Trigger of price rise.

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第4回

作品の価値急騰のヒキガネになるものは……。


 「塵も積もれば山となる」コツコツと書き溜めた“コレクション日記”、欧米で体験した事のみで、ノート10冊にもなった。この中に、1987年1月2日から1992年6月22日まで、約5年半にわたって、ジャン・デュビュッフェ(注1)「好み」とは言えない1948年の水彩作品1点についての記述箇所が、飛び石ながら数箇所出てくる。今までに、「購入意欲がわかない」作品を、こんな長期に亘って日記に書き留めたことはない。なぜ記述したのか、その理由も分らない。
 しかし、無駄と思える行為も馬鹿にできないものだ。近頃、この件に関する日記部分を冷静に何回か読みなおしてみて分ったことなのだが、“市場の教訓”が幾つか隠れていた。

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■注1
ジャン・デュビュッフェ〔Jean Dubuffet: 1901-85〕。フランスのノルマンディ地方の港町、ル・アーヴルでワインを商う極めて裕福な商家に生まれた。文化的洗練を嫌悪し、上品な趣味に反発し、原始人、幼児、精神障害者などの絵画に創造の根源を求め、西欧文化に鋭い批判を加えた。
小石、砂、紐、木の葉、蝶の羽、コールタールなど、通常の絵の具以外の素材も多様に使用、特異な感性の作品を制作。
一方、初期(40年代後半)において用いた色彩は、主として茶系統、紺系統、黒など暗い色彩が多いが、不思議とモダーンな透明感がある。
アンリ・マティスをして、「彼は色彩の天才」と言わしめたのが分かるような気がする。
第二次世界大戦後の現代美術の巨匠。
この日記に出てくる作品は茶色の濃淡で描かれていた。

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■  ■



★《日記1》
1987年1月2日〔The Elkon Gallery(注2)
エルコンで、デュビュッフェ展をやっているので見にいった。作品の価格が高騰している。“Chameliers”〔ラクダ曳き:1948年:(43x52)cm〕(資料1)というタイトルの水彩作品が展示されていた。何処かで、見たような気がした。やはり、1975年4月3日に、ペース画廊のグリムシャー〔画廊主〕からofferされた作品だ。その時の価格は18,000-ドル。今回は、なんと50,000-ドル。しかし、作品の質は12年前も感じたのだが、「良いとは思えない」 カタログ・レゾネを見ると、この作品は小さな白黒写真(注3)で掲載されていた。


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■注2
1983年に若くして逝去したロバート・エルコンが1961年につくった画廊。
当時の画廊名は、ロバート・エルコン画廊。その後、夫人がThe Elkon Galleryと名を変え運営している。
彼は非常に眼がよかった。そんな大きな画廊ではなかったので、特殊な自己主張をして、“生馬の眼を抜く”ニューヨーク美術市場で、自分の画廊の位置づけを確立。特定の作家の作品のみを取り扱い、そして、その作品の時代選定を明確に打ち出し、あらゆる時代の作品を見境いなく扱うことはしなかった。
例えば、50年代・60年代のサム・フランシス、60年代前半のアグネス・マーティン、40年代後半から50年代前半のデュビュッフェ……。
彼からは、ずいぶんと絵のみかたや選びかたをおそわった。
東京・日本橋にあった南画廊とは、サム・フランシスの初期の作品でビジネス上の接点をもっていた。〔ロバートの存命中に〕

■資料1
資料1《Chameliers》
November 1947~April 1948
Gouache
〔43x52〕cm

カタログレゾネの第4巻のP.33にこの作品が掲載されている。作品の写真は白黒。そのサイズは〔8x10〕cmと極めて小さい。この写真で判断しても、質の良い作品とは思えない。

■注3
総作品目録〔カタログ・レゾネ〕の利用は真贋のチェックや作品の内容確認だけでなく、大まかな作品の“質”のチェックも可能だ。デュビュッフェのレゾネは<FASCICULE>。全部で39巻。絵画のスタイルと時代で分類し、これを1巻にする。掲載作品すべてに、その写真がついている。
写真の種類はカラーか白黒、そして多種のサイズ。
これらによって、作品の質を分類しているようだ。
決定するのは編者及びカタログ・レゾネの制作チーム、その作家〔デュビュッフェは生存していたので〕。まず第一にカラー写真でのっている作品。この時期の代表作にあたるようだ。今回、記述した作品が入っているレゾネは第4巻。これでみると、カラー写真は全547作品のうち4作品のみ。次に“フルページ”、つまり1頁に1作品のみ白黒で掲載。次が白黒で1頁に2作品。多いものは白黒で1頁に6作品。
今回の件の作品は、白黒写真でも色々なサイズ〔9~10種〕あるうち、下から2~3番目のサイズで掲載されている。これで、おおよその<作品の質>が分るだろう。

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★《日記2》
1988年3月30日〔The Elkon Gallery〕
エルコンに立ち寄った。例の水彩がまだ売れずにあった。価格を聞くと、なんと、90,000-ドル。1年ぐらいしか経ってないのに、4万ドルも上昇。約1年前の1.8倍。価格上昇が激しいのに驚く。

★《日記3》
1989年6月10日〔The Elkon Gallery〕
例のデュビュッフェの水彩が展示されていた。125,000-ドルとのこと。前回訪問から1年3ヵ月しか経ってないのに、35,000-ドルの上昇。
ニューヨークのそちこちの画廊で、デュビュッフェの作品に強気な価格づけがされだした。ブームに入っているようだ(注4)。この作品はかなり長期間、エルコンに「売れず」に滞留している。この質で、この値だと、なかなか買手がつかないのでは……。


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■注4
この年に、ドイツの歴史ある一流画廊で言っていた。「1989年6月のスイスのバーゼル・アートフェアーが最高だった。飛ぶように作品が売れた

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★《日記4》
1991年5月31日〔The Elkon Gallery〕
エルコンでデュビュッフェ展が開かれていた。番頭のアルフレッドが奇妙な事をつぶやいた。「いい作品は非売にした。今、売り時ではない」 マーケットで、何が発生しているのか?
例の水彩も展示されていた。「まだ、これ、ここにあるね!」と言うと、「この手は売りにくいのですよ(注5)」「ところで、いくら?」「250,000-ドルです」「えっ、約2年前〔'89年6月〕に聞いた価格の倍……!!」
この作品は“売りもの”だった。
1990年6月9日に、フラリと立ち寄った時、225,000-と言っていた。この時、「あまりの上昇に茫然」とした。今回はこれどころではない。恐しさを感じた。
チャンスと思えば、畳み掛けてくるようなニューヨーク画商の非情な動き。
アルフレッドはつぶやいていた。「今、40年代後半の作品はよいが、'43、'44、'45年頃の作品は足がのろくなって来た。晩期の作品は値下りを始めている(注6)」 マーケットに陰りが出始めたようだ。それなのに、この値づけとは……、驚きだ。


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■注5
ロバート・エルコンが70年代前半につぶやいていた。「アラブ・グワッシュ〔この“Chameliers”も、このシリーズの中の1点〕は作品の内容や描き方が粗いので、私はこのシリーズを好まない」 見事、この眼力は的を射ていた。

■注6
眼ききのロバート・エルコンが生前、デュビュッフェについて、口癖のように言っていたことがあった。
「私が特に好んでいる作品群は、1940年代後半の<肖像>のシリーズ、50年に描かれた<御婦人の身体>シリーズ、51年に描かれた<哲学的な石>のシリーズ、55年の<牛>のシリーズ」
自分の画廊で扱う時期の作品群を自分の眼で、既に、70年代前半の早いうちに、選出していた。
80年代後半、美術市場で、40年代後半~50年代前半の色々な作品群の評価は非常に高くなっていった。個性的な彼の眼は鋭かった。
彼の好みには入ってない多様なシリーズは、強弱の差こそあれ、全般的に弱い。それがアルフレッドの言葉にも出ていた。

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★《日記5》
1992年6月22日〔The Elkon Gallery〕
例の作品が売れていた。「91年6月に売れましたよ。200,000-ドルでね」「そりゃよかったね。買ったのはコレクター?」「コネティカットのコレクター」 アルフレッドは、なぜか?、ホッとした表情で、苦笑しながらつぶやいた。
買った人は、「この作品の質」で、「この価格」で、満足したのだろうか……?“蓼食う虫も好きずき”というが、眼だけが頼りの冷酷な世界を垣間見た。
約16年間で、この作品ですら、約14倍にもバケた。恐しい世界。 為替レート〔6/22〕128.20/$




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 〔日記1〕の1ヵ月程前の1986年11月28日の夕刻、小さな画廊だが、デュビュッフェを長年扱っているソロモン画廊に寄ってみた。ここのオヤジは実に博識である。
「『デュビュッフェが亡くなってから、1年半が経ち、ソロソロだ』と言うことを聞いたのだが、一体、何がソロソロなのですか?」「そんな話題が出始めましたか……。巨匠作家は他界後、“税”の問題で作品の動きも止まり、価格が動かないというか、変動が抑制されるのですよ。この期間は作家によって異なり、大体、一年から二年。ピカソの場合は二年かかってますよ。デュビュッフェの場合、1年半からもう少し長いか……。この期間が終わるとハネますよ」 ひと呼吸入れ、「そう言われれば、もうソロソロですよね。ニューヨークでも、来年になると、いくつかの大きな画廊で彼の展覧会が開かれるという噂が、今、流れ始めてますよ」
 このような欧米の画商界の因習的な事を、自分が実際に体験した出来事の中で、事後的ながら、検証できる又と無い機会を、〔日記1~5〕が与えてくれたのだ。
 コレクションをしている自分にとって、非常に重要なcase study〔事例研究〕にもなる。これが確認できると、この事象が“教訓”に変る。
これも、日記をこまめに、継続して書き留めておいたがゆえに実感できたものだ。
 5つの日記の内容をグラフにしてみた。日記とつき合せて、このグラフを読めば、ソロモンのオヤジが言っていたことが、より現実味をおびて理解できるように思える。
 デュビュッフェの死後、ちょうど1年7ヵ月経った時点におこった事が〔日記1〕である。

グラフ タイプ
・グラフに関して、下記の〔グラフ注1~3〕を参照。

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〔グラフ注1〕
グラフから分るように、デュビュッフェのあまり質の良くないこの作品が、1987~'91年半ばまでの約4年半で、20万ドル〔当時の為替レートで円換算すると、約2,600万円〕もの上昇。
この作家の特異な作品内容からか、'82~'83年頃まで、極めて少数の人からの支持のみで、市場での評価はそれ程目立たず、安値に放置されたままだった。
今迄の“過小評価”の見直しと、“死”〔1985年5月12日〕による価格上昇がシンクロナイズして、勢いを強め、他巨匠作家の死後の作品価格上昇より過激になった。

〔グラフ注2〕
1987年10月19日、突然、ニューヨーク市場で株が大暴落。米株の指標であるダウ工業株30種平均が1日で22.6%〔$508安〕も下落。これを<Black Monday:暗黒の月曜日>という。
20日には、この波が日本にも押し寄せ、1日で日経平均が14.9%〔3,836円安〕と大暴落。下落は全世界の株式市場に伝播。突然の株の大暴落は<大不況>の入口を暗示するケースも多い。ビジネスマンは、このあとの経済動向をかたずをのんで、その成り行きを見守った。しかし、思いとは逆。株式市場から逃げた金が美術市場や不動産に入り出した。当時、筆者はニューヨークに駐在、貴重な体験をさせてもらった。

〔グラフ注3〕
<Black Monday>の1ヶ月半後、1987年12月3日、商社のニューヨークのオフィスで、ヤマト運輸アメリカの幹部から次のような事を聞いた。「絵画の動きが大きくなってます。今がシーズンであることも一因ですが、ニューヨークから日本への荷は昨年の倍くらいになっています。先週も、47万ドルのMiroの作品が日本に向け出て行きました」
この頃から、日本も美術ブームに入り始めたようだ。'88年にはさらに激化、1989年には、当時では考えられないような作品価格の上昇をみた。
この情況は、フランス、ドイツ、スイス、イタリア……でも、同時発生していた。〔注4参照〕
そして、90年に入ると、多様な国々で下降現象〔グラフ右端下を注目〕が見られるようになっていった。バブルの終焉である。

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 欧米の一流画商は、「値上げのタイミング」というものに非常に敏感で貪欲。
 “このケースのようなある高名な作家の死”、“経済上の過剰流動性の発生や好況”、“一流の有力美術館でその作家の回顧展の開催”などは価格上昇への絶好の機会を与える。
 特殊なケースもある。ロシアの富裕層がこぞって、ロンドンの金融街、シティにあるオフィスビルを次々と購入した90年代前半、マルク・シャガールの作品が急騰した。購入したビルに、新オーナー達は母国出身のシャガールの作品を新たに購入し飾りだした。この動きすら彼等にとって、価格を上昇させる機会となった。
 多様なケースを材料にして、価格上昇に結びつけてゆく、その能力には舌を巻く(注7)

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■注7
シンジケートを組み、オークション・ハウスを利用して、意図的にある作家の作品の高値をつくり、それをもとに作品価格をつり上げてゆくような人工的な価格操作のケースには関心がないので、記述は削除。

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 又、世の動きを察知する才覚も並のものではない。市場情況の変化・進展を感知すると、「さらに、価格を情け容赦なく、冷酷に上昇させる」この過程が、〔日記2・3・4〕に分りやすく露出している。
 過熱化など、情況がさらに激化してくると、「流れの中で、葉も石も浮く」 要するに、“質の良くない作品”でも、質の良い作品に負けず劣らず価格の上昇をみる。「宴のあと」にはどのような事象が出現するのか……?、自明の理で、「石は沈む」
 〔日記4〕の時点あたりで、欧米の美術市場に暗雲が立ち込め始めた。'90年1月にニューヨーク市場下落開始、’90年6月パリ市場下落開始、'91年2月ドイツ市場下落開始。
 〔日記4〕のアルフレッドのつぶやき、「今、40年代後半の作品はよいが、'43、'44、'45年頃の作品は足がのろくなってきた。晩期の作品は値下りを始めている」 サラリと言ってのけているが、この中にコレクターが留意すべき事が隠れている。陰りが出始めると、作家の作品制作年によって、かなりの価格差が顕在化してくる。作品の質が制作年によって、異なる(注8)。それを彼等は熟知している。

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■注8
もう一度、〔注6〕をお読みいただきたい。

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 作家絶好調の時期、例えば、デュビュッフェで言えば、'46~'55年。これらの時代で作品の質の良いものは、このような事態への抵抗力は思われているより強い。

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 〔日記4〕にある「良い作品は非売にした。今、売り時でない」
 よく欧米の一流画廊で、市場の過熱化時に聞く言葉だ。この感じ良くない言葉は画廊主からでなく、必ずと言ってよい程、番頭から聞く。彼等の長い伝統の中から出たスタイルなのか? オーナーは、このような言葉は口にせず泰然としているのだ。
 アルフレッドは<デュビュッフェの死>の市場へのインパクトが、<Black Monday>により発生した過剰流動性より、かなり勝っていると判断、デュビュッフェの良い時代の作品の価格上昇は長びくと踏み、この言葉が出てきたのではないか……。
 とにかく、欧米の一流の画商はシタタカである。このような動きが画商界を支配してるのなら、「郷に入っては郷に従う」で、眼をそらさず、これらをシッカリと自分なりに理解して、<教訓>として頭の片隅におく必要があるのではないか……。
 この国際化の時代には、固定観念にこだわらず、柔軟性も要求される。

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(ささぬまとしき)

■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、『現代美術コレクションの楽しみ:商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』(三元社、2013年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)、他。

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◆笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。