2007年の今日、3月2日ベルリンである画商の葬儀が営まれた。
ホルスト・ケーラー独大統領、アンゲラ・メルケル独首相、クラウス・ヴォーヴェライト ベルリン市長はじめ、各界の著名人が参列し、その死を悲しんだ。
2007年2月23日パリで93歳の生涯を終えたハインツ・ベルグラン(Heinz Berggruen ハインツ・ベルクグリューン 1914-2007年)は伝説の大画商です。

1970年代の美術界はいま思うと「版画の時代」でした。
多くの先輩画商さんたちは欧米の巨匠版画を熱心に扱っており、そこではハインツ・ベルグランの名が一種憧れと畏敬の念をもって語られていました。
ベルグラン
ハインツ ベルグラン 著
『最高の顧客は私自身―ある画商の優雅な人生』
訳:田部淑子
河出書房新社、
2001年 246p

1914年ユダヤ系ドイツ人としてベルリンに生まれ、ナチを逃れ渡米、アメリカ国籍を取得(後にドイツ国籍に復す)。戦後パリで画廊「ベルグラン Berggruen&Cie」を開きます。画商というより20世紀屈指の大コレクターといった方が正確で、クレー、ピカソ、マティス、ミロ、マン・レイなど、20世紀の巨匠たちを収集します。第一級のコレクションは売らずに、1988年にニューヨーク・メトロポリタン美術館にクレーなどを、1996年にはベルリン市のシャルロッテンブル宮殿のシュチーラー館にピカソ、クレーなど名作130点を寄贈します。
母国ドイツの美術文化に多大な功績を遺したことは上述の葬儀の様子でおわかりになると思います。
そのベルグランが毎年顧客に送る細長い版画カタログとプライスリストは、世界の市場の動きを伝えるとともに、新米画商にとっては教科書みたいなものでした。
先輩画商が「ベルグランは注文が来ても一度には売らないんだ。今年はこれだけと決めたら後は売らない。次の年には価格をスライドしてまた少し売る。」と教えてくれたものでした。
亭主が実際にパリのベルグランの店を訪ねたのは1990年前後ですが、ベルグランは既にその画廊を他人に譲っており、つまり居抜きで代替わりしていたわけです。往年の輝きは失せていましたが、そこで取引することにひそかな感慨を覚えました。

ナチスを逃れて国外に亡命したユダヤ系のコレクターや画商は数多くいました。
飛び切りのコレクションを手に東に(ソ連)に向かった人の多くは悲惨な末路をたどります。
ベルグランのように大西洋を(アメリカ)渡った人たちの多くは暖かく迎えられ成功を収めます。

ベルグランがどのくらいすごい画商だったか。
彼の出したピカソとミロのカタログ(オリジナル版画入り)をご紹介しましょう。

●ピカソのオリジナル・リトグラフ入カタログ「ピカソ 半世紀のデッサン集」
ベルグランピカソのリトー表紙
オリジナル・リトグラフ

ピカソimg010

中1中2

1956年刊 ベルグラン画廊
表、裏表紙ともピカソのオリジナルリトグラフ
21.5x23.0cm

●ミロのオリジナル木版入カタログ「Joan Miro. Bois graves pour un poeme de PAUL ELUAR」
ベルグラン画廊 ミロ表紙
オリジナル木版

ベルグラン画廊 ミロ 中

ベルグラン画廊 ミロ 中1各ページにすべて色彩木版
右ページの黒丸はコラージュ

ベルグラン画廊 ミロ 中2

1958年 ベルグラン画廊
木版画32頁
21.7x11.2cm
*ベルグラン画廊の第25回企画展のカタログとして、1958年にフランスで発行。
ジョアン・ミロによるポール・エリュアールの詩"A toute epreuve"にささげた木版画が各ページを彩る豪華なカタログ。
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本日のウォーホル語録

「ぼくは、旅行が好きじゃない。ゆっくりと過ぎていく時間が好きなんだ。飛行機に乗るには、3、4時間前から準備しなきゃならないし、それに一日が費やされてしまう。もし、映画みたいな人生を送りたければ、旅行するといい。そうすれば、本当の人生のことなんか、まるっきり忘れてしまえるから。
―アンディ・ウォーホル」


ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
アンディ・ウォーホル『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録
1988年
30.0x30.0cm
56ページ
図版:114点収録
価格:3,150円(税込)※送料別途250円