昨日13時15分に高校の後輩のT君からメールが入った。
「今、病院からです。11時39分に亡くなりました。」

先月25日、故郷群馬の病院にT君とともに田幡さんという女性を見舞った。
昨年4月余命数ヶ月と宣告され、それから一年余り苦しい闘病生活を続け、昨秋には50歳の誕生日を迎えたばかりだった。
ご主人とお二人のお嬢さんを残しての若すぎる死、メールを読み、彼女と奏でた数々の曲を思いおこした。

亭主の心のふるさとともいうべき高崎高校マンドリン・オーケストラ(TMO)は1960年に創立された群馬県では最も古い歴史を持つ。亭主は初代指揮者を務めたが、卒業後は仕事に追われ振り返ることもなかった。

ところが1999年に部員が激減し、遂に廃部の危機に陥った。翌2000年にはちょうど創立40周年を迎えるという年なのにである。
全国のOBたちに呼びかけ、さらには高崎女子高OGはじめ多くの賛助出演者の参加を得て、
僅か数人の現役高校生を囲み、伝統のマンドリン・オーケストラ(TMO)の音楽を蘇らせた復活の経緯は亭主のエッセイに書いた。
2007_TMO
上段から二列目、指揮者の左が田幡さん、右は亭主。

現役高校生とOB、賛助の方々が一体となって演奏するスタイルは第一回定期演奏会からの伝統で、全国でも珍しい。
太田女子高のOG田幡さんも賛助のメンバーとして長く私たちの演奏に参加してくれていた。抜群の音楽的才能で、賛助というよりTMOの正式メンバーといってよい存在だった。
パートは亭主と同じマンドラで、他の誰よりも華やかな音色を奏でた。
昨夏(亭主は仕事で参加できなかったが)の定期演奏会にも、既に自らの死を覚悟していた彼女はぶっつけ本番で舞台に上った。

長身、明るく朗らかな彼女は私たちのマドンナだった。


亭主の向かって左が田幡さん。
2009年7月11日 群馬音楽センターにて
第42回TMO定期演奏会「アナトリアン・ドリームズ」

田幡さん、あなたは良く生きた。
はじめの頃、あなたは遠く太田から車を駆ってまだ小学生のお嬢さんたちを連れて練習に参加していた。そのお嬢さんも今は大学生である。
多くの楽友たちはあなたのことを忘れない、あなたと奏でた数々の曲を忘れない。
どうぞ安らかにお休みください。