Where is the exit for this blind alley?
笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第2回
袋小路からの出口は……?
いつも、何処かで何かがおこっている。毎日のように、欧米の諸都市の画廊から展覧会のカタログや案内状が届く。これらから、各地で展示されている作品のイメージがよく分る。日本に居ながらにして、海外の動向に触れ、多様な作家の現況やその変化を知る大切な情報源のひとつとなっている。
近頃、気になることがある。80年代後半から90年代前半にかけ、当時30才台から40才台前半ぐらいの相当数の有望な≪若手作家≫がアメリカで頭角をあらわした。「将来を担う作家」として、美術館や画廊で彼等の作品がよく眼に入った。がしかし、今、送られてきた案内状をつぶさに見ても、彼等の名前が見あたらない。一体、どうしたことか……?
一時、ピカビアの再来ともてはやされたデビッド・サーレ〔David Salle(52年生):レオ・キャステリも重視していた〕、あの工芸的な描き方のテクニックのすごさに見とれたフィリップ・ターフ〔Philip Taaffe(55年生):ガゴシアンが後に契約作家にした程だ〕、ニューヨーク近代美術館の一般展示室で、いつも眼にしたネイル・ジェニー〔Neil Jenny(45年生)〕、デフォルメされた神秘的な馬のイメージで人々を魅了したスーザン・ローセンバーグ〔Susan Rothenberg(45年生):作品の入手不可能な時期が長かった〕……名をあげれば切りがない。
ロバート・ゴーバー、ジェームス・ブラウン、ギュンター・フォルグ、ローズマリー・トロッケル……などもモテた。
当時、コレクターはこぞって彼等に夢をかけた。この世に咲いた“アダ花”か……。
想い出す。90年代の初頭に、ニューヨーク在住の世界的な日本人現代美術作家が、既に、繰り返しつぶやいていた。
「今の若い作家には“持続力”がない。キラッとしたものを作品に感じても、ある期間注意深く冷静に観察を続け、すぐ手を出すことはやめた方がよい」
どうも、これは世界的な傾向のようだ。
2013年12月19日付のletterが、18年ぶりにポーラ・クーパー画廊から届いた。現在の取扱い作家のリストが同封されていた。
80年代後半のポーラ・クーパー画廊の契約作家群は、ドナルド・ジャッド、ロバート・マンゴールド、ジョエル・シャピロ、カール・アンドレ、ソル・ルウット、ジェニファー・バートレット、エリザベス・マレー、ロバート・ゴーバー……(資料1)。
■資料1
ソーホー地区の155 Wooster Streetにあった頃のポーラ・クーパー画廊で、DEC. 10, '86~JAN. 15, '87の間、開かれたグループ展の案内状。当時、2番手グループの作家を入れても、このような展覧会ができたのだ。
層は厚かった。
野球で喩えれば、すきのない高打率の打者がそろった気の抜けない打線だ。うらやましい程に層が厚かった。現在、スランプに入っている2~3人の作家を除いて、他作家は今でも第一線で好評を得ている。画廊としての「扱い作家の歩止り」は極めて高い。これがポーラの感性であり眼である。
一方、送られてきた最近の契約作家リスト(資料2)では、有力作家をあげると、カール・アンドレ、ソフィ・カル、マーク・デ・スベロ、ハンス・ハーケ、ソル・ルウット……。顔触れが変った。打線がこじんまりとまとまっている。
有力作家の数が少なくなっているので、少しぐらい衰えが感じられても、又スランプに入っていようが、それらの奪い合いが日常化している。
80年代後半のポーラ・クーパー画廊の有力作家、マンゴールド、シャピロ、バートレット、マレーはペース画廊に移籍。ジャッドは癌で鬼籍に入ってしまった。
しかし、これだけの実績と力量のある画廊は違った味を持っていたはず。穴を埋めるため、“才能のある新人”を掘り出し、新しい打線を組みたてる。 そして、売り出してゆく中で、育てあげ穴を埋める。現在、このメカニズムが機能しなくなってしまったのではないか……。
■資料2
ポーラ・クーパー画廊から送られて来たDEC. 19, '13現在の契約作家list
90年代初頭に、ジョエル・シャピロ〔かつては名門プリンストン大学の講師を務めるなど、理論家でもある〕がつぶやいていた。
「“蟻の出る隙間も無い”程に、“平面”はやりつくされ、作家が全力を注いで描いた平面作品を画廊で展示すると、それを見た人々から“これ、誰れそれの作品に似ている”との声。作者は落胆する。やがて、平面を捨て、立体やレリーフの制作に移ってゆく」
「ここまで来ているのか……」という思いが強い。このような状況が続くと、立体やレリーフのジャンルの行き詰まりも時間の問題ではないか……。
現代美術を引っぱってきた欧米の感性が袋小路に入りだしたようにも思える。
2014年2月下旬、ペース画廊から奇妙な展覧会の案内状(資料3)が舞い込む。“MINGEI ARE YOU HERE ?”〔会期:2014年3月7日~4月5日〕 瞬時、「これ何んだ?」 “MINGEI”という単語にとまどった。案内状の裏を見ると、SHOJI HAMADA、KAWAI KANJIRO、TOMIMOTO KENKICHI、〔日本への理解がまだ浅い。前二者、KANJIRO、KENKICHIは姓と名が逆だ〕KEISUKE SERIZAWA……とある。“民芸〔民衆芸術〕”の展示だと分る。
■資料3


・民芸作品の展覧会の案内状
・日本人作家は8人〔イサム・ノグチを日本人として〕。外国人作家22人。
ペースでは、現代美術のマスターや注目作家の高価な作品を展示するのが常態。こんなトリッキーな企画を見たこともない。ニューヨークの一流画廊に対する固定したイメージや強烈な先入観を持っていたので、「なり振りかまわず、出口を探しているな」と独り言が思わず出た。
さらに驚いた。日本の民芸家にまじって、JOSEF ALBERS、ROBERT RYMAN……など、外国人作家22名が列挙されていた。「どうして、幾何抽象のアルバース、今を時めくライマンが民芸に? 性格が全く違うだろうに……。余技として、民芸的な作陶の作品でもあるのか……?」
この展覧会を企画したニコラス・トレンブレイの“眼”では、民芸作品とのなんらかの類似点を持ったような作品があったのかも知れない。又、「この展覧会のために、作家にコミッション・ワーク(注1)を制作させた」とも聞く。これは注目で、ここまでさせたとなると、“民芸”の存在価値も看過できないところまで来ている。
■注1
<コミッション・ワーク>
作品を購入するにあたって、<条件>をつけて制作してもらう一種の注文作品。
一般的には、企業や公共施設の建物の内・外部に設置するために、その環境や購入者の要求にあわせて制作する作品にこれが多い。
今回のケースでは、おそらく、この民芸展を企画したキュレーターの要求条件が与えられて作家は作品を制作したと思える。
これと類似した動きが、今、ニューヨークのそちこちで発生し始めている。
具体の白髪一雄が、現在、欧米で支持され、とてつもない価格で市場の評価を得ている。それへの連想からか、チェルシー地区にある一流画廊、ポール・カズミン画廊で、今迄放置されていたジュールズ・オリツキー(注2)の展覧会(資料4)〔2014年3月6日~4月19日〕が開かれている。ボクシングのグローブのような手袋をはめた手で、キャンバスの上に絵具をぬりたくる。白髪ほど、画面に繊細さ、切れ味はないが、描かれたフォルムはいささか似ている。
又、日本で1968年~1973年頃に発生した“もの派”の作品も世界でモテ始めている。
■注2
ジュールズ・オリツキー〔JULES OLITSKI〕
・1922年ウクライナ生れ。2才の時、母とアメリカに。
1987年頃、当時の超一流画廊、ニューヨークのマンハッタンにあったヌードラー〔1846年設立。当時で141年の歴史をもつ〕で、この作家の作品と初めて出会った。その時の第一印象は「白髪と似ているな」。銀色がかったメタリックの塗料で、白髪のようなフォルムが描かれていた。作品の雰囲気は、白髪の湿度の多さを感じさせるホットな作品に対して、オリツキーのは乾燥したクールさを感じた。
・オリツキーは1922年に生れ、2007年に他界。白髪は〔1924-2008〕。ほぼ同期して、2人は活動している。
'87年当時、2人共に、未だ、高名になってない。そして、手と足の違いはあれ、2人ともアクション・ペインティングのジャンルだ。しかも、東と西に遠く離れている中で、この画面の類似性。2人には、前世から、何かの縁があったのか?……、と思う事時々。
■資料4
JULES OLITSKI


“JULES OLITSKI”
MAR. 6~APR. 19, 2014
≪PAUL KASMIN GALLERY≫の案内状から

“JULES OLITSKI”
JAN. 6~JAN. 29, 1987
≪M. Knoedler & Co.≫の案内状から
白髪一雄


白髪一雄
「作品 3」
1954年
油彩、キャンバス
112.0x79.5cm
“白髪一雄”
SEP. 20~OCT. 20, 2001
ロンドンの≪Annely Juda Fine Art≫のカタログから
ペース画廊では、リチャード・タトル展(注3)を、'09、'11、'12年と間隔をあけずに開き、今年も、2月7日~3月15日(資料5)に開いた。これも前述の傾向と似ている。タトルの作品は“もの派”の作品の性格と類似した特徴をもつ。特に、もの派の中心的存在の菅木志雄の作品と相通じる一面をもっている。作品の価格はタトルの方が比較にならない程高い。もの派が注目されているからか……、タトルの作品もよく売れている様子。
■注3
リチャード・タトル〔RICHARD TUTTLE〕
・1941年にニュージャージー州で生れる。
作品は小さな立体作品が多く、木・布・金属・羽毛などで構成。特に所々に色彩が粗く塗られた、荒削りの木の立体作品は菅木志雄の作品と雰囲気が似ている(資料5参照)。他にドローイング、これは立体のための習作でなく独立した作品。
もうひとつの特徴は、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、イタリヤ……などでは、どの国でも、その国の超一流画廊が扱っている。豪華な画商陣には、驚きを感じる。
・NOV. 29, 1990〔Blum Helman〕:(私の日記より)
Richard Tuttle展を開いていた。DrawingはJ.ミッチェル(英)に似ている。〔小さなdrawing用紙にかく〕価格は$8,000.- ~$10,000.- 。立体は菅に似ていて、造りが粗けずり。今回の作品はロシアの構成主義のような幾何図型を組みあわせたような木製の作品だった。
価格は$20,000.- 。〔この日の為替レート(T.T.S)¥131.10 / $〕
■資料5
“RICHARD TUTTLE”
FEB. 7~MAR. 15, 2014
≪PACE≫の案内状から
“RICHARD TUTTLE”
APR. 20~JUN. 14, 2002
≪Galerie Schmela≫(デュッセルドルフ・ドイツ)の案内状から
リチャード・タトル
「When We Were at Home」
2002年 木、アクリル
40.6x44.5x0.3cm
・このとき、展示された作品。菅木志雄の作品と雰囲気が似ている。下図を参照。
菅木志雄
「さえぎる辺」
1986年 木
29.0x29.0x10.0cm
≪東京画廊≫
このような幾つかの現時点での特異事象を見て、何んと思われるか?
「日本人の感性で制作された作品が、世界の現代美術の一部をリードし、ひとつの流れをつくり始めたか……!」と、一瞬、舞いあがる人がいても不思議ではない。
欧米では、自分達の文化や感性に限界を感じ始め、その状況を打破し、新しい何かを創出するため、まずはじめに、自分達で紡ぎ出せないものをなりふりかまわず捜しまわりだしたのが、この動きではないのか……。
非常に特殊な事例を記述したが、このような流れも、日本の現代美術のグローバル化に拍車をかけるに、力があったと思えてならない。
つい最近、日本の美術館の優秀なキュレーターから、興味ある話を聞いた。
「今迄、欧米の有力美術館から、日本の美術館が良い作品を借りだすことは、ほとんど不可能でした。しかし、近頃、日本の現代美術への評価が欧米で高まり、海外の美術館への貸し出しも多くなっています。そこで、“いつか、日本人作家の作品を借りだす時のこと”を考慮、最近、欧米の有力美術館も良い作品を日本に貸し出すようになり始めてますよ」
まさに、日本の現代美術が活動分野を欧米に広げ、グローバル化の波に乗りだしたことへの≪確証≫を、この言葉が伝えているのではないか……。
併せて、「国際化社会のキーワードは“Give and Take”。“Take and Take”では相手にされない」という教訓も伝わってくる。
(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・新連載・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・新連載・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は毎月14日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
バックナンバーはコチラです。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は毎月22日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・新連載・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」は終了しました。
・鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第2回
袋小路からの出口は……?
いつも、何処かで何かがおこっている。毎日のように、欧米の諸都市の画廊から展覧会のカタログや案内状が届く。これらから、各地で展示されている作品のイメージがよく分る。日本に居ながらにして、海外の動向に触れ、多様な作家の現況やその変化を知る大切な情報源のひとつとなっている。
近頃、気になることがある。80年代後半から90年代前半にかけ、当時30才台から40才台前半ぐらいの相当数の有望な≪若手作家≫がアメリカで頭角をあらわした。「将来を担う作家」として、美術館や画廊で彼等の作品がよく眼に入った。がしかし、今、送られてきた案内状をつぶさに見ても、彼等の名前が見あたらない。一体、どうしたことか……?
一時、ピカビアの再来ともてはやされたデビッド・サーレ〔David Salle(52年生):レオ・キャステリも重視していた〕、あの工芸的な描き方のテクニックのすごさに見とれたフィリップ・ターフ〔Philip Taaffe(55年生):ガゴシアンが後に契約作家にした程だ〕、ニューヨーク近代美術館の一般展示室で、いつも眼にしたネイル・ジェニー〔Neil Jenny(45年生)〕、デフォルメされた神秘的な馬のイメージで人々を魅了したスーザン・ローセンバーグ〔Susan Rothenberg(45年生):作品の入手不可能な時期が長かった〕……名をあげれば切りがない。
ロバート・ゴーバー、ジェームス・ブラウン、ギュンター・フォルグ、ローズマリー・トロッケル……などもモテた。
当時、コレクターはこぞって彼等に夢をかけた。この世に咲いた“アダ花”か……。
想い出す。90年代の初頭に、ニューヨーク在住の世界的な日本人現代美術作家が、既に、繰り返しつぶやいていた。
「今の若い作家には“持続力”がない。キラッとしたものを作品に感じても、ある期間注意深く冷静に観察を続け、すぐ手を出すことはやめた方がよい」
どうも、これは世界的な傾向のようだ。
■ ■
2013年12月19日付のletterが、18年ぶりにポーラ・クーパー画廊から届いた。現在の取扱い作家のリストが同封されていた。
80年代後半のポーラ・クーパー画廊の契約作家群は、ドナルド・ジャッド、ロバート・マンゴールド、ジョエル・シャピロ、カール・アンドレ、ソル・ルウット、ジェニファー・バートレット、エリザベス・マレー、ロバート・ゴーバー……(資料1)。
■資料1
ソーホー地区の155 Wooster Streetにあった頃のポーラ・クーパー画廊で、DEC. 10, '86~JAN. 15, '87の間、開かれたグループ展の案内状。当時、2番手グループの作家を入れても、このような展覧会ができたのだ。層は厚かった。
野球で喩えれば、すきのない高打率の打者がそろった気の抜けない打線だ。うらやましい程に層が厚かった。現在、スランプに入っている2~3人の作家を除いて、他作家は今でも第一線で好評を得ている。画廊としての「扱い作家の歩止り」は極めて高い。これがポーラの感性であり眼である。
一方、送られてきた最近の契約作家リスト(資料2)では、有力作家をあげると、カール・アンドレ、ソフィ・カル、マーク・デ・スベロ、ハンス・ハーケ、ソル・ルウット……。顔触れが変った。打線がこじんまりとまとまっている。
有力作家の数が少なくなっているので、少しぐらい衰えが感じられても、又スランプに入っていようが、それらの奪い合いが日常化している。
80年代後半のポーラ・クーパー画廊の有力作家、マンゴールド、シャピロ、バートレット、マレーはペース画廊に移籍。ジャッドは癌で鬼籍に入ってしまった。
しかし、これだけの実績と力量のある画廊は違った味を持っていたはず。穴を埋めるため、“才能のある新人”を掘り出し、新しい打線を組みたてる。 そして、売り出してゆく中で、育てあげ穴を埋める。現在、このメカニズムが機能しなくなってしまったのではないか……。
■資料2
ポーラ・クーパー画廊から送られて来たDEC. 19, '13現在の契約作家list90年代初頭に、ジョエル・シャピロ〔かつては名門プリンストン大学の講師を務めるなど、理論家でもある〕がつぶやいていた。
「“蟻の出る隙間も無い”程に、“平面”はやりつくされ、作家が全力を注いで描いた平面作品を画廊で展示すると、それを見た人々から“これ、誰れそれの作品に似ている”との声。作者は落胆する。やがて、平面を捨て、立体やレリーフの制作に移ってゆく」
「ここまで来ているのか……」という思いが強い。このような状況が続くと、立体やレリーフのジャンルの行き詰まりも時間の問題ではないか……。
現代美術を引っぱってきた欧米の感性が袋小路に入りだしたようにも思える。
■ ■
2014年2月下旬、ペース画廊から奇妙な展覧会の案内状(資料3)が舞い込む。“MINGEI ARE YOU HERE ?”〔会期:2014年3月7日~4月5日〕 瞬時、「これ何んだ?」 “MINGEI”という単語にとまどった。案内状の裏を見ると、SHOJI HAMADA、KAWAI KANJIRO、TOMIMOTO KENKICHI、〔日本への理解がまだ浅い。前二者、KANJIRO、KENKICHIは姓と名が逆だ〕KEISUKE SERIZAWA……とある。“民芸〔民衆芸術〕”の展示だと分る。
■資料3


・民芸作品の展覧会の案内状
・日本人作家は8人〔イサム・ノグチを日本人として〕。外国人作家22人。
ペースでは、現代美術のマスターや注目作家の高価な作品を展示するのが常態。こんなトリッキーな企画を見たこともない。ニューヨークの一流画廊に対する固定したイメージや強烈な先入観を持っていたので、「なり振りかまわず、出口を探しているな」と独り言が思わず出た。
さらに驚いた。日本の民芸家にまじって、JOSEF ALBERS、ROBERT RYMAN……など、外国人作家22名が列挙されていた。「どうして、幾何抽象のアルバース、今を時めくライマンが民芸に? 性格が全く違うだろうに……。余技として、民芸的な作陶の作品でもあるのか……?」
この展覧会を企画したニコラス・トレンブレイの“眼”では、民芸作品とのなんらかの類似点を持ったような作品があったのかも知れない。又、「この展覧会のために、作家にコミッション・ワーク(注1)を制作させた」とも聞く。これは注目で、ここまでさせたとなると、“民芸”の存在価値も看過できないところまで来ている。
■注1
<コミッション・ワーク>
作品を購入するにあたって、<条件>をつけて制作してもらう一種の注文作品。
一般的には、企業や公共施設の建物の内・外部に設置するために、その環境や購入者の要求にあわせて制作する作品にこれが多い。
今回のケースでは、おそらく、この民芸展を企画したキュレーターの要求条件が与えられて作家は作品を制作したと思える。
これと類似した動きが、今、ニューヨークのそちこちで発生し始めている。
具体の白髪一雄が、現在、欧米で支持され、とてつもない価格で市場の評価を得ている。それへの連想からか、チェルシー地区にある一流画廊、ポール・カズミン画廊で、今迄放置されていたジュールズ・オリツキー(注2)の展覧会(資料4)〔2014年3月6日~4月19日〕が開かれている。ボクシングのグローブのような手袋をはめた手で、キャンバスの上に絵具をぬりたくる。白髪ほど、画面に繊細さ、切れ味はないが、描かれたフォルムはいささか似ている。
又、日本で1968年~1973年頃に発生した“もの派”の作品も世界でモテ始めている。
■注2
ジュールズ・オリツキー〔JULES OLITSKI〕
・1922年ウクライナ生れ。2才の時、母とアメリカに。
1987年頃、当時の超一流画廊、ニューヨークのマンハッタンにあったヌードラー〔1846年設立。当時で141年の歴史をもつ〕で、この作家の作品と初めて出会った。その時の第一印象は「白髪と似ているな」。銀色がかったメタリックの塗料で、白髪のようなフォルムが描かれていた。作品の雰囲気は、白髪の湿度の多さを感じさせるホットな作品に対して、オリツキーのは乾燥したクールさを感じた。
・オリツキーは1922年に生れ、2007年に他界。白髪は〔1924-2008〕。ほぼ同期して、2人は活動している。
'87年当時、2人共に、未だ、高名になってない。そして、手と足の違いはあれ、2人ともアクション・ペインティングのジャンルだ。しかも、東と西に遠く離れている中で、この画面の類似性。2人には、前世から、何かの縁があったのか?……、と思う事時々。
■資料4
JULES OLITSKI


“JULES OLITSKI”
MAR. 6~APR. 19, 2014
≪PAUL KASMIN GALLERY≫の案内状から

“JULES OLITSKI”
JAN. 6~JAN. 29, 1987
≪M. Knoedler & Co.≫の案内状から
白髪一雄


白髪一雄
「作品 3」
1954年
油彩、キャンバス
112.0x79.5cm
“白髪一雄”
SEP. 20~OCT. 20, 2001
ロンドンの≪Annely Juda Fine Art≫のカタログから
ペース画廊では、リチャード・タトル展(注3)を、'09、'11、'12年と間隔をあけずに開き、今年も、2月7日~3月15日(資料5)に開いた。これも前述の傾向と似ている。タトルの作品は“もの派”の作品の性格と類似した特徴をもつ。特に、もの派の中心的存在の菅木志雄の作品と相通じる一面をもっている。作品の価格はタトルの方が比較にならない程高い。もの派が注目されているからか……、タトルの作品もよく売れている様子。
■注3
リチャード・タトル〔RICHARD TUTTLE〕
・1941年にニュージャージー州で生れる。
作品は小さな立体作品が多く、木・布・金属・羽毛などで構成。特に所々に色彩が粗く塗られた、荒削りの木の立体作品は菅木志雄の作品と雰囲気が似ている(資料5参照)。他にドローイング、これは立体のための習作でなく独立した作品。
もうひとつの特徴は、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、イタリヤ……などでは、どの国でも、その国の超一流画廊が扱っている。豪華な画商陣には、驚きを感じる。
・NOV. 29, 1990〔Blum Helman〕:(私の日記より)
Richard Tuttle展を開いていた。DrawingはJ.ミッチェル(英)に似ている。〔小さなdrawing用紙にかく〕価格は$8,000.- ~$10,000.- 。立体は菅に似ていて、造りが粗けずり。今回の作品はロシアの構成主義のような幾何図型を組みあわせたような木製の作品だった。
価格は$20,000.- 。〔この日の為替レート(T.T.S)¥131.10 / $〕
■資料5
“RICHARD TUTTLE”FEB. 7~MAR. 15, 2014
≪PACE≫の案内状から
“RICHARD TUTTLE”APR. 20~JUN. 14, 2002
≪Galerie Schmela≫(デュッセルドルフ・ドイツ)の案内状から
リチャード・タトル
「When We Were at Home」
2002年 木、アクリル
40.6x44.5x0.3cm
・このとき、展示された作品。菅木志雄の作品と雰囲気が似ている。下図を参照。
菅木志雄「さえぎる辺」
1986年 木
29.0x29.0x10.0cm
≪東京画廊≫
このような幾つかの現時点での特異事象を見て、何んと思われるか?
「日本人の感性で制作された作品が、世界の現代美術の一部をリードし、ひとつの流れをつくり始めたか……!」と、一瞬、舞いあがる人がいても不思議ではない。
欧米では、自分達の文化や感性に限界を感じ始め、その状況を打破し、新しい何かを創出するため、まずはじめに、自分達で紡ぎ出せないものをなりふりかまわず捜しまわりだしたのが、この動きではないのか……。
非常に特殊な事例を記述したが、このような流れも、日本の現代美術のグローバル化に拍車をかけるに、力があったと思えてならない。
つい最近、日本の美術館の優秀なキュレーターから、興味ある話を聞いた。
「今迄、欧米の有力美術館から、日本の美術館が良い作品を借りだすことは、ほとんど不可能でした。しかし、近頃、日本の現代美術への評価が欧米で高まり、海外の美術館への貸し出しも多くなっています。そこで、“いつか、日本人作家の作品を借りだす時のこと”を考慮、最近、欧米の有力美術館も良い作品を日本に貸し出すようになり始めてますよ」
まさに、日本の現代美術が活動分野を欧米に広げ、グローバル化の波に乗りだしたことへの≪確証≫を、この言葉が伝えているのではないか……。
併せて、「国際化社会のキーワードは“Give and Take”。“Take and Take”では相手にされない」という教訓も伝わってくる。
■ ■
(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
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・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・新連載・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」は終了しました。
・鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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