君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」 第13回
「花まつり」
4月8日、この連載を始めてから丁度1年が経った。
本日4月8日が「花まつり」、釈迦の誕生日であると気がつく人が日本にはどのくらいいるのだろうか?12月25日のクリスマスがキリストの誕生日であることは殆どの日本人が知っているのだが、年度始めの花まつりが浸透する気配は感じられない。年末が近づき街中がイルミネーションで飾られているので、クリスマスはすぐに思い出される。しかし、通常の生活をしていると花まつりを街中で感じることはできない。
ところが先日、銀座の鳩居堂に筆を買いに行った際、店の前にきれいな花で飾り付けられた花御堂とその中に誕生仏が飾られていて驚いた。あまり意識しなかったが、鳩居堂では毎年飾られていたのかもしれない。
花まつりは、正式には灌仏会と呼ばれる仏教行事である。日本では多くの場合、花で飾りつけをした花御堂を作り、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で誕生仏に甘茶を灌ぐ。これは、生まれたばかりの釈迦の体に、9頭の龍が天から清浄の水を灌いだとか、竜王が釈迦の誕生を祝って甘露の雨を降らせたという伝説にちなんだものと言われている。
銀座の真ん中で誕生仏に甘茶を灌ぎ、手を合わせてきた。春は色々な花が咲く季節。生花で飾られた小さな仏様に甘茶を灌いで春を感じるのも良いかもしれない。
さっそく購入した筆で誕生仏と花を描いてみた。墨の色だけで春の雰囲気を伝えるのは難しいが、薄墨の色が伝われば嬉しい。

一般的に使われる「花まつり」の名称は、明治時代以降に作られたものだが、現在は宗派を問わず灌仏会の代名詞として多くもちいられている。
花まつりに一番親しんでいるのは、仏教系の幼稚園や保育園の園児ではないだろうかと私は予想している。園児たちにとっては、甘茶を灌いだり飲んだりする日であり、華やかな稚児行列を出す寺院も多いので、仮装を楽しみにしている子供もいるだろう。
以前、花まつりの手伝いをした際に多くの子供達が、誕生仏に甘茶を灌ぐことを知っており驚いた。中には天と地を指さして小さな釈迦の真似をしてくれた子供もいた。釈迦は生まれてすぐ、7歩あゆみ右手で天を指し左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられている。私は甘茶を灌いだ後に天と地を指さした子供の堂々とした表情は忘れられない。
クリスマスのように一般化してはいないが、花まつりは子供達を通じて受け継がれていくでしょう。何かと忙しい年度始めですが、子供の頃に甘茶を灌いだ記憶のある方は、気分転換に寺院に足を運ぶのもいいかもしれません。
この連載は本日が最終回です。このような機会を作って下さった「ときの忘れもの」の皆様に感謝いたします。この1年間で改めて仏像について考えたり、自分の未熟さを痛感したりと多くを学ぶ良い機会になりました。
この4月から本格的に仏像の研究を行うことになりました。近代化していくなかで仏像の形や意味も変わってきました。その中でも変わらない部分もあるのではないかと考えながら研究を進める日々です。いつかまたこの場で自分自身の研究の成果を発表できればと願っております。
1年間ありがとうございました。
(きみじまあやこ)
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」は今月8日の更新で最終回です。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は毎月14日の更新です。
・鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は最終回を迎えました。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
バックナンバーはコチラです。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は毎月22日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・ときの忘れものではシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。
◆ときの忘れものは2014年4月2日[水]―4月11日[土]「百瀬恒彦写真展―無色有情」を開催しています(*会期中無休)。
百瀬恒彦が1990年にモロッコを旅し、城壁の街フェズで撮ったモノクロ写真約20点を展示します。あわせてポートフォリオ『無色有情』(10点組、限定部数12部)を刊行します。
その写真世界については鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」をお読みください。
●出品作品を順次ご紹介します。
ポートフォリオ『無色有情』より10
1990年(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4×20.3cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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●本日のウォーホル語録
<お金で友人を買うのはすばらしい。お金をたくさん持っていて、それで、人をひきつけるというのが悪いことだとは思わない。ほら、見てごらん!あなたはみんなをひきつけてるではないか!
―アンディ・ウォーホル>
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
「花まつり」
4月8日、この連載を始めてから丁度1年が経った。
本日4月8日が「花まつり」、釈迦の誕生日であると気がつく人が日本にはどのくらいいるのだろうか?12月25日のクリスマスがキリストの誕生日であることは殆どの日本人が知っているのだが、年度始めの花まつりが浸透する気配は感じられない。年末が近づき街中がイルミネーションで飾られているので、クリスマスはすぐに思い出される。しかし、通常の生活をしていると花まつりを街中で感じることはできない。
ところが先日、銀座の鳩居堂に筆を買いに行った際、店の前にきれいな花で飾り付けられた花御堂とその中に誕生仏が飾られていて驚いた。あまり意識しなかったが、鳩居堂では毎年飾られていたのかもしれない。
花まつりは、正式には灌仏会と呼ばれる仏教行事である。日本では多くの場合、花で飾りつけをした花御堂を作り、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で誕生仏に甘茶を灌ぐ。これは、生まれたばかりの釈迦の体に、9頭の龍が天から清浄の水を灌いだとか、竜王が釈迦の誕生を祝って甘露の雨を降らせたという伝説にちなんだものと言われている。
銀座の真ん中で誕生仏に甘茶を灌ぎ、手を合わせてきた。春は色々な花が咲く季節。生花で飾られた小さな仏様に甘茶を灌いで春を感じるのも良いかもしれない。
さっそく購入した筆で誕生仏と花を描いてみた。墨の色だけで春の雰囲気を伝えるのは難しいが、薄墨の色が伝われば嬉しい。

一般的に使われる「花まつり」の名称は、明治時代以降に作られたものだが、現在は宗派を問わず灌仏会の代名詞として多くもちいられている。
花まつりに一番親しんでいるのは、仏教系の幼稚園や保育園の園児ではないだろうかと私は予想している。園児たちにとっては、甘茶を灌いだり飲んだりする日であり、華やかな稚児行列を出す寺院も多いので、仮装を楽しみにしている子供もいるだろう。
以前、花まつりの手伝いをした際に多くの子供達が、誕生仏に甘茶を灌ぐことを知っており驚いた。中には天と地を指さして小さな釈迦の真似をしてくれた子供もいた。釈迦は生まれてすぐ、7歩あゆみ右手で天を指し左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられている。私は甘茶を灌いだ後に天と地を指さした子供の堂々とした表情は忘れられない。
クリスマスのように一般化してはいないが、花まつりは子供達を通じて受け継がれていくでしょう。何かと忙しい年度始めですが、子供の頃に甘茶を灌いだ記憶のある方は、気分転換に寺院に足を運ぶのもいいかもしれません。
この連載は本日が最終回です。このような機会を作って下さった「ときの忘れもの」の皆様に感謝いたします。この1年間で改めて仏像について考えたり、自分の未熟さを痛感したりと多くを学ぶ良い機会になりました。
この4月から本格的に仏像の研究を行うことになりました。近代化していくなかで仏像の形や意味も変わってきました。その中でも変わらない部分もあるのではないかと考えながら研究を進める日々です。いつかまたこの場で自分自身の研究の成果を発表できればと願っております。
1年間ありがとうございました。
(きみじまあやこ)
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・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」は今月8日の更新で最終回です。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は毎月14日の更新です。
・鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は最終回を迎えました。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
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・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は毎月22日の更新です。
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・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
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・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・ときの忘れものではシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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百瀬恒彦が1990年にモロッコを旅し、城壁の街フェズで撮ったモノクロ写真約20点を展示します。あわせてポートフォリオ『無色有情』(10点組、限定部数12部)を刊行します。その写真世界については鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」をお読みください。
●出品作品を順次ご紹介します。
ポートフォリオ『無色有情』より101990年(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4×20.3cm
サインあり
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●本日のウォーホル語録
<お金で友人を買うのはすばらしい。お金をたくさん持っていて、それで、人をひきつけるというのが悪いことだとは思わない。ほら、見てごらん!あなたはみんなをひきつけてるではないか!
―アンディ・ウォーホル>
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
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