先日は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」余話として亭主の生まれ故郷のこと、父方の祖父・綿貫形次郎のことを少し書きました。
今日は母方の祖父・篠原龍策のことを少々。

亭主は群馬県吾妻郡名久田村(現中之条町)に生まれたのですが、幼かった頃草津温泉に母と二人で移り、小学1年からは母方の地、嬬恋村で育ちました。
ヤマトタケル(日本武尊、倭建命)東征の折、海に身を投げて危急を救った弟橘姫を偲んだという故事にならった嬬恋村(つまごいむら)という名称は、明治初年に初代村長を務めたわが一族の篠原仙吉がつけました。
亭主の母方の祖父・篠原龍策については、正確に調べておきたいのですが、少年の折に故郷嬬恋を出奔し、代用教員となり各地を転々としました。
最後は茨城県土浦中学に奉職し、退職後は昭和女学校(土浦第一女子高校の前身)を創立しますが昭和10年に67歳で死去しました。
家庭の父としては厳格で子供たち(9人!)にスパルタ教育を施したと母からいつも聞かされていましたが、教え子たちの記憶とはかなり異なります。
ありがたいことに、高田保(ぶらりひょうたん)はじめ教え子の人たちが幾人も祖父篠原龍策の思い出を書き残してくれています。
二つほど引用させていただきます。
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東京新聞1995年2月9日(木)
二大震災に時代が映る 
佐賀純一


<私が育った家は祖父が関東大震災直後に建てた西洋館だが、職人は東京の人だった。避難民の中に大工の棟梁がいて、仕事を探していたので、祖父は医院の建設を依頼したのだ。(中略)
当時、父は旧制中学一年だったが、話を聞くと、「今度の地震とは何もかも比較にならない」という。
 「何よりすばらしいのは神戸市民の冷静さだ。家族を失い、家を焼かれた人々が沈着に行動している様を見ると、心から敬服する。関東大震災のときはそうではなかった。戒厳令を布いて軍隊が治安に当たったにもかかわらず、虐殺事件が発生した。多くは流言蜚語に惑わされた自警団の暴走によるものだ。しかし大杉栄の虐殺はそうではない。国民を守るはずの軍人が手を下した。この話を聞いたのは中学の授業中だった」
 「国語、数学、なんでもできる万能の教師で、抜群の人気のあった篠崎龍作(ママ 正しくは篠原龍策)という先生が、修身の時間にいつもとは違った沈うつな表情でこう言った。『今回の大地震は帝都を壊滅に至らしめる大惨事でありましたが、先日更に大きな悲劇が生じました。無政府主義者として知られる大杉栄が甘粕という陸軍の大尉に殺されたのです。大杉だけではない、その妻と七歳になる甥までも殺された。甘粕大尉は三人を殺した後、死体を井戸の中に投げ入れてしまった。君たちは大杉栄という人物については何も知らないでしょうが、この人物は過激な思想家として知られています。その思想は大いに偏っている。しかし、考えが違うからといって、軍人が震災の混乱に乗じて思想家を殺すとは何事でしょうか。軍人は国を守るのが役目です。裁判官や死刑執行人などになってはいけない。特にこの場合罪が重いのは、夫人と、子供を殺したということです。絞め殺したのです。こうしたことは絶対に許してはなりません。人間は、どんなことがあっても、人を殺したりしてはいけないんです。日本人同士は勿論、外国人も同様です。よくよくこのことを考えてくれるように』
(中略)
 「ともかくも関東大震災と今回の震災とは全く意味が違う。七十年前には、震災を境に日本は暗い泥沼にはまりこんで世界から孤立した。ところが今は、政府が少々だらしなくても、自衛隊が無力でも、市民はものすごくしっかりしている。ボランティアやマスコミ、そして外国の救助隊も、必死で活動している。その姿を見ていると、日本は変わった、ほんとうにいい国になったと思う。特に神戸市民の行動はすばらしい。国民栄誉賞、それよりはるかに優れたものに価する」。父はこう言って白髪を掻きあげた。>
(医師・作家 土浦市在住)

*上掲は医師で作家の佐賀純一さんが阪神淡路大震災の直後に東京新聞に寄稿した文章の一節で、佐賀さんの父・佐賀進さん(篠原龍策の教え子)の回顧談です。関東大震災の混乱に乗じて権力が暴走し、一般の人もデマ、流言蜚語に惑わされて朝鮮人を虐殺したことは歴史の汚点で、現代の私たちにも大きな教訓を残しています。
あのとき<考えが違うからといって、軍人が震災の混乱に乗じて思想家を殺すとは何事でしょうか>と中学生に教え諭した祖父龍策のことを亭主は誇りに思うとともに、自ら省みて非常のときにそういい切れる勇気を持っているだろうかと自戒しています。
同じく佐賀純一さんが編んだ「スケッチで綴るふるさと土浦」の中にも祖父・篠原龍策のことが紹介されています。
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忘れ得ぬ教師たち
土中時代    語り 佐野道之助


 <旧制中学校の教師にはとても変った先生が大勢いましたね。
 まず「おんじ」と呼ばれていた篠原龍作(ママ 正しくは篠原龍策)という先生、この方については高田保のぶらりひょうたんにも出てますが、当時知らぬ人はない有名な先生でした。とにかく何でも知ってる。エンサイクロペディア的な知識の持ち主で、英語だろうが数学、物理、歴史、地理、何でもござれで、風邪なんかで他の先生が休んだりすると、おんじにたのめばそれですんでしまうという具合。この先生は学歴がなくて、文部省の検定試験で教師になったんで若い時、刻苦勉励したんですね。
 頭がつるつるはげていて、酒が好きで、生徒に向ってね「卒業したらお酒を持っておいで、香典はいらないんだから」なんて冗談半分に言ってましたが、僕が卒業してから本当に持ってたらそれは喜んでくれました。
 教え方は厳しい方でしたね。よく頭をたたくんです。ぐるっと教室を回って来て、足を止めて「お前、パカだよ」なんて言って、ポカリとやる。そこで先生が教壇から下りてくると、やられると知って逃げ出すのがいる。そうしたら昼休時間に弁当を食っている時など後ろから忍び寄って来て「さっきの貸しだよ」なんて言って、ぽかりとやったりするんです。
 それからおんじは修身も教えていたんですが、教科書なんかほとんど教えない。教室に入ってくるなり「目をつぶって、正座」という。そうやって、四十分ぐらい黙祷している。じっと動かないんだから座禅を組ませるようなもんです。そうして時々、えい!なんて渇を入れて「お前はまだ修行が足りない」などという。そうして教科書を読ませるのは、最後の五分か十分でした。
 このおんじが担任になると、絶対に落第をしないという伝統がありました。何しろ一学年で20人も落第するんですから、落ちないのは大変なもんですよ。
 ある時歴史の試験でしたが、おんじは全然分らない問題を出した。とにかく難しくて誰にも分らない。ほとんどの生徒が白紙でした。ところが出来たやつもいる。そうしたらおんじは、白紙の者を百点、出来た奴は零点をつけました。その理由は「歴史というのは人を作るためにやるんだ。だから出切るはずがない問題を解いたのはカンニングをやったにちがいない。私はずるい人間を作るのが目的ではないから、零点をつけた」と、こういうんですよ。実におんじの面目躍如ですね。
(中略)
 こんな風にみんな一見識を持ってましたが、生徒も本名では呼ばずに、時間表なんかも仇名で書いておく。一時間目さんま、二時間目ちゃぼ、三時間目じゃじゃ馬、四時間目デレ中、五時間目おんじ、なんてゆう風でね。外の人が見たら何の事かてんで分らない。しかしやはり何といってもおんじの印象が一番強かったですね。この人は土中をやめてから常総学園中学へ行って、それから今の土浦第一女子高校の前身の昭和女学校を作ったんですが、南田洋子なんていう女優はこの学校を出てるんです。
 おんじは土中にいる間、クローバーの種を群馬県から持って来て、校庭にいっぱいまいて育て、全部クローバーで埋め尽しました。それで土中の校庭は「クローバーの校庭」と言って、とても有名でした。このおいんじは土中を辞める時「クローバーはいくらふまれてもまた生き返る、だから君たちもこのクローバーのように強く生きてくれよ」と言って、学校を去ったんです。ところが臼井先生の後、土中の校長となったS先生は、おんじが辞めるや、全部クローバーを刈らせちゃった。それでS先生の人望は一気に地に堕ちてね。卒業証書にS校長の名前が書いてあったら、生徒らが「こんな卒業証書ならいらない」なんていって、みんなでつっ返した事件がありました。
 まあ考えると、本当に愉快な先生が多くて、しかも夫々に見識があって、教えてもらった僕たちは幸福だったと思いますよ。>

「スケッチで綴るふるさと土浦」より
昭和四十九年十二月二十六日発行
絵 佐賀進
文と文責 佐賀純一
発行責任者 本堂清
印刷 塚田印刷 土浦市東崎町
発行 「スケッチで綴るふるさと土浦」出版実行委員会

*教え子の佐野道之助さんによれば、祖父・篠原龍策はリベラルな思想の持ち主であったと同時に、ユーモアを解し<頭がつるつるはげていて、酒が好きで、生徒に向ってね「卒業したらお酒を持っておいで、香典はいらないんだから」なんて冗談半分に言>うような人柄だったらしい。
頭が薄いのは篠原の家系のようで、亭主も、息子雄高(龍策の曾孫)も40にして髪がなかった(笑)。玄孫にあたる冬馬の将来が心配であります。

今日のお勧め作品 小野隆生 Takao ONO
ono_hakkututyousa小野隆生 Takao ONO
「発掘と調査の日に」
"On the day of excavation and investigation"
1995
Tempera on Board
175.0x176.0cm
Signed
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