あらためてときの忘れもののスタッフ一同より、新春のご挨拶を申し上げます。
本日より2014年の営業を開始します。
本年もどうぞよろしくお引き立てください。
毎度古い話で恐縮ですが、亭主はちょうど40年前の1974年、毎日新聞の関連事業として現代版画センターを設立しました。
版画の普及を「会員制による共同版元」という運動体で展開しようと、当初は「全国版画コレクターの会(仮称)準備会」という任意団体として発足しました(のちに現代版画センターを正式名称とし、毎日新聞から離れてからは株式会社に改編)。
久保貞次郎先生はじめ多くの人々の協力を受け準備活動をする中で、ある方に運動の趣旨を述べ「代表になって欲しい」と手紙を出しました。
ほどなくして細かな字で丁寧に書かれたお葉書をいただきました。
「自分は美術界の第一線からは退いているので」という断りの内容でした。
先日来、その葉書を探しているのですが、なかなか見つからない・・・・・
一面識もない(しかし著書を通じて尊敬していた)瀧口修造先生に28歳の若造が手紙を書くなんて、今思うと冷や汗ものですが、あれから40年、土渕信彦さんのご尽力により、その瀧口先生の展覧会を開催できることになり、貧乏画廊でも長くやっていると良いこともあるのだなあとしみじみ思っています。
明日から「瀧口修造展 Ⅰ」を開催します。
お正月休みにあるお客様から<これだけの瀧口修造作品の展示に驚いております。つい1か月前に足利市立美術館まで行って「瀧口修造展」を観ましたが、そこでもこれほどは展示されていませんでした。>というメールをいただきました。

会期:1月8日[水]~1月25日[土]
会期中無休ですので、ぜひお出かけください。
●イベントのご案内
1月18日(土)17時より、池田龍雄さんによるギャラリートークを開催します。
1月25日(土)17時より、瀧口修造の講演「美というもの」(録音)を聴く会を開催します。
※ともに要予約/参加費1,000円
メールにてお申込ください。E-mail. info@tokinowasuremono.com
一昨年は瑛九、昨年は松本竣介、そして今年は瀧口修造展で新春を迎えることができました。
亭主は作品が頒布され流通することこそがその作家の真の評価につながると信じています。
画商として微力ではありますが、瑛九と同じように今後はシリーズ企画として瀧口作品に取り組んで行きたいと思っています。
詩人、美術評論家、シュルレアリスム運動の紹介者として著名な瀧口修造は、戦前・戦後を通じ多くの若手芸術家の精神的支柱として、日本の前衛芸術をリードしてきました。ところが、1958年のヴェネチア・ビエンナーレでコミッショナーを務め、その後欧州各地を訪問してアンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンらと面会してきた頃からその活動に変化が現れ、帰国してからは自らもドローイング、水彩、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)、デカルコマニー(転写法)など、さまざまな手法による造形制作を開始しました。遺された素晴らしい作品は、小品が多いとはいえ、どれも驚くような美しさを持っており、まさに一人の造形作家として評価されるべき質・量を備えています。
本年5月から12月にかけて巡回開催されている「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展(市立小樽美術館・小樽文学館、萬鉄五郎記念美術館、天童市美術館、足利市立美術館)では、青年期の詩的実験から戦前・戦後の評論活動、さらに欧州旅行を経て自らの作品制作に至る、瀧口の生涯にわたる活動が紹介されていますが、今回のときの忘れものでの瀧口修造展は、上記のような「造形作家」瀧口自身の制作に焦点を当て、その多彩な手法の概要を紹介します。こうした展覧会は、(近年、継続的に開催されている土渕信彦氏のコレクション展「瀧口修造の光跡Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」を別とすれば)2001年7月~2002年1月に開催された富山県立近代美術館・渋谷区立松濤美術館の「瀧口修造の造形的実験」展以来、11年振りであり、ときの忘れものにとっても初めての瀧口修造展となります。
■瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI(1903~1979)
詩人、美術評論家として知られる。シュルレアリスムの理念を体現し、戦前・戦後を通じ日本における前衛芸術運動の理論的・精神的支柱として、多くの芸術家の活動を鼓舞し続けた。内外の造形作家と詩画集を共作したほか、自らも多数の造形作品を残している。
1903年、富山県に生まれる。幼少期から文学・美術に親しみ、特にウィリアム・ブレイクに傾倒していた。慶應義塾大学英文科在学中に、指導教授だった西脇順三郎を通じてシュルレアリスムを知り、『シュルレアリスム宣言』、『磁場』などを読んで深く影響され、一連の実験的な詩的テクストを発表するとともに、ブルトン『超現実主義と絵画』を全訳した。31年に卒業後、映画製作所PCL(写真化学研究所。東宝の前身)にスクリプターとして勤務する傍ら、美術評論活動を開始した。海外のシュルレアリストたちと文通を続け、ブルトン『通底器』、『狂気の愛』、「文化擁護作家会議における講演」やエルンスト、ダリの著作などを翻訳・紹介、37年には山中散生とともに「海外超現実主義作品展」を開催した(記念出版『アルバム・シュルレアリスト』も編集)。「超現実造型論」「前衛芸術の諸問題」などの美術評論だけでなく「写真と超現実主義」「物体と写真」などの写真評論も執筆し、画壇に属さない前衛美術家・写真家たちの研究・発表グループを理論的に指導した。しかしこうした活動は、国際共産主義運動に関係する危険なものと見なされて、41年春から7ヶ月余り特高によって拘留され、中断を余儀なくされた。
戦後は読売新聞などに多くの美術評論を発表し、時代を代表する美術評論家として活動した。タケミヤ画廊の企画を委嘱され、208回に及ぶ展覧会を開催して、多数の若手美術家に発表の機会を設ける一方、51年に結成された「実験工房」の活動にも顧問格として関与するなど、清廉な人柄も相俟って影響力は絶大であった。
58年、ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして訪欧、イタリアの彫刻部門の代表だったフォンターナを高く評価して絵画部門で票を投じた後、欧州各地を訪問し、ブルトン、デュシャン、ダリ、ミショーらと面会した(ブルトンとの会談を自ら「生涯の収穫」と回想している)。帰国後、時評的な美術評論の発表が減少する一方、展覧会序文などの私的な執筆が増加した。公的な役職を辞任する反面、赤瀬川原平の「千円札事件」(65~70年)では特別弁護人を積極的に引き受けている。ミロ、サム・フランシスなど、多くの造形作家と詩画集を共作したほか、自らもドローイング、水彩、デカルコマニー、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)などの、独特な手法の造形作品を制作し、個展も数回開催している。67年には戦間期の詩的テクストを集成した『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』を刊行した。夢の記録の形をとった散文作品や、諺のような短いフレーズの作品も残している。自ら構想したコンセプチュアルな「オブジェの店」に対して、上記の訪欧後も文通を続けていたデュシャンから「ローズ・セラヴィ」の名を贈られた。この返礼に『マルセル・デュシャン語録』を刊行(68年)、その後もデュシャン研究を継続し、「大ガラス」の一部を立体化したマルティプル『檢眼圖』も制作している(東京ローズ・セラヴィ、77年。造形作家岡崎和郎との共作)。79年に心筋梗塞のため没した。
●瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHIの出品作品を順次ご紹介します。

「出品番号 I-13」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:31.3×25.5cm
シートサイズ :35.4×27.1cm

「出品番号 I-14」
1961年
水彩、インク、紙
イメージサイズ:26.3×30.5cm
シートサイズ :27.0×35.4cm
右下に年記、サインあり
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本日より2014年の営業を開始します。
本年もどうぞよろしくお引き立てください。
毎度古い話で恐縮ですが、亭主はちょうど40年前の1974年、毎日新聞の関連事業として現代版画センターを設立しました。
版画の普及を「会員制による共同版元」という運動体で展開しようと、当初は「全国版画コレクターの会(仮称)準備会」という任意団体として発足しました(のちに現代版画センターを正式名称とし、毎日新聞から離れてからは株式会社に改編)。
久保貞次郎先生はじめ多くの人々の協力を受け準備活動をする中で、ある方に運動の趣旨を述べ「代表になって欲しい」と手紙を出しました。
ほどなくして細かな字で丁寧に書かれたお葉書をいただきました。
「自分は美術界の第一線からは退いているので」という断りの内容でした。
先日来、その葉書を探しているのですが、なかなか見つからない・・・・・
一面識もない(しかし著書を通じて尊敬していた)瀧口修造先生に28歳の若造が手紙を書くなんて、今思うと冷や汗ものですが、あれから40年、土渕信彦さんのご尽力により、その瀧口先生の展覧会を開催できることになり、貧乏画廊でも長くやっていると良いこともあるのだなあとしみじみ思っています。
明日から「瀧口修造展 Ⅰ」を開催します。
お正月休みにあるお客様から<これだけの瀧口修造作品の展示に驚いております。つい1か月前に足利市立美術館まで行って「瀧口修造展」を観ましたが、そこでもこれほどは展示されていませんでした。>というメールをいただきました。

会期:1月8日[水]~1月25日[土]
会期中無休ですので、ぜひお出かけください。
●イベントのご案内
1月18日(土)17時より、池田龍雄さんによるギャラリートークを開催します。
1月25日(土)17時より、瀧口修造の講演「美というもの」(録音)を聴く会を開催します。
※ともに要予約/参加費1,000円
メールにてお申込ください。E-mail. info@tokinowasuremono.com
一昨年は瑛九、昨年は松本竣介、そして今年は瀧口修造展で新春を迎えることができました。
亭主は作品が頒布され流通することこそがその作家の真の評価につながると信じています。
画商として微力ではありますが、瑛九と同じように今後はシリーズ企画として瀧口作品に取り組んで行きたいと思っています。
詩人、美術評論家、シュルレアリスム運動の紹介者として著名な瀧口修造は、戦前・戦後を通じ多くの若手芸術家の精神的支柱として、日本の前衛芸術をリードしてきました。ところが、1958年のヴェネチア・ビエンナーレでコミッショナーを務め、その後欧州各地を訪問してアンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンらと面会してきた頃からその活動に変化が現れ、帰国してからは自らもドローイング、水彩、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)、デカルコマニー(転写法)など、さまざまな手法による造形制作を開始しました。遺された素晴らしい作品は、小品が多いとはいえ、どれも驚くような美しさを持っており、まさに一人の造形作家として評価されるべき質・量を備えています。
本年5月から12月にかけて巡回開催されている「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展(市立小樽美術館・小樽文学館、萬鉄五郎記念美術館、天童市美術館、足利市立美術館)では、青年期の詩的実験から戦前・戦後の評論活動、さらに欧州旅行を経て自らの作品制作に至る、瀧口の生涯にわたる活動が紹介されていますが、今回のときの忘れものでの瀧口修造展は、上記のような「造形作家」瀧口自身の制作に焦点を当て、その多彩な手法の概要を紹介します。こうした展覧会は、(近年、継続的に開催されている土渕信彦氏のコレクション展「瀧口修造の光跡Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」を別とすれば)2001年7月~2002年1月に開催された富山県立近代美術館・渋谷区立松濤美術館の「瀧口修造の造形的実験」展以来、11年振りであり、ときの忘れものにとっても初めての瀧口修造展となります。
■瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI(1903~1979)
詩人、美術評論家として知られる。シュルレアリスムの理念を体現し、戦前・戦後を通じ日本における前衛芸術運動の理論的・精神的支柱として、多くの芸術家の活動を鼓舞し続けた。内外の造形作家と詩画集を共作したほか、自らも多数の造形作品を残している。
1903年、富山県に生まれる。幼少期から文学・美術に親しみ、特にウィリアム・ブレイクに傾倒していた。慶應義塾大学英文科在学中に、指導教授だった西脇順三郎を通じてシュルレアリスムを知り、『シュルレアリスム宣言』、『磁場』などを読んで深く影響され、一連の実験的な詩的テクストを発表するとともに、ブルトン『超現実主義と絵画』を全訳した。31年に卒業後、映画製作所PCL(写真化学研究所。東宝の前身)にスクリプターとして勤務する傍ら、美術評論活動を開始した。海外のシュルレアリストたちと文通を続け、ブルトン『通底器』、『狂気の愛』、「文化擁護作家会議における講演」やエルンスト、ダリの著作などを翻訳・紹介、37年には山中散生とともに「海外超現実主義作品展」を開催した(記念出版『アルバム・シュルレアリスト』も編集)。「超現実造型論」「前衛芸術の諸問題」などの美術評論だけでなく「写真と超現実主義」「物体と写真」などの写真評論も執筆し、画壇に属さない前衛美術家・写真家たちの研究・発表グループを理論的に指導した。しかしこうした活動は、国際共産主義運動に関係する危険なものと見なされて、41年春から7ヶ月余り特高によって拘留され、中断を余儀なくされた。
戦後は読売新聞などに多くの美術評論を発表し、時代を代表する美術評論家として活動した。タケミヤ画廊の企画を委嘱され、208回に及ぶ展覧会を開催して、多数の若手美術家に発表の機会を設ける一方、51年に結成された「実験工房」の活動にも顧問格として関与するなど、清廉な人柄も相俟って影響力は絶大であった。
58年、ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして訪欧、イタリアの彫刻部門の代表だったフォンターナを高く評価して絵画部門で票を投じた後、欧州各地を訪問し、ブルトン、デュシャン、ダリ、ミショーらと面会した(ブルトンとの会談を自ら「生涯の収穫」と回想している)。帰国後、時評的な美術評論の発表が減少する一方、展覧会序文などの私的な執筆が増加した。公的な役職を辞任する反面、赤瀬川原平の「千円札事件」(65~70年)では特別弁護人を積極的に引き受けている。ミロ、サム・フランシスなど、多くの造形作家と詩画集を共作したほか、自らもドローイング、水彩、デカルコマニー、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)などの、独特な手法の造形作品を制作し、個展も数回開催している。67年には戦間期の詩的テクストを集成した『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』を刊行した。夢の記録の形をとった散文作品や、諺のような短いフレーズの作品も残している。自ら構想したコンセプチュアルな「オブジェの店」に対して、上記の訪欧後も文通を続けていたデュシャンから「ローズ・セラヴィ」の名を贈られた。この返礼に『マルセル・デュシャン語録』を刊行(68年)、その後もデュシャン研究を継続し、「大ガラス」の一部を立体化したマルティプル『檢眼圖』も制作している(東京ローズ・セラヴィ、77年。造形作家岡崎和郎との共作)。79年に心筋梗塞のため没した。
●瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHIの出品作品を順次ご紹介します。

「出品番号 I-13」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:31.3×25.5cm
シートサイズ :35.4×27.1cm

「出品番号 I-14」
1961年
水彩、インク、紙
イメージサイズ:26.3×30.5cm
シートサイズ :27.0×35.4cm
右下に年記、サインあり
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