青い時間」という短編映画があります。この映画は、レネットという田舎育ちの少女と、ミラベルというパリジェンヌの少女という対照的なふたりの物語。「夜と朝の間には完全な沈黙が存在するのよ」と言い張るレネットに、それならと、いっしょに朝を迎えることを約束するミラベル。そしてある朝、その完全な沈黙が生まれます。
話だけ聞くと、どうってことないのですが、劇場の中でも、その1分間の静寂の青い時間は、何度観ても心が大きく揺さぶられるほどに、大きな衝動があります。
ぼくはもしかしたら“静寂”というのは、どんな大きな音よりも、大きな衝動を与えることが出来る音なのではないかと思うほどです。そんな静寂の音が、あの時の奈良にはありました。そして、何よりも不思議だったのは、早朝の古墳群の中にカメラを立てて、日の出を待っているわけですから、ふつうに考えたらおそろしいほどの不安と恐怖を感じるはずなのですが、その時はそんな風に感じたことがなかったのです。それよりもむしろ、やがてゆっくりと明けてくる朝の光の温度であったりと、むしろどこかあたたかいものを感じていました。そして、そこには多くの水の光景がありました。そんな静かな水の光景を見つめれば見つめるほど、ぼくはその源のすがたを観てみたいと思うようになりました。きっと、この山(三輪山)の向こうには川が流れていて、もしかしたらきれいな滝があるかもしれない、などと思いを巡らしながら、次なる撮影行を計画していました。
そんな折に、撮影の仕事でノルウェーに行くことになりました。仕事ではあるのですが、ぼくは、まだその時は奈良のことで頭がいっぱいでした。ですので、ノルウェーに行くというのに、ノルウェーのことよりも奈良のことがもっと知りたくて、そんな本を読み漁っていました。ノルウェーの古都・ベルゲンより、フィヨルドを経て、山の上にある「スタルハイム」という土地でのこと。その土地の名は、ある詩人の名前に由来しているとのこと。その地にある石碑に、「すべての水はめぐる、そして、すべての命はめぐる」みたいなことが、彼の詩として書いてありました。なるほどなあと思いながら、ぼくは相変わらず、あの奈良での静寂の水の光景でいっぱいでした。すると、やがて目の前にはおよそ50メートルはあろうかという大きな滝が現れました。その白濁する水しぶきが光を受けて、とてもきれいでした。
その時に気付いたのですが、水しぶきというのは大気に押し戻されて、白く見えているのだということを知りました。ですので、表面の動きは完全に上に向かっています。そのことも手伝ってか、いざカメラを向けてみると、それはまるで光の化身のように、ぼくの目には映りました。しかも、ふつうであれば視覚認識することが出来ない“光そのもの”のすがたがそこにあるようで、とても神々しく感じました。そして、それは、動きで言えば圧倒的な“動の世界”です。音だって、「ゴー」とものすごい大きな音が聞こえています。しかし、印象としてはけっしてうるさくはありません。そして、それらの水は雪解け水なのですから、ものすごく冷たい水なのです。それでも、そこに写し出されている光景は、けっして冷たいものではありませんでした。ぼくにはなんとなく、そのことがすごくうれしくて、しかも、あの奈良の静寂の光景の源が、このような美しい世界でもあったことがうれしかったのでした。ぼくは、その光の化身のようにも見えた水しぶきを、カメラをずぶぬれにしながら、必死で撮影を繰り返しました。
そして、帰国後すぐに、当初は奈良のあの山の向こうに行くはずだったのですが、ぼくは再び、ノルウェーのこの「スタルハイムの滝」に向かいました。そして、同じように滝に向かってカメラを向けてみたのですが、その時、あのヴェネチアでの柱に当たっていた光と、今目の前にある滝の水しぶきと共にある光が、確実に同じものであることを知ることが出来たような気がしました。そして、改めてぼくは、そんな光のあたたかさを追いかけていることを知りました。しかし、とはいうものの、その印象はまだまだ、ただのはじまりのような、それでいてとても純粋な“青い世界”でした。
(すがわらいちごう)
"Stelheim #9,Norway"1992
Gelatin Silver Print
イメージサイズ50.8x40.6cm
シートサイズ61.0x50.8cm
Ed.25
Signed
"Stelheim #15,Norway"1992
Gelatin Silver Print
イメージサイズ50.8x40.6cm
シートサイズ61.0x50.8cm
Ed.25
Signed
◆ときの忘れものは2013年10月16日[水]―10月23日[水]「菅原一剛写真展―Blue」を開催しています(※会期中無休)。

菅原一剛の写真集「Daylight|Blue」(2冊セット)の出版を記念して、ときの忘れものとギャラリー360°の二会場で同時開催します。
ゲストキュレター:仲世古佳伸


『Daylight|Blue』
価格:6,300円
2冊1組 各68P 320Hx257Wmm
本日10月19日(土)午後3時より、菅原一剛さんと仲世古佳伸さんと一緒に、2会場を周るギャラリーツアーを開催します(ときの忘れものスタート)。
ツアー終了後、18時よりギャラリー360°にてオープニングレセプションを行います。是非、ご参加ください。
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