先週末、台風の近づく沖縄に30数年ぶりに行ってきました(その報告は近日中に)。
今日は東京も大荒れの天気、風や大雨で被害が出ないことを祈るばかりです。

モンドリアン版画展」はお客様は少なかったのですが、皆さんに熱心に見ていただき、また思いもかけず作品もたくさん売れ、主力組のソウル出張中(KIAF出展)の穴を何とか埋めることができ、モンドリアン好きの社長はゴキゲンでした。
お買い上げいただいた方への納品はマットの調整などあるので、少し時間がかかります。どうぞしばらくのご猶予をお願いいたします。

<綿貫さま、おはようございます。ほっておいてくださるのが一番かと思います(笑)。過去の展覧会カタログも見れて参考になりました。スペースの広さ、高さもちょうどよく、窓の外光はやわらかく目に優しく、いつまでも見ていたくなります。またお邪魔いたします。>
荒澤由紀子さんのfacrbookより)

ときの忘れもののポリシーは<お客さまはほっておく>。
狭い空間なのに椅子をたくさん置いてあるのも、ゆっくり作品を鑑賞して欲しいからです。常連の方や、ご挨拶しなければならないお客様に気付かず、芳名簿を見てあわてて追いかけることもたびたびです。
上掲はそんな方へお詫びメールを送ったことへの返信です(荒澤さん、勝手に引用してごめんなさい)。
メールでお問い合わせをいただいた場合も(多くはHP掲載の作品の価格について)、直ぐに返信はしますが、それ以上の催促がましい追いかけや、確認のご連絡はいたしません。また電話でのご連絡も原則いたしません。
自分が客として画廊に入ったとき、熱心な店員さんに付きまとわれるのが嫌だからでもあります。
それが裏目に出てしまい、先日ある方から「こちらからの問い合わせは無視するのに、そちらのメルマガは勝手に送ってくる」ときついお叱りを受けました。
私どもからは問い合わせの当日に即返信しているのですが、何らかの理由でメールをお読みになれなかったらしい。あるいは「迷惑メール」としてはじかれてしまったのかも知れません。
ネットでのコミニュケーションの難しさを感じます。
お怒りがとけるといいのですが・・・・・

さて、ときの忘れものでは明後日8日より、2007年3月以来、6回目となる細江英公個展を開催します。
第一回(2007年3月)では『春本・浮世絵うつし』を
第二回(2008年5月)では『ガウディへの讃歌』を、
第三回(2009年12月)では『新版・鎌鼬』を、
第四回(2011年3月)では『写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い~イタリア・ルッカ』を、
そして第五回(2013年9月)では『抱擁』の各連作を発表してまいりました。
六回目の今回は、『ガウディ』連作から以前展示したものとは異なるヴィンテージプリントのモノクロとカラーを20点ご覧いただきます。
細江英公展DM600
「細江英公写真展 ガウディの宇宙」
2014年10月8日(水)-10月25日(土)
会期中無休

10月8日(水)17時より細江英公さんを迎えてオープニングを開催します。



写真家・細江英公は1964年にバルセロナでガウディ建築と衝撃的な出合いをします。その13年後、1977年から数度に亘って「サグラダファミリア」「グエル公園」「カサバトリョ」などガウディ建築の撮影を行ない、〈ガウディの宇宙〉として発表しました。30年以上も前に撮影・プリントされたヴィンテージプリントのモノクロとカラーを20点ご覧いただきます。出品リストは明日ホームページに掲載の予定です。

サグラダファミリ#179
細江英公
《サグラダ・ファミリア》(『ガウディの宇宙』よりNo.179)
1977年
ヴィンテージ・ゼラチンシルバープリント
Image size:51.2x41.8cm
Sheet size:60.6x50.6cm
サインあり

サグラダファミリア#203
細江英公
《サグラダ・ファミリア》(『ガウディの宇宙』よりNo.203)
1975年
ヴィンテージ・ゼラチンシルバープリント
Image size:44.9x44.6cm
Sheet size:60.6x50.7cm
サインあり

細江英公_03_01_600
細江英公
《カサ・ミラ》(『ガウディの宇宙』よりNo.87)
ヴィンテージ・チバクロームプリント
Image size:38.5x57.5cm
Sheet size:42.5x61.0cm
サインあり

細江英公_02_01_600
細江英公
《サグラダ・ファミリア》(『ガウディの宇宙』よりNo.186)
ヴィンテージ・チバクロームプリント
Image size:38.4x57.5cm
Sheet size:42.4x61.0cm
サインあり

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細江英公 Eikoh HOSOE
1933年山形県に生まれる。50年英語を学ぶため米軍居住地に通い、アメリカ人の子供たちを撮影。51年第1回「富士フォトコンテスト」で最高賞を受賞し、写真家を志す。54年東京写真短期大学(現・東京工芸大学)写真技術科卒業。デモクラート美術家協会の瑛九と出会い、強い影響を受ける。56年銀座・小西六フォトギャラリーにて初個展。59年「VIVO」の設立に参加(61年解散)。60年日本写真批評家協会新人賞、富士フォトコンテスト年間作家賞受賞。63年写真集『薔薇刑』で日本写真批評家協会作家賞受賞。70年写真集『鎌鼬』で芸術選奨文部大臣賞受賞。75年東京写真大学短期大学部(現・東京工芸大学)の教授となる。82年全米とパリで個展開催、パリ市賞受賞。83年アルル国際写真フェスティバル名誉賞受賞。94年東京工芸大学芸術学部教授に就任。日本写真協会年度賞(93年)受賞。95年清里フォトアートミュージアムの初代館長に就任。98年東京工芸大学芸術学部(2003年で定年退職)及び大学院芸術学研究科(修士)課程教授に就任(02年博士課程教授に就任)。紫綬褒章受章。03年ロンドンにて英王立写真協会創立150周年特別記念メダル受章。06年日本人初のルーシー賞(アメリカ)受賞。07年旭日小綬章叙勲。2010年文化功労者に選ばれる。